『暖炉のそばで -Am Kamin-』
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「おとといサメを食った」
黒い革張りの椅子に腰掛け、マホガニーのデスクに肘をついて本のページをゆっくりと繰っていたXANXUSが、前触れもなくそんなことを言い出した。
初秋にしては肌寒い夕暮れの執務室、傍らの暖炉にはすでに火が入れられている。顔を上げてつい先日二十代最後の誕生日を迎えたばかりの上司を見ると、その紅玉の瞳は相変わらず本のページに落とされたまま。視線はこちらに向けられてはいない。
独り言のようにも聞こえたが、この部屋には彼と自分しかいないうえに、その発言の内容からして自分に話しかけたと考えるのが妥当だろう。反応しなければ無視したことになるし、そうなれば次に飛んでくるのは横暴パンチか理不尽キックか問答無用ラリアット、もしくはその全部だ。
「そうか、どうだった」
ものの一秒と掛からずにそこまで判断して、スクアーロは読んでいた書類を座っているソファの肘置きに置いて言葉を返す。念のために、XANXUSの攻撃射程範囲と物を投げつけられた場合の入射角を計算することも忘れない。
「クソ不味かった」
つぶやくように言って、XANXUSは本のページをまた一枚めくる。何の本を読んでいるのかは分からないが、この謎の会話を通じて彼が言いたいことはおそらく「ヒマ」の二文字に絞られる。要するに手元の本がつまらないのだ。
読みたかったという本を取り寄せて、珍しく機嫌の良さを隠そうともせずに表紙を開いたところから見ていたスクアーロは、彼がその落胆を今まさに静かな怒りに変えていることもまた、よく分かった。軽く失望しているのに違いない。期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときの反動もまた大きくなる。
普段の行動は口より二歩も三歩も先に手が出る短絡さなのに、ときおり見せるこの訴えとも呼べない妙に回りくどい意思表示。おそらく彼は、少し疲れているのだ。ちなみにこの行動パターンはどこかの王子と共通している。
「台北で食ったフカヒレは美味かったとか言ってたじゃねぇか」
「サメは嫌いじゃねえ。店が悪かった」
それはご愁傷様、で終わらせてはこの気まぐれなボスの怒りは収まらない。スクアーロは素早く頭をめぐらせる。
「夕飯は予定あるのかぁ?」
「ある」
言って、XANXUSは小さく鼻を鳴らした。
「沢田が取り巻きを連れて来やがる」
「ああ・・・」
不機嫌の本当の理由はこれか、とスクアーロは合点がいった。
昔のようなあからさまな敵対関係はさすがに無いものの、ここの関係は相変わらずの綱渡り状態だ。沢田綱吉の方は、辛口のマーモンいわく「天然ことなかれ主義」の性格なのでさほど気にする様子でもないが、XANXUSの方はそうはいかない。嫌い憎い、というよりは毎度調子を狂わされるので少なからず苦手に思っているようだ。もちろん本人は苦手意識など到底認めようとしないだろうが、両者の間に、他ではあまり見られない珍しい化学反応が起きていることは事実だ、とスクアーロは密かに考えている。
そして、今夜のどうやら逃げられない会食。その穴埋めにと取り寄せたとっておきの本が期待に反してつまらなかったものだから、いま彼は余計にイラついているのだ。
パズルのピースがぴたりとはまるように得心がいき、内心うなずくスクアーロ。ついでに、自分に連絡が来ていないことで、その「取り巻き」に不肖の弟子が含まれていないことが分かり少しだけ不満に思う。おおかた、あの銀髪の右腕か落ち着きのない牛小僧あたりだろう。
「明日は」
「何もねえよ」
長い指でなぞるようにページの端に触れているXANXUSの目は、おそらくもう文字を追ってはいない。
「サメ料理のリベンジと子羊料理の美味い店。どっちがいい」
提示された選択肢に、XANXUSはようやく顔を上げた。紅玉と灰銀の視線がかちあう。
互いにとって魅力的な企みに乗ろうとするとき、人はいつでも悪巧みをする子ども同士のような目になる。
「ラムTボーンステーキ」
「分かった。とびきりの店を予約してやるから明日まで我慢しろ」
返答は無かったが、それは肯定の合図だと分かった。会話が終わる。
「そんなにつまらないのかぁ?その本」
柱に取り付けられた重厚な造りの掛け時計が六の刻を告げる頃、書類を確認し終わってソファを立ったスクアーロはふと尋ねる。XANXUSはとっくに表紙を閉じてデスクの脇に押しやってしまっていた分厚い本を横目で見た。
「つまらねえなんて一言も言ってないだろうが」
「でも、つまらなかったんだろ?」
「まあ、クソだな」
淡々と言って、XANXUSは唇を曲げて少し笑った。
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THE END
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