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『不思議なお話 -Kuriose Geschichte-』

白い床。白い壁。白い天井。窓はない。

そんな無機質な立方体の小さな部屋の中。安物のパイプ椅子に姿勢を崩して座る僕と、正面のドアをノックして入ってきた彼の視線がぶつかる。

「こんにちは」

部屋に入ってきた彼は、なまりのある英語でそう挨拶した。
僕は黙ったまま、目の前に立つ相手を観察する。

少し茶色い髪。琥珀色の瞳。やや細身。外見的に目立った特徴のない今日の面会相手は、ただ、とても緊張しているように見えた。

僕はといえば、もともとまったくと言っていいほど人見知りをしない性格だからなんてことはない。だいたい、まるで会ったことのない相手に緊張のしようもなかった。

今日は久しぶりの面会だ。彼の名前は教えられていない。素性も、年齢も、何もかも。
僕に与えられる情報は、今この目の前に立つ相手の姿。ただそれだけ。

「もしかして新しいカウンセラー?」

僕とほとんど変わらない年に見えるから、いいとこ高校生ってところだろう。カウンセラーにしては若すぎる。
だからまさかな、と思いながらも、相手がなかなか口を開こうとしないので、挨拶のつもりで話しかけてやった。

「あ、ううん」

僕の方から話しかけられたことで、緊張で引きつっていた彼の顔が僅かに緩む。

「だよねえ」

相手の警戒心を解く目的で、作りものの笑顔を浮かべながら僕は椅子の背もたれに背を預ける。
華奢なパイプ椅子が、僕の体重を受けて悲鳴のような音を立てた。

「カウンセラーが代わったんだ」

なんとか会話らしきものが始められて少し安心したのか、彼が言った相槌のようなセリフに僕もにこにこしながら返す。

「うん。前のカウンセラー、僕と話してるうちに自分の自殺願望かきたてられちゃったみたいでさ」

「え?」

それを聞いた彼は目を細める。

「まあ未遂だったみたいだけどね。だからまた新しい人来たのかなって。もう何人目だっけ、数えてないけど」

生まれ育った街で普通に学生やってた僕が、ある日突然現れた黒服の男達に連れられてこの施設に来てから。
医者やら学者やらその他わけの分からない黒服たちやら、が僕の周りをうようよし始めるようになってから。

もうすぐ二年が経つ。

日々、妙な実験やらカウンセリングやらを受けているし、薬も少しだけど飲まされているし、僕の母国語をしゃべる家庭教師がついて学校で習うような勉強も一応しているしで、こう見えて毎日結構忙しい。

「僕さ、遺伝子異常なんだって」

「遺伝子?」

自己紹介代わりにそう言うと、彼は怪訝そうな顔をする。
誰からも聞いていないのだろうか。

「学者のオッサンたちが言うにはね。先天性の遺伝子異常があって、このままだと近い将来取り返しのつかない犯罪を犯す確率が八割超えてるんだって。これって完璧に異常値なんだって。遺伝子検査なんて受けた覚えないし、なんでそんなこと分かったのか不思議なんだけどさ」

「それは」

彼は眉間に僅かにしわを寄せて、なにかを言いかける。
だから僕は言葉を切り、黙って彼の言葉を待つ。

でも結局、彼は開きかけた口を閉じて唇を噛んだだけだったから、僕は小さくため息をついた。

「・・・だからこんな施設に収容されて、凶悪犯罪者にならないように毎日トレーニングしてんの。僕はそういうのあんまり信じてないけど。ねえ、立ってないで座れば?」

ドアを背にした彼は、言われて初めて自分が立ち尽くしていたことに気づいたようだった。
慌てたように首を横に振る。

「今日は、もう」

「ふーん」

少しだけ残念だと思う、それが自分でも意外だった。
学校を辞めてここに来てから、会う人間は大人ばかりで。同年代と話すのが久しぶりだったからかもしれない。

この施設は本当に馬鹿みたいに広くて、敷地内にジムも運動場も図書室も菜園もある。小さなプラネタリウムまである。こんな巨大な施設に僕以外に「患者」がいないことと、テレビとインターネットが制限されていることが少しだけ不思議ではあったけれど、正直、不快な生活ではなかった。

でもまだ一人で外には出してもらえない。暑いのとか寒いのとか人ごみとか嫌いだから別にいいけど。

「ねえ」

きびすを返す彼の背中に声を投げた。彼は立ち止まって振り向く。

「また来る?」

首をかしげて問う僕の言葉に、彼は少しだけ目を見開いた。驚いたようだ。
実は僕も、自分の口をついて出た言葉に少なからず驚いていた。

ゆっくりと、言葉を選ぶようにして彼は口を開く。

「来ても、いい?」

「うん。いいよ」

気安くうなずく僕。

「じゃあ、また」

「うん」

「今度はなにか甘いものを持ってくるよ」

彼は僕の甘いもの好きを知っているようだった。
施設の誰かに聞いたのだろうか。きっとそうだろう。なんといっても、僕と彼とは初対面なのだから。

ここでは、大脳生理学だか何だかの観点から食事も厳しく管理されているから、自分の好きなものを好きなときに食べることはできない。でもちょうど半年くらい前から、差し入れについては中身を確認された後ではあるけれど、原則オッケーになった。

それでも、手土産を持って僕に会いに来る人間なんてほとんどいないからそのチャンスはとても少ない。
だから僕は、彼の再訪がまた少し楽しみになった。

「ねえ、リクエストしていい?」

「あ、うん」

彼はうなずく。そして少し迷うようなそぶりをしてから、口を開いた。

「もしかして、マシュマロ?」

「へ?」

僕は首をかしげた。

「ううん、できればチョコトリュフがいいな。マシュマロはあんまり好きじゃないんだ」

「・・・そうなんだ」

それを聞いた彼は琥珀色の瞳を瞬かせる。

「・・・未来が変わり始めてる」

「え?」

「ううん、なんでも」

そう言って、彼は初めて、口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「トリュフだね。分かった。必ず」

「ありがとう。待ってる」

笑ってうなずく僕の顔を最後にじっと見て。
茶色い髪の彼は小さく頭を下げると、ドアを押し開けて外に出て行った。

今はまだ、僕の手の届かない外の世界へ。
そして僕はまた、一人になる。

(電車とか、乗りたいな)

久しぶりにそんなことを思いながら。
僕はまた背もたれに体重を掛けてキイキイと椅子をきしませた。

THE END
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※コミックス30巻収録標的282「EPILOGUE」より。
自分の解釈(30巻感想その2参照)を元にしています。

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