『眠りにつく子ども -Kind im Einschlummern-』
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二度ノックをして応接室の扉を開けたとき、部屋の中に主の姿は無かった。いや、正確には無いように見えた。
「恭弥?」
中庭に面した窓は一つだけ開いていて、色の薄いカーテンが午後の風に吹かれて波打つようにはためいている。室内で動きのあるものといえばそのカーテンと、来訪者に気づいてか、執務机の上から飛び立ってこちらに舞い降りてきた黄色い鳥だけ。
執務机の上に目をやると、今しがたまで主がいたことを示すかのように広げられたままの帳簿と白いマグカップ。散らばった幾本かのペン。赤と黒。几帳面な部屋の主は、帰宅するときはいつもこの机の上をきれいに整頓する。それをよく知っているディーノは、人懐こく頭の上に乗ってきた黄色い鳥を連れて、そのまま部屋の中央まで進み出た。すると、入り口からは見えなかった応接用ソファの上に横たわる人物の黒髪が目に入る。
(いた)
部屋が無人ではないことは気配から分かっていた。驚くことなく首を伸ばして窺うと、ソファに痩躯を仰向けに投げ出して肘掛けを枕代わりに頭を乗せ、小さく寝息を立てている教え子の姿が見える。僅かに上下する白い学生服のシャツの胸の上には、右手を掛けてしおりのように指をはさんだまま伏せられた文庫本。左腕はソファからこぼれ落ちている。
どうやら本格的に午睡をむさぼろうとしていたわけではなく、風紀の仕事の合間にソファに横になって本を読んでいたら眠ってしまった、というところらしい。足音を忍ばせてそっと回り込み、文庫本のタイトルを読もうとしたが、それは難解な日本語の漢字で書かれていて、意味を理解することは叶わなかった。日本語の会話をほぼ不自由なく操るディーノは、ある程度の漢字も読むことができたが、すべての漢字を読むことはやはり簡単ではない。
(・・・・・・)
鳴きわめくようなセミの声が、遠くから幾重にもなって耳に届く。
それ以外は、とても静か。
仕事で来日するときは、可能な範囲で弟分のツナの家と、そして教え子の雲雀のいるこの応接室に立ち寄ることにしているディーノである。もちろん時間が取れないことも多々あったが、今回は商談の日よりも一日早く、つまり今日、来日することができた。明日は午前中から忙しくなる予定だが、今日はオフだ。午後便で空港に降り立ったディーノは、荷物を部下に任せて、その足でロマーリオの運転する車でここ並盛町までやってきた。
ロマーリオは、ディーノの腹心であると同時に、雲雀の部下である草壁の友人でもある。ディーノが彼を同伴してこの町にやってきたのは、そんな部下に対する心遣いでもあった。そのロマーリオは、ディーノを応接室の前まで送ったあと、今度はパトロールに出ているという草壁を迎えに再び車に乗り込んで去っていった。
彼が「草壁拾って、すぐに戻るからな。ボス」と言い置いていったのは、ディーノを一人にしては雲雀に修行をつけるどころではない状態になるのを分かっているためだが、そうとは知らないディーノは、「ゆっくりしてこいよ」などと優しい言葉を掛けて往年の部下を苦笑いさせた。
壁に掛けられた丸い時計を確認すると、約束の時間よりも十五分ほど早かった。時間より早く着いたのに起こすのはかわいそうだな、と目覚める気配のない顔を見ながら考える。日に焼けにくいのか、夏の盛りにも関わらず色の白い顔と、影を落とす黒く長いまつげ。少しやせたようにも思ったし、少し背が伸びたようにも思った。部屋に侵入者があっても目覚めないのはマフィアとしては無防備だが、彼はまだマフィアではないのだから、と思い直す。
ソファから離れて、雲雀がいつも座っている執務机の椅子に腰掛ける。黒い革が貼られた回転椅子は高いものではないことが座り心地から分かった。普通の町の公立中学校の備品なのだから当然だろう。冷やりとした合皮の椅子に深々と腰掛けて背もたれを揺らしながら、ディーノはあごを上げてくすんだ色の天井を見る。
今はまだ、この学生が占拠するには十分すぎるほどに広く豪華な部屋が、彼の居場所。
しかし、そう遠くない将来、彼はもっとずっと大きく広い世界に船出し、もっとずっと豪奢で立派な椅子に座ることになるだろう。
それは雲雀がその才覚からボンゴレの守護者に選ばれてしまったことに起因し、また、彼自身が望むことでもあるはずで。
自分にできるのは、このはねっかえりの教え子が傷ひとつでも少なく、その大海に乗り出していけるようにサポートすることだけ。
ディーノの頭を離れた黄色い鳥が、部屋の中を放物線を描くように飛んで、主人の身体の上にとまった。片翼を広げてくちばしで毛づくろいをするような仕草を見せるが、雲雀はまだ目覚める気配を見せなかった。その眠りはふと不安にさせられるほどに静かだったが、よく耳を澄ませば、規則正しい寝息を立てているのが聞こえた。
開放された窓から吹き込む風は柔らかく、それはなぜ雲雀がエアコンを入れずに窓だけを開けているのかが考えなくても分かるほどに心地よかった。ディーノはふわあああ、とあくびをする。
日本にはつい数時間前に到着したばかり。空港で遅い昼食を食べて腹もいっぱい。慣れているとはいえ時差ボケも無いわけではない。一日早く来日するための予定繰りでここ一週間ほど忙しくしていたこともあり、正直少し、眠かった。
(少しだけ)
重くなり始めたまぶたに逆らわず、ディーノはグリーンゴールドの双眸を閉じて執務机の上に組んだ腕の中に顔をうずめた。
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「あれ」
下校の準備をして、同じく帰宅する獄寺、部活に行く山本と三人で校舎を歩いていたツナは、階段を下りようとしてふと顔を上げた。
「どうしました、十代目?」
階段を降りるときは常にツナの数歩前を歩く。そんな独自ルールを己に課しているらしい獄寺は、すでに二、三段降りかけていた階段の下から立ち止まったツナの顔を見上げた。
「あそこって応接室だよね」
普段は前を通ることのない、廊下の先の応接室。主の性格を表すかのように、いつもきちんと閉められている扉が、今日は半分ほど開いていた。
「開けっ放しなんて珍しいな。ヒバリいねーのかな」
ツナの隣にいた山本がのんびりと言う。本来ならば草壁や了平と共にこの春に卒業したはずの雲雀は、しかし以前ほど頻繁にではないにせよ、相変わらず並盛中学校の応接室を根城にしている。きっと中学校に在籍するしないに関わらず、単に使いやすい書斎として一生使い倒すつもりなのだろう、というのが、先日、ツナたちの間で出された結論だった。
「うーん、いないならカギ閉めてるはずだから、ヒバリさんいると思うんだけど」
普段とは違う様子がなんとなく気にかかったツナが立ち去るのを躊躇していると、彼よりも頭二つ分以上背の高い山本が軽い口調で言った。
「じゃ、閉めといてやっか」
言うなり、さっさと応接室に足を向ける。ツナが慌てたようにその後を追うのを見て、獄寺も急いで付き従った。
「お」
足の長さの違いもあって、先に応接室の前に着いて何気なく中を覗き込んだ山本が、意外そうな声を上げた。
「え、なになに」
その脇の下から、三人の中では一番小柄なツナが、ひょいと顔を覗かせる。そのツナの頭の上から、好奇心を抑え切れなかった獄寺も顔を突き出した。
「ほら」
「げ」
「わ」
身長順に上から山本、獄寺、ツナと、応接室の中から見ればまるでトーテムポールのように縦一列に並んだ顔。そのそろった目線の先には。
「ディーノさん!」
声を上げたのはツナ。今日来日することはもちろん聞いていて、夜にリボーンと共に夕飯を一緒にする約束もしていた。そして雲雀はそのディーノの教え子なのだから、いま彼がここに来ていること自体には何の違和感も無い。無いのだが。
「・・・なんであいつら二人とも寝てんスか?」
「さあ・・・」
「かなりレアな絵なのな」
応接室の中央まで進み出た三人の目に入ったのは、執務机の上で伏せているディーノと、ソファの上に横たわる雲雀。同じ部屋の中で二人の人間がそれぞれ好き勝手に昼寝をしている、というのは、なかなかシュールな絵だった。
「うっしゃ」
なにかを思いついたような悪戯顔で、山本が足音を立てないようにしながらそっと応接室の奥に踏み込む。大きな花瓶に差してあった、旬のひまわりの茎を持って、花の部分を短く手折った。
「おい野球バカ!なにしてんだよテメーは!」
温厚なディーノはともかく、雲雀を不用意に起こしてはただでは済まない。ここにいる全員が血を見ることになる。焦って小声で諭す獄寺を振り返って、山本は「シー」と唇に一本指を当てて悪戯っぽく片目をつむる。
手折ったひまわりの花を二つ持って、まずは執務机にうつぶせて眠るディーノに近づき、その鮮やかな金色の髪にひまわりを一つ、差した。少し離れた場所に立つツナと獄寺を振り返り、歯を見せた笑顔でピースサインを送ってみせる。
(ぶっ!)
思わず吹き出しそうになったツナは、慌てて両手で自分の口をふさぐ。横目で隣に立つ獄寺の顔を見ると、心底呆れたという顔を作りながらもやはり笑いをこらえているのか、片手で口を押さえていた。
お次は、とばかりに、よりいっそう足音を忍ばせてソファに近づいた山本は、仰向けになって眠る雲雀に手を伸ばした。手に汗をにぎり、固唾を呑んで成り行きを見守るツナと獄寺。艶のある黒髪に黄色いひまわりの花が鮮やかなコントラストで飾られようとした、そのとき。
「なにしてるの」
「ぎゃ!」
熟睡していると思われた雲雀の口から、突然冷静な言葉が発された。思わず飛びずさった山本に、す、とまぶたをあげた雲雀の黒い瞳から発される剣呑な光が突き刺さる。
「あ、いやあの、これは」
「寝込みなんて襲わなくても」
だいぶ前から覚醒していたことを窺わせる落ち着きで、ソファの上で半身を起こした雲雀は射すくめるような目で山本と、そして冷や汗を垂らすツナと獄寺を見た。
「いつでも殺してあげるのに」
「えーと、遠慮しまーすっ!」
言い投げて、ひらりと手を振るやいなや脱兎のごとく走り出す山本。もちろん、共に逃げ出すツナと獄寺。その後を追うことはせず、雲雀はソファに座り直して、呆れた顔で執務机を見る。
「あなたも、いつまで寝たふりしてるつもり」
「・・・えーと、あいつらがいなくなるまで?」
むく、と机から上半身を起こして、髪に黄色い花を飾ったディーノが笑う。そのひまわりのように邪気の無い笑顔を見て、雲雀はため息をついた。
「おひとよし」
「かわいいイタズラだろ?」
「どこがかわいいの。バカバカしい」
小さくつぶやいて腕を伸ばし、山本の手から放り出されてソファの上に落ちていたひまわりの花を拾い上げる。
「その脳天気な頭に、もう一本差しとけば」
「遠慮します」
苦笑いするディーノから目をそらして、雲雀は漆黒の双眸を細めてもう一度、ため息をついた。
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THE END
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