« REBORN(リボーン)標的344の感想(ジャンプ(WJ)2011年31号) | トップページ | 『春のつぼみ』(花&京子小説) 後編 »

『春のつぼみ』(花&京子小説) 前編

自分の名前が嫌いだった。

花のようにかわいい女の子に育つように、という親の願いは痛いほど分かっていたからほとんど口には出さなかったけれど、自分にあまりにも似合わないと思えるその名前が嫌いだった。名前を褒められることすら嫌だった。

「かわいい名前だね」

だから、中学に入学して数日たったある日、教室で彼女にそう声を掛けられたときも、「嬉しい」という感情は微塵も湧かなかった。そして次に言われた言葉が私の心をさらに硬化させた。

「花ちゃんって呼んでもいい?」

「悪いけど、黒川って呼んで」

ほとんど反射的に言ってから、しまったと思った。
まるで、なれなれしくしないでって言ってるみたいだ。そんなつもりじゃないのに。

とっさの感情があまり顔に出ないらしい私は、黙っているとただ不機嫌そうに見られることも自覚していた。怒っているの、と聞かれて驚いたことさえある。急いで言い訳の言葉を探していると。

「うん、じゃあ黒川さんって呼ぶね」

あっさり頷かれて、拍子抜けした。
私がいま頭の中でぐるぐる考えたことなんて、なにも気にしていないんだ。

安堵に胸をなでおろすのと同時に、実はそこまで関心がないってことかな、どうでもいいのかな、なんてチラリと思ってしまう。そんな穿った気持ちも何もかもやっぱり顔に出ない私に、その子は屈託のない笑顔で言った。

「私、笹川京子。京子でいいよ。仲良くしてね」

あ。
もしかしていい子なのかも。

すぐに先回りして予防線を張って距離を取ってしまう、たぶん考えすぎな私の心の殻に。
小さな穴が開いた瞬間だった。

その「京子」は、入学した一週間後には校内でちょっとした有名人になっていた。

一年にとにかくかわいい女子が入ったという噂はあっという間に学校中に広まって、休み時間になれば他のクラスの生徒や上級生が入れ替わり立ち代わり教室に見に来る。廊下を歩けば振り返られる。下校時間になれば部活の勧誘がひっきりなしにやってくる。男子からも女子からも注目の的。

本人は何もしていないとはいえ、入学早々これだけ目立っていればどこかで反感を買いそうなものだけど、どんな相手にもわけへだてなく接する優しい性格のおかげで、「京子」は自然と誰からも好かれる人気者になっていった。その様子を、私は少し遠くから、「学校のアイドル」なんておとぎ話のお姫様のような存在が現実にいるんだな、とほとんど感心しながら見ていて、そして同時に思った。明らかに苦手なタイプだと。

「いい子」なんだと思う。
でも「いい子」だから仲良くできるわけじゃない。

あの日確かに開いたはずの穴に気づかないふりをして、私から彼女に話しかけることはなかった。同じ小学校から上がって来た子も多いから新しい友達をガツガツ作る必要もなかったし、もともと子どもが苦手だったから、その周りに愛される裏表のない無邪気な振舞いから受ける印象も、彼女から距離を取る言い訳になった。

愛らしい笑顔。女の子らしい仕草。ふんわりした優しげな雰囲気。
そう、「花」なんて名前が似合うのは、こういう幼げで無邪気な子だ。そして自分とは合わない。そう思った。

なのに。

「黒川さん」

ホームルーム後のざわつく教室で、さて帰るかとバッグを手に席を立った私に、その「京子」が声を掛けてきた。いつも誰かに腕を引かれて人の輪の中心にいる彼女と話をするのは、初めて言葉を交わしたとき以来、数日ぶりのことだった。

「えっと、京子、ちゃん」

呼び捨てにするのは何となく気が引けて、少し迷った末に「ちゃん」付けした。そのことで見るからに女の子らしいこの子が傷ついたりしないといいけどな、と表情を伺ったけれど、そこにあったのは最初に会ったときと同じ、なにも気にした様子のない素直な笑顔だった。

「部活見学、行く?」

「あ、部活には入らない。つもり」

本当は少し迷っていた。でも続けている習い事もあるし、いずれ受験が近づけば塾にも通うだろうから部活には入らない。そう正直に言って首を横に振った。

「そうなんだ。実は私も入らないつもりなの」

教室の隅でテニス部だ家庭科部だ運動部のマネージャーだ、と盛り上がっている女子達の輪を肩越しにそっと振り返って、彼女は少しはにかんだような笑顔を見せ、ささやくような小声で言った。

「良かったら一緒に帰ろう」

その日、帰り道で何を話したかは、もうほとんど忘れてしまった。
でも今でも鮮明に覚えていることが、二つだけ。

その恵まれた容姿についての噂ばかりをよくされている彼女が、実はとてもきれいに響く澄んだ声の持ち主だと気づいて自分にしては珍しく、羨ましいと思ったこと。

そして誰とでも仲良くなれそうに見える彼女が、その鈴を転がすような声で何気なく言ったまだ親友と呼べるほど仲のいい友達がいないんだという言葉に、自分との共通点を見つけたような気がしたこと。

「親友」

その選別的で誇らしげな響きを背負うことを、その時の私はまだ重荷に感じていた。

新しい世界につま先を踏み入れるには、いつも振り絞らんばかりの勇気がいる。
自分色に完成された心地いい世界。そこを出て冒険する必要がどこにあるのか。答えが見つからないままに踏み出してみる無鉄砲な勇気は、私にはなかった。

数週間後。

「わ」

一時限目終了のチャイムが響く中、名前の横に赤ペンで書かれた「100」の数字に、小さく声が出た。

「頑張ったな、黒川」

思わず笑顔がこぼれる自分を見て、答案を手渡した先生が優しく頷いてくれる。全体の成績は良い方だけど暗記科目は少し苦手で、入学後何度か行われた歴史系の試験ではいつも平均点を超えるか超えないか、といった微妙なラインだった。そのうえ、今回の小テストは難しかったとみんながぼやいていたのも知っていたから、なおさら嬉しかった。

ノートに自作の年表を作って人名をまとめて、基本問題も応用問題も繰り返し解いた甲斐があった、と目の下にできた薄いクマを触りながら思う。席に戻り、答案を丁寧に折りたたんでクリアファイルにおさめた。

その嬉しさがあっけなく砕かれたのは、帰りのホームルームの時間だった。

ホームルーム開始のチャイムが鳴る。慌しく席に着く足音、椅子を引く音、放課後を目前にして少し浮ついたようなざわめきの中、いつになく険しい顔で教室に入ってきたのは担任と、そして社会の先生だった。担任でもない先生がどうしたんだろう、という戸惑いの空気が漂う。教壇に立った担任は厳しい顔つきで教室を見渡し、開口一番、こう言った。

「歴史の小試験の問題が、一部無くなっていたことが分かった」

一瞬の沈黙の後、その言葉の意味を理解して教室に驚きの波紋が広がる。机にひじをついて手のひらにあごを乗せ、カンニングだなんてバカなことをする奴もいるんだなあ、なんてぼんやり思っていた私がふと目を上げたとき、先生ともろに目が合った。

(え?)

心臓が大きく脈打った。驚いてまばたきをする。でも気のせいじゃない。自分を注視している、ほとんどにらみつけるような視線。
最初はまったく意味が分からなくて困惑したけれど、ある可能性に思い当たって、顔から血の気が引いた。

(もしかして、疑われてる?)

「無くなったと考えられるのは一昨日の放課後だそうだ。心当たりのある者は職員室に来なさい」

言いながらも、先生はずっと冷たい目で私を見てる。
いつも平均点ぎりぎりの私が急に満点を取ったから?
冗談じゃない。満点を取れたのは、ちゃんと勉強したからなのに。

決め付けられた悔しさに唇をかんだ。まだ馴染みきらない教室でお互いを探りあうようなどよめきが収まらないまま、ホームルームが終わる。教室を出て行く先生をつかまえて、言ってやりたい言葉が胸の中に次から次へと湧きあがってくるのに、一つとして言葉にならない。胸の奥から感情のカタマリが遠慮もなしにぐいぐいとせり上がってきて呼吸が苦しくなる。気を緩めたら漏れそうになるのは、情けないことに嗚咽だった。

机の下で握り締めたこぶしが震える。やばい。泣きそう。

髪を伸ばしていてよかった。長い髪をさりげなくかきあげるふりをして顔を隠して、ノートもペンケースも出しっぱなしで席を立った。誰にも気づかれないように平静を装ってドアに向かう。

「黒川さん?」

背後で誰かの声がしたけど、振り返らずに教室のドアを引き、ひとり廊下を走った。

To Be Continued...
***********************************************************

後編に進む>>

原作:ネオさま
書いた人:ねじまき鳥

●小説部屋の目次へ

|

« REBORN(リボーン)標的344の感想(ジャンプ(WJ)2011年31号) | トップページ | 『春のつぼみ』(花&京子小説) 後編 »

●03-2.小説部屋」カテゴリの記事