『咲かずの王国』(スクアーロ&ベル小説) 第7話
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必要最低限の物しか置かれていない、殺風景なホテルの部屋。しかし狭い部屋の中で一番面積を占めているシングルベッドが、昼の間にシーツが交換されていて清潔そうなのは幸いだった。スクアーロはベッドの端に浅く腰掛け、背中を滑らせるようにしてベルの軽い身体を下ろす。
「・・・んん」
起こさないように気をつけたつもりだったが、ベルはベッドに乗ると同時に声を漏らして身じろぎした。ベッドの上で、そのまま横にはならず足を投げ出して座っている。まだ少しぼんやりしているようだ。
スクアーロは自由になった手首の時計を確認する。そろそろ日付が変わる時刻だった。
「寝るか?」
スクアーロの問いかけに、ベルは首を横に振る。
「眠くないのか」
こくりとうなずく。
自分の伸ばした足先を見つめ、何かをじっと考えているように見えた。
「なら、とりあえずシャワー浴びて着替えろ」
スクアーロはベッドを離れてクローゼットを開け、ホテルに備え付けのパジャマをベルに放ってやった。ベルは足先から少し目線を動かして、他人の血を吸い込み真っ黒になった自分のシャツの胸を見る。金色の髪も、こびりついた血でところどころぱりぱりに固まっている。ベルはまた黙ってうなずき、パジャマをつかんで浴室に消えた。
スクアーロは、暗い色の素材のため目立たないが、返り血が点々と散ったシャツを脱いでデスクチェアの背に放り投げた。上半身裸になって仰向けにベッドの上に寝転がる。ほどなくして、浴室からシャワーの音が聞こえ始めた。
携帯電話を開き、メールを打つ。二つ目の粛清任務の指令メールへの返信は「MA」の二文字。「任務完了」の略。正式な報告は帰ってからするので、一次報告としてはこれで充分だ。そのまま送信しようとしたが、少し考えてもう一行。
『小麦は不作。雨多し』
送信ボタンを押してフリップを閉じた。ぱたんと腕をベッド脇に投げ出すと、握っていた携帯電話が手の中から滑り落ちて絨毯の上に音もなく転がる。
不意に煙草が吸いたくなった。学生の頃に興味本位で吹かしたことはあるが、特に美味いとも思わなかったためそれきり興味をなくし、今はまったく吸っていない。なので、もちろん持ち合わせもない。外に買いに行くのも面倒だ。スクアーロは煙草のことは忘れることにした。
仰向けの姿勢からごろりと寝返りをうって横向きになる。
(さっき、気絶したあいつを)
肘で頭を支えて、銀の双眸を閉じる。
(ここで殺しておくべきかどうか、迷った)
遠くでシャワーコックをひねる音がして水音が止まる。目を開けると、しばらくして大人サイズのパジャマをまとったベルが、すそを引きずりながら浴室から出てきた。
シャワーを浴びたばかりのベルの髪はまだ少し濡れており、真っ直ぐで糸のような髪が束になって顔の周りを覆っている。無言でスクアーロの前まで歩いて来てそのまま絨毯の上に座りこみ、長すぎる袖から出た指先で足のすそを折り返し始めた。
あの口の達者な少年が、さっきから一言もしゃべらない。
スクアーロも入れ替わりで浴室に入り、ベルに切られた傷を洗った。一昨日付けられた傷とちょうど交差していたので、新しい包帯を巻き直す。
夕食は食べていなかったが、腹は減っていない。目も冴えている。気分がほのかに高揚しているのは、任務のあとでは珍しいことではない。
「腕。見せろ」
浴室を出て、両足のすそを白い足首が見える程度に折り返した少年に声を掛ける。ベルはおとなしく腕をまくり、スクアーロに見せた。
その細い腕に赤く目立つ銃痕を消毒して、包帯を巻いてやっていると、ベルが小さな声を発した。
「・・・あのとき」
「あ?」
「あのとき、オレ、なに、した・・・?」
スクアーロの方を見ないで問いかける、その声はわずかに震えていた。
「・・・あの場にいた全員ズタズタに切り裂いて、オレまで殺そうとしやがったなぁ」
手を止めて、おら、と裸の右腕を上げて包帯を見せてやる。誤魔化しても仕方がない。
ベルはその腕をちらりと見て、すぐまた目を伏せた。
自分の服を浴びるように塗らした血の跡を、思い出しているのかもしれない。
包帯を巻き終わったスクアーロは、立ち上がって備え付けの冷蔵庫からミネラル・ウォーターを取り出し栓を開ける。中身を湯沸しポットに注いでスイッチを入れ、熱い蒸気が出るのを待って白いマグカップに安物のティーバッグを入れて湯を注いだ。
湯気の立つマグカップを持って戻り、絨毯の上に座り込んでいるベルの顔の前に突き出す。
「飲め」
「・・・・・・」
ベルはしばらく黙ってうつむいていたが、やがて大きめのパジャマの袖から出た指を伸ばしてマグカップをつかんだ。
「おまえの家のと比べるなよ」
ベルはうなずく。スクアーロも自分のカップを持って、固いベッドに腰掛けた。まったく同じサイズのはずなのに、ベルの手の中のそれはずいぶん大きく見える。
「覚えてない、んだ」
ベルがつぶやく。両手で熱い紅茶のカップを包んでいるにも関わらず、その肩が小刻みに震えていることに気づき、スクアーロは息をついた。
「かすり傷だぁ、気にすんな」
「違うおまえじゃない」
ベルの指先の震えが次第に大きくなり、マグカップの中の液体が波立つ。やがて歯の根が合わなくなりがちがちと音を立て始める。
「どうしよう。覚えてない」
「それはさっき聞いた」
「オレもう帰れない。帰れなく、なった。そんなんなるんじゃ」
ベルの手からマグカップが落ちた。絨毯の上に転がって中身がこぼれて染みを作る。暖かな部屋の中にいるのに、まるで真冬に外に放り出された子どものようにがたがたと震えて、ベルは自らの身体を両手で掻きいだいた。小さな背中を丸めて、鼻をすする音。
「いつか、もしまたいつかそんなんなって、それであいつら殺したら。国民殺したら。そしたら王子が王子じゃなくなる、し」
しぼり出される掠れた声。
「だから、もう・・・あそこには帰れない」
頬を伝う涙。スクアーロは狼狽した。
「な、泣くな」
「うっさい。泣いてない」
言葉とは裏腹に、あとからあとから、隠された瞳から流れる涙が止まらない。まさか泣き出すとは思わなかったスクアーロは、焦ってベッドから腰を浮かせて中腰になる。気の利いた言葉も見つからず、しばらく逡巡したあと、浴室に駆け込んでタオルを一枚拝借してきた。
泣き顔を見る勇気がない。肩の後ろから差し出すと、嗚咽を漏らしていたベルがひったくるようにすばやくタオルをつかんで顔に当てた。
絨毯の上に座り込んでタオルに顔をうずめ、吐くように泣き続けるベル。その後ろにしゃがみこんで、スクアーロはベルの頭をなだめるように撫でてやった。手が頭に触れた瞬間、ベルはわずかに身を震わせたが、その手を払いのけはしなかった。
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数分後。ひとしきり泣いたベルは、最後にタオルで盛大に鼻をかんで無言で立ち上がる。浴室に入ったかと思うと、前髪を濡らして戻ってきた。顔を洗ってきたらしい。
「落ち着いたか」
入れ直してやった紅茶のマグカップを渡しながら聞く。返事はなかったが、身体の震えはおさまっているようだった。スクアーロはまたベッドの上に戻り、腕を伸ばして自分のマグカップを引き寄せる。色のついた湯のような紅茶を一口飲むと、それはすでにぬるくなっていた。
「ボンゴレファミリー、って知ってるか」
「・・・・・・」
「知らねぇか」
ベルはうなずく。絨毯の上の定位置に戻り、受け取ったカップを傾けておとなしく中身をすすっている。
「イタリアで一番でかくて一番強い、マフィアだ。オレはそこの暗殺部隊に所属している」
「・・・・・・」
「オレはおまえをスカウトに来た」
両手で包んだマグカップに口をつけていたベルは、スクアーロの言葉に顔を上げる。
さすがに驚いたようだ。
「おまえを観察して、暗殺者としての適性があるようならボスのところに連れて行く。それがオレの仕事だった」
「・・・・・・」
「だが、オレはおまえを連れていかねぇ」
べルの厚い前髪の奥に隠された瞳が、わずかに揺れたようだった。その唇から小さな声が漏れる。
「・・・オレが、変、だから。記憶、なくしたり、して、普通じゃない、から」
「違う」
スクアーロは即座に否定して、首を振る。
「ボンゴレ暗殺部隊をなめんじゃねぇ。あいにく、てめぇ程度のキワモノはごろごろしてんだからなぁ」
なぐさめになっているかどうかは知らないが、事実なのだから仕方ない。
「オレが言いたいのはそういうことじゃねぇ。いいか、声かけられたからだの、一人が寂しいからだの、そういう甘ったれた理由で入隊した奴は、必ずいざってときに腰が引けて足手まといになりやがる」
入隊してまだ半年ほどだが、スクアーロはすでに何人もの脱落者を見てきた。単に運が悪かったと思える者も中にはいたが、大概、どこか甘えている。どこか覚悟が足りない。
その手の輩が任務に失敗して命を落としても、同情する気など微塵も起きない。そもそも、その手合いは最初から仲間と見なす気もない。いるだけ邪魔だ。
自分の足で立てる奴しか、ヴァリアーは、XANXUSは、必要としていない。
この少年は果たしてどちらだろう。実はスクアーロの中で答えはすでに出ていたが、最後の一手がほしかった。
スクアーロはベッドサイドに置かれたメモ用紙を一枚ちぎり取り、ペンで文字を書き付ける。
「上の命令で人を殺すのが仕事だ。もしおまえが入りたいと思うなら」
紙片をベルに渡す。ベルは受け取り、書かれた文字をじっと見つめた。
「ここに来い。おまえが自分で決めるんだ」
言って、デスクチェアの背に掛けていたシャツを羽織り、上着の袖に腕を通す。
「オレはもう行く。ここの支払いは済ませておくから、おまえは明日の朝出ろ」
せっかくホテルに戻ってきたのだから、一泊しても構わないはずだった。こんな時間に急いで帰る理由もない。しかし、これ以上いると女々しくも情が移りそうだ、という思いは心の中で強く否定しておく。
「じゃあな」
この気まぐれな少年がどんな決断をくだすのか、スクアーロには分からなかった。というか、来ない可能性の方が高いとさえ思っていた。
ならば今生の別れ、となる場面だが、湿っぽい挨拶などまるで性に合わない。そのまま脇を通り過ぎてドアノブに指を掛けると、手の中の紙片を見ていたベルが不意に顔を上げた。
「おまえ、名前は」
問われて、驚いたのはスクアーロの方だった。
「言ってなかったかぁ」
「ん」
「なら、また会ったら教えてやるぜぇ」
その言葉に、ベルはきれいな歯並びを見せて、笑った。
「もったいぶって、バッカじゃないの」
スクアーロも、唇を歪めるようにして、笑った。
「たぶんな」
そして今度こそ、ドアを押し開けた。
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ホテルを出て、流しのタクシーを探して通りを横切ろうとしたスクアーロの上着の内ポケットで携帯電話が振動した。取り出して発信者を確認し、珍しいことは続くなぁ、と思う。
通話ボタンを押し、耳に当てる。
「寝てると思ったぜぇ」
「日本は朝だ」
低い声。スクアーロが任務に出ている間に、XANXUSは日本に飛んでいたらしい。
「小麦は不作か」
「ああ」
「そうか」
『小麦』は勧誘任務を、『不作。雨多し』は空振りを示す隠語だった。先ほどのメールを確認したXANXUSが掛けてきた、遠い国からの国際電話。脱獄犯を倒した少年に、それだけ期待していたということだろうか。
「なぁ、XANXUS」
「あぁ?」
人気のない深夜の通り、かすかに明滅する街灯の下で、スクアーロは立ち止まる。
「王国を無くした王は、王じゃなくなると思うかぁ?」
「・・・・・・」
電話の向こうの、重い沈黙。
このまま切られるな、と予想したスクアーロだったが、意外にも返答があった。
「だからてめぇはカスなんだ」
感情のこもらない平坦な声。
「国なんてものは所詮、人間の集まりだ。そして上に立つ者の周りには奉仕したがるカスどもが集まってきやがる。払っても払ってもな」
「そうか」
「真の王の周りには勝手に人が集まる。人がいればそこは国だ。だから王が国を無くすなんてことは起こりえねぇんだよ」
分かったかクズが、と吐き捨てるような言葉を最後に通話が切れた。
気分屋のボスは、少なくとも今この瞬間は、どうやら機嫌が良かったようだ、とスクアーロは思う。十分後にどうなっているかは誰にも分からないが。
そういえば最近気づいたが、XANXUSとの電話には、終わりの挨拶というものがあったためしがない。そして常に向こうが一方的に切って終わる。
これも王者の資質なのかもなぁ、とスクアーロは苦笑いする。携帯電話を閉じてまた石畳の上を歩き出した。
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To Be Continued...
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後書き(文字反転)
ここまでお付き合いくださりありがとうございます(深々)
次回、最終回です。
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