学校から帰宅してベッドにカバンを放り出してついでに自分も放り出して寝転がって少し漫画を読んで、やっと制服を脱いで着替えてゲームの電源を入れようとしてなんとなくやめて、そして今ひとりその紙きれと向き合っている。
勉強机の上に広げられたA4用紙の一番上にそっけなく記されているのは”進路調査票”の文字。
進学か就職かの希望および将来なりたい職業を書くこと、提出は春休み明けに、と担任に告げられたときに教室内に漂った戸惑いの空気が思い出された。泣いても笑っても来年度は受験生、そして卒業の年だ。
「なりたい職業」については、小さい頃の夢を思い出してみたり、お父さんやお母さんのお仕事を参考にしたりするのもいいでしょう、というのが担任の言葉だったが、そう言われても小さい頃の夢は巨大ロボだし母さんは主婦だし父さんはアレだし。
(僕の父さんはマフィアのNo.2です。だから僕も将来は立派なマフィアになろうと思います)
「って、書けるかーーー!」
思わず声に出して叫びながら握り締めた両こぶしを机に打ち付ける。机上に散らかったペン類が跳ねてばらばらと転がった。荒唐無稽という意味では巨大ロボもマフィアも大した違いはない、どちらも確実に職員室呼び出しレベルだ。だいたい将来のことなんてまだ真剣に考えたこともない。地を這っていた成績は鬼の家庭教師の指導と赤点を取ったら即銃弾が飛んでくる環境のおかげで若干ながらも上向き傾向で、選り好みしなければなんとか高校には行けそうだという状況。ツナにしたらそれでもう充分すぎるほどに充分だった。高校を出てからのことは高校に入ってから考えればいいじゃん、と思ったところでハッと気がつく。
(オレ、高校行っていいんだよな・・・?)
根っからのマフィア関係者の獄寺やロンシャンはまだ分からないが、自分は山本や京子ちゃんといった周りのクラスメイト達と同じく、当たり前のように高校生になるつもりでいた。だが常識のまるで通用しない家庭教師が内心何を考えているのかは相変わらず読めないし、中学卒業と同時にイタリアに連れて行かれるなんてことは。まさかそんなことは。
(絶対ない、なんて言い切れない!)
血の気が引くツナの視界の端に、つい先日「読んどけ」と命令されたばかりの本の山が映る。題して『はじめての資金洗浄』、『サルでも分かる闇社会構造』、『栄光のイタリアン・マフィア』などなど。タイトルからして手も出したくないし、『図解☆拷問のすべて-決定版-』に至ってはオールカラーの豪華製本で、うっかり二、三ページ繰ってみただけでその血なまぐささにめまいがして慌てて閉じてしまった。恐ろしすぎる世界だ。ましてや自分がそんな組織のボスになるなど。
イヤだ。改めて考えてみてもイヤだイヤだイヤだ。ぶんぶんと頭を振りながらの全否定。勉強机の椅子に座ったまま髪の毛に手を突っ込んでうめきながら苦悩していると背後で自室のドアが開く音がした。
振り向くと、姿を現したのは噂の家庭教師。いつも通りの黒服にネクタイ、スーツと揃いのボルサリーノ。その上に鎮座するカメレオン。小さな手には愛用のエスプレッソ・カップと焼き菓子を載せた皿を持っている。
「ママンからだぞ」
クールに言いながら専用の椅子に腰掛けてサイドテーブルに皿を置き、リボーンは皿に載っていたマドレーヌを手に取り指先で器用に割った。半分を自分の口に入れ、もう半分を帽子の上のレオンに差し出す。鮮やかな緑色のカメレオンは嬉しそうに長い舌を伸ばして焼き菓子を巻き取り、口の中に収めた。
「食わねーのか?」
「あ、うん、もらう」
椅子に横座りになったままぼんやりしていたツナは、リボーンに疑わしげに横目で見られて我に返る。慌てて椅子から下りて床に座り、ごまかすように皿のマドレーヌに手を伸ばした。
「なにか悩んでやがるな」
「ぶっ」
マドレーヌを口に入れた瞬間にいきなり言われて、ツナは咀嚼しかけた焼き菓子にむせ返りそうになった。胸をたたきながらリボーンの顔を見ると、隠し事などできそうにない、なにもかもを見通すような眼光で迎え撃たれる。
「間の抜けたツラしやがって。お見通しだぞ」
仕立ての良さそうな黒い帽子のつばの下から覗く瞳が、幼い顔立ちに似合わぬ剣呑な光を放つ。ツナはこの射すくめるような視線が大の苦手だった。味方ならばこの上なく心強いが、こうして相対したときの威圧感は恐ろしいほどで思わず唾を飲む。しかし気圧されていてはいけないと、なけなしの勇気をかきあつめて己を奮い立たせた。
「あ、あのさ、リボーン」
「なんだ」
「オレの、し、将来のことなんだけど」
「ボンゴレのボスだ。それがどーかしたのか」
思いきって切り出した言葉は多少食い気味に即答された。しかしここまでは予想の範囲内といえば範囲内、ツナは気を取り直して話し続ける。
「い、いやあのさ、リボーンがそう思ってるのは知ってんだけどさ、その、オレ来年高校って行っていいんだよねーって」
あははは、と意味もなく乾いた笑いを交えながら恐る恐る問うと、家庭教師は呆れたように丸い目を細めた。
「おまえはどうしたいんだ?」
「え?」
質問で返されるとは思っていなかったツナは、思わず気の抜けた返答をする。
「おまえは行きたいのか?」
「え、あ、うん、そりゃやっぱり・・・」
「どうしてだ?」
「どうして、って」
短く問われてツナは首をかしげる。よほどの事情がなければ中学を卒業したら高校には行くものではないのだろうか。しかし改めて聞かれると、どうもそれだけでは答えとして不十分な気がした。なぜかは分からないが、目の前に座る百戦錬磨の赤ん坊を納得させるには足りないように思えて少し考える。しかしまとまった答えはうまく浮かんできてくれなかった。
「まあいい、それは宿題にしといてやるぞ」
首をひねるツナを見てコーヒーを一口すすりながらリボーンは楽しそうに言う。
「じゃあもしオレが、卒業したら一緒にイタリア行くぞって言ったらおまえはどうするんだ?」
「だ、だからそれはイヤだって!オレはボスなんてならないし!」
イエス・ノーで答えられる質問なら簡単だ。ノー。断じてノー。ここだけは譲らないぞ、という決意で膝の上でこぶしを握りながらにらみ返すと、またカップに口をつけながらリボーンは余裕の表情で言う。
「ボスになれとは言ってねーぞ。イタリアの高校に行きながら9代目の仕事をそばで見るっていうのはどうだ?」
「え」
思いがけない提案にツナは目を白黒させた。
イタリアの高校?オレが?
「どうせおまえ、9代目が何してるかも知らねーのにイメージでヤダヤダ言ってんだろ。ちょっとホームステイしてインターンシップしてくればいいじゃねーか」
「ホ、ホームステイ?インターンシップ?」
「簡単に言えば、近くで仕事を見て来いってことだな」
涼しげな顔で事もなげに言うリボーン。なにやら感じのいいフレーズでまるめこまれ出しているような気がして、ツナは混乱する頭を無理やり整理する。進路票を提出するために言い出した話題がいつのまにかとんでもない方向に進み始めていて、ちょっと待てオレ、ここでリボーンの口車に乗せられたらあとあと大変なことになるからな、と自分で自分に戒めを与えた。
「・・・いやいいよ!9代目に期待させても悪いしさ!」
意地でも「行く」などと言ってはいけない、からめとられる。できるなら一目散に部屋から逃げ出したいくらいだったが、この最強の家庭教師がそんな真似を見逃してくれるとも思えない。自分の部屋なのに、なんだか追い込まれたネズミにでもなった気分だ。
「イヤか?」
「イヤだ!」
「そうか、ならキャバッローネにするか」
「え、は?」
思いつきに思いつきを重ねるような提案に思わず間の抜けた声が出る。発した側のリボーンは相変わらず楽しそうな顔で調子よく続けた。
「それがいいかもな。9代目に比べればディーノとおまえは年も近いし、おまえが今のディーノくらいの年になったときにどうやって仕事を進めればいいかも分かるだろ。まあ手始めに春休みの間だけな」
我ながらナイスアイデア、と頷くリボーン。久しく会っていない優しい兄弟子の輝くような笑顔を思い出してツナは正直心が揺れた。この悪知恵の天才のような家庭教師はこういうところが本当にずるい。このタイミングでこんなカードを切ってくるなんて卑怯だ。すごく卑怯だ。
「ディ、ディーノさんには会いたいけどさ、でもそれでオレをマフィアに入れようったってそうはいかないからな!それとこれとは別!」
「ああいいぞ。別でいいから、何も考えず気軽に楽しんで来い」
「き、気軽にって言われてもオレ、パスポートもないし!」
「心配すんな。こんなこともあろうかと勝手に作っておいた」
「は!?」
なぜかスーツの内ポケットからさらりと取り出したパスポートを、リボーンはツナに向かって突き出す。問答無用といった勢いに反射で受け取ってしまったツナは、物珍しさも手伝って初めて見るパスポートをぺらぺらとめくった。最後のページには確かに自分の写真が載せられていて、いつの間に撮られたのか、なぜ身に覚えのない申請手続がすっかり終わっているのかはまったく分からないままに、急に具体的になってきた「海外旅行」に情けなくもまた少し心が揺れる。
「まあ日本にいたいならそれでもいいぞ。そんなにオレと成績の反省会とねっちょり補習がしたいならな」
「え、なにそれ!春休みでせっかく宿題ないのに!」
いきなりの宣告にツナは驚いてパスポートから顔を上げる。並盛中の春休みは短いながらも宿題がないのが素敵なところだというのに。
「宿題がないからこそ復習と予習に時間をさけるんだろうが。おまえ自分の成績わかってんのか?名づけて弱点徹底強化春休み集中スパルタコースだ。どうだやりたいか?」
「やりたくない・・・です・・・」
「決まりだな。連絡はしといてやるから、春休みはディーノのところに世話になってこい」
とどめを刺すかのようなセリフと共に、リボーンはカップの中身を優雅に干した。
・・・あれ?
「ちょっと待て!なんかイタリア行くことになってる!おまえの言うとおりになってるー!」
「ごちゃごちゃうるせえ奴だな。なにも考えなくていいって言ってんだろさっさと行ってこい」
「待、待てって!待てってばリボーン!!」
・・・という悲痛な叫びが消えるか消えないかのうちに、偽造スレスレのパスポートと数日分の着替えと奈々に持たされた大量のお土産品と共にツナはひとり機上の人となった。
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To Be Continued...
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200万ヒット記念企画・りりさまにリクエストいただいた「『ツナと管理人の好きなキャラ』で、『静かでふっと和むようなお話』」です。
初回騒がしくてすみません。。もう少しおつきあいいただけたら嬉しいです(深々)
(★5/15追記:素敵な挿絵をいただきました!(こちらです♪)★)
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