『コーヒー・ブレイク』(ベル&フラン小説)
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昔、ボスに聞かれたことがある。怖いものはあるか、と。
「怖いもの?」
サイドテーブルにブラックコーヒーの入ったマグカップを置いて、ボスに借りたノートパソコンを膝に乗せて。コンピュータ相手にチェスをしていたオレは、ディスプレイから顔を上げて聞き返す。
「そうだ」
焦げ茶色の重厚な仕事用デスクの向こう側から、少し離れたソファに座ったオレをにらむように見ている黒髪のボス。仕事が一段落したのか、手にしたデミタスカップをゆっくりと口に運び、カチャリと音を立ててソーサーに戻した。
(こわいもの・・・)
この人は、ときどき不思議な質問をしてくることがある。
本というものをほとんど読まないオレと違って、よく眉間にシワを寄せて難しそうな本を読んでるし。結構、テツガク的なんだ。
オレは、ない、と答えようとして少し考える。手探りでマグカップをつかみ、一口飲む。そして笑って言う。
「死ぬのはいいけど、両手足をもがれるのはイヤかな」
殺しをできなくなって、それでも命を抱えて、残る人生を漫然と、平和に、つつがなく、過ごすなんて考えただけで怖気が走る。足だけでも殺しはできるかもしれないけど、さすがに両手両足がないと難しいだろうと思った。
そんな状態で生きていられたら、の話。
たぶん無理だよね。
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そんなオレの答えに、ボスがどんな反応をしたかは、残念ながら覚えていない。
なにせずっと昔のことだから。
それをなぜ今になって思い出したかというと、隣にいるコイツが、そのときのボスとまったく同じコーヒーの飲み方をしたからだ。
「センパイ。ベルセンパーイ」
隣でオレの名前を呼ぶ霧の幹部。
(うるさい)
「どーしたんですかー?ぼーっとしちゃって」
「別に」
ヴァリアーのアジトの中にはいろいろな設備がある。簡単なキッチンに冷蔵庫に電子レンジ、椅子のないカウンターテーブルにアクセスポイント。そしてコーヒーメーカー。そんなものが置かれた、小さなフリースペースもそのひとつだ。
任務のない日は結構ヒマだ。今日は朝から雨で、外出する気にもなれなかったからなおさらヒマだ。アジト内の私室でごろごろするのにも飽きて、コーヒーが飲みたくなったついでにこのスペースまで足を運んできた。
私室にもコーヒーメーカーはあるが、後始末を自分でしなければならない。この共用スペースならそれは掃除係の役目になる。濃い目のコーヒーを淹れて立ったまま飲んでいると、新米幹部のチビが入ってきた。
目が合ってもお互い挨拶はない。それは他の幹部とでも大して変わらないけど。
愛想笑いなんて言葉、我らヴァリアーの辞書にはないのです。
奴は黙ってオレの横を通り過ぎ、コーヒーメーカーの前に立つ。サーバーに残っているコーヒーを見て、そして振り返ってオレを見る。
「・・・もらいますよー?」
オレが何も言わなかったので、奴はサーバーをはずす。手に持っていたデミタスカップにコーヒーを注いで、オレの隣のテーブルまで歩いてきた。スタンディングバーによくあるカウンターテーブルで、椅子はないので立ったまま。
なんとなく見ていると、奴は丸いテーブルにカップを置いて、カップの上に渡した細長いスプーンに小さな角砂糖を乗せる。取り出した小瓶の中の液体を角砂糖にかけて、オイルライターで火を灯した。
白い角砂糖を核にして蜃気楼のように揺らめく青い炎。かすかに立ち上る酒の香り。
(見たことあるな、コレ)
やがて溶けた砂糖をコーヒーの中に落として、奴はようやくカップに口をつける。
どこで見たのか思い出そうとしていると、横目でこちらを見てきた。
「センパイ。ベルセンパーイ」
で、冒頭の会話。
「・・・おまえいっつもそんな面倒な飲み方してんの」
「いっつもじゃないですけどー」
カップに口をつけながら言葉を返してくる。話す相手を見ないで話すのがこいつのクセらしい。
「ヤなこと、あったときとかですねー」
相変わらず感情のこもらない、平坦な声。
昔のオレは、ただ奇妙な飲み方だと思っただけだった。今のオレは、歴史上の皇帝が愛した飲み方だと知っている。
XANXUSには似合う。コイツには似合わない。しかしふと思い至ってしまう。
(ああ)
(インディゴの炎か)
「・・・スカしたことやってんじゃねーよ単細胞」
「あ、もう一杯飲みたくなりました」
「死ねチビ」
「死ねアホ王子」
まるで意味のない、軽い言葉の応酬。
身体を流れる波動を具現化した炎。その色と存在に特別な思いを抱くのはむしろ自然なことで、己自身とて例外ではなかった。気に入らないことがあったときにその色に寄り添いたくなるというのは、正直言うと少し、理解できる。
何があったのか、なんてくだらない質問はしない。コイツにしたって、聞いてほしいなどとは微塵も思っていないはずだ。
この素晴らしき世界では。
自分で自分の感情も処理できない輩は死ぬか狂うか、いずれ生き残れるはずもない。
しばらく黙ってコーヒーを飲んでいたが、オレはふと思いたって腰のナイフを一本抜き、相手を刺し殺すつもりですばやく投げてみた。
しかし、仔ネズミが跳ねるように軽く床を蹴って、奴は攻撃をかわす。手にしたカップからは何もこぼれない。
「何するんですかー?」
理不尽な行動に腹を立てる様子もなく、床に突き立ったナイフを見ながら淡々とした口調で言ってくる。
「別に・・・」
鈍そうなくせに、目だけは鋭い。
こいつはオレのことを、フツーじゃない、歪んでる、なんて言うけれど。そういうおまえだって相当なものだ。
気づいているのか、いないのか。気づかぬふりをしているのか。
「なぁ」
「はい?」
「怖いものある?」
小さな手で小さなカップを持った仔ネズミは、オレの質問に目を細める。
「・・・・・・ありますけどー?」
「言ってみ」
「センパイに言うわけないじゃないですか?やですー」
相変わらずの無表情で即答しやがった。本当、腹の立つ奴。
しかも、言ったらそれをされると思ったらしい。その発想はなかった。
(やっぱりコイツの方が歪んでる)
「いいから。しねーから」
「うーん・・・」
唸ったきり、奴は黙ってしまった。
オレは、カップに口をつけて待つともなく待つ。
「・・・死ぬのとかは別にいーんですけどー」
マグカップの底が見えて、そろそろ部屋に引き上げるかと思った頃。奴はようやく口を開いた。
「目を潰されるのは、イヤかもですー」
「なんでだ?殺しができなくなるから?」
とっさに返した言葉に、イヤそうに顔をしかめられた。
「は?なんでそーなるんですか?」
殺しができなくなるってなんだよ意味わかんねーよだから歪んでるっていうんだよ、とかつぶやかれてムカついたからブーツで回し蹴りを食らわしたら、これも予想していたかのようにすばしっこく逃げられて余計にムカついた。
「じゃあなんでだよ」
「・・・目が見えなくなったら、空が見えなくなるじゃないですかー」
「はぁ?」
予想外の答えだった。あっけにとられて、思わず間抜けな声が出る。
「ソラ、だぁ?」
「いまバカにしましたねー?」
だから言いたくなかったんです、と言ってそっぽを向く。
「ミーは空が好きなんです。悪いですかー?」
「いや・・・別に」
薄く淡いコバルトグリーンの瞳を瞬かせて、窓の外。雨雲に濁った空を拗ねたように見上げている。
あまりに青臭い答えに、無性におかしくなった。
(『フツー』ぶりやがって)
「わーった。じゃあオマエ殺るときは、トドメさす前に目ー潰してやる。楽しみに待ってろ」
「言うと思いましたー」
どうぞお好きに。鼻から息を吐いて、フランは言った。
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THE END
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後書き(文字反転)
ベルとフランの日常会話。
もともとは「サイレン」の後半部分でした。カットしてジャンクフォルダに眠らせていたのを加筆修正してリサイクル。
読んでくださり、ありがとうございました。
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