『神様のしわざ』 (修・遊真・迅・木虎・玉狛etc小説)
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「空閑はハンバーガーが好きだな」
部屋の隅に飾られた大きなクリスマスツリーを眺めながら、まるで自宅のような居心地よさのある玉狛支部のミーティングルームのソファに腰掛けた修は、ふとつぶやいた。
時計は午後四時を指している。夕食には早い中途半端な時間だが、トレーニング中はこの時間に休憩と軽食をとるのが常になっていた。家から持ってきたおにぎりを口に運ぶ修の言葉に、向かいのソファに座って足を揺らしていた遊真はふむ?と唸って小さく首をかしげる。見慣れたファーストフード店の紙袋と飲み物の入ったカップが傍らに置かれていて、ポテトの油の匂いが室内にふんわりと漂っていた。
「ハシを使わなくていい。パンも肉も野菜もいっぺんに摂れる。無駄な時間もかからない。しかも美味い。これはすごい食べ物だぞオサム」
ハンバーガーの美点をすらすらと並べてみせて一人うなずくと、遊真は右手につかんだハンバーガーにまたひとくち噛み付いた。
来たる入隊式に向けて特訓中の修たちの密かな楽しみは先輩であるレイジの作る食事だったが、生憎そのボーダーきっての名料理人は小南、烏丸、宇佐美と共に防衛任務に出ている。林藤支部長も陽太郎と雷神丸を連れて本部に行っていて、いつも賑やかな玉狛支部も今はしんとして静かだ。そんな状態なので今日は弟子三人にも休暇が言い渡されていて、千佳は両親と出かけると言って休んでいた。しかし家にいてもなんとなく手持ち無沙汰になった修が自主練に訪れてみると、同じく自主練に来ていた遊真がいた。そんな経緯で、それぞれ思い思いのトレーニングに励んだあと、この共用スペースに落ち合って一息ついているところだ。
「それにしても多すぎないか」
真面目に思い返してみれば、修の知る範囲でレイジの手料理以外で遊真が口に入れているものといえばほぼ100%ハンバーガーだ。野菜が入っているといっても量が足りないように思う。年頃になってジャンクフードもそれなりに食べるようになった修だが、親の愛情に満ちた手料理を食べて育ってきた身にはどうも心配になる食生活だ。険しい表情になる修を見て、遊真は曖昧な笑みを浮かべながら肩をすくめる。
「正直、あっちでは栄養のことまで考えてられなかったからな」
「そうなのか?」
「親父と旅してたときは、それこそネズミとかカエルとか虫とかも食べてたし」
「……」
「戦争に負けてる国はどこも食糧に余裕はなかったからなあ」
そう遠くもない記憶をたどるように、遊真は天井を見上げて言う。近界民の侵攻を受けているといっても、三門市はそういった物資的な極限状態とは無縁だ。テレビで見かける紛争地域の映像を思い起こしながら、修は遊真の言葉とイメージを重ねようと努力してみる。もちろん、実際にその場に身を置いた経験のある遊真と、教科書やテレビから他人事のような情報を得るだけの自分とでは、そこに大きな隔たりがあると分かっていても。そんな複雑な胸中の修とは裏腹に、どちらかといえば軽い口調で遊真は言う。
「食べられない野草がどれかとか毒キノコの見分け方とかなら自信あるんだけど。ニホンは食べ物がたくさんあって、逆に何を食べたらいいのか分からないな」
「分からないって、じゃあ毎日なに食べてるんだ?」
「だから、ハンバーガー」
「…毎日か?」
「まあ、だいたいは」
恐れていたまんまの回答に修は頭を抱えた。聞けば、レプリカのサポートがあるとはいえ、こちらの世界の作法にまだまだ慣れていない遊真にとっては、カウンターに行って写真を見ながら料理を選んで現金を出せば望みのものが手に入るというシンプルさも魅力らしい。
「確かに腹は膨れるし美味い。けどやっぱり栄養が偏る。成長期だぞ」
意外に食い下がる修を見て遊真はきょとんとした顔になって赤い瞳を瞬かせた。
「いやおれトリオン体だし」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういうこと」
口をとがらせながら反論する遊真に、修は思わず真顔になって言う。
「おまえが成長できるようになったときに。もし身体がちゃんとしてなかったら困るだろ」
眼鏡を押さえながら、それでも真剣な顔で言う修に、遊真は思わず目を見開いた。数秒の沈黙のあと、遊真は小さな身体を揺らしながら笑う。
「それも、そうだな」
でももったいないからこれは食べる、と言いながら最後の欠片を口に入れる遊真に、いや食べるのが悪いわけじゃないから、と修も返す。
「でも、じゃあ何を食えばいいのかってことになる」
咀嚼したハンバーガーをごくりと飲みこんでから、遊真は言う。
「おれは料理はできないぞ」
「それは…ぼくもだけど」
修にしても、両親が家を空けているときに米を炊いたことがある程度だ。二人で頭を悩ませていると、背後で扉が開く音がした。振り返ると、そこに見えたのは飄々とした長身の姿。
「迅さん」
「迅さんおかえりー」
どうもどうも、と人懐こい笑みを浮かべながら片手を上げた玉狛支部の大先輩は、浮かない表情の二人を見て怪訝な顔をする。
「あれ、どうした?」
「いやそれが」
ためらいながらも事情を話すと迅は腕を組んで思案顔になり、やがてふとひらめいたように顔を上げた。
「料理のことならレイジさんだけど、おれも思いついた」
「え、なんですか?」
身を乗り出す二人を見て、迅はニヤリと笑う。
「鍋だ!」
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なんでこうなったんだっけ、と思いながら修は目の前でぐつぐつと沸騰する鍋を見た。
大きな鍋の中にぽつんと浮いたコンブはどこか間抜けに見える。その脇を取り囲むように並んだ皿やボウルの中には、ネギ、白菜、春菊、しらたき、豆腐、豚肉、タラ、鶏団子、牡蠣、きのこ類と、およそ考えうる限りの具材が投入されるのを待っていた。これは何鍋といえばいいんだろうか、と悩みながら覗き込んでいたら眼鏡が曇ったので、少しだけ身を引く。
鍋をするならこれだろう、と迅がどこからか引っ張り出してきたコタツに電気を入れたので、今は修と遊真がそのコタツの二角を占拠している状態だ。角をはさんで隣に座って足を入れている遊真は、コタツに入るのはもちろん見るのも初めてだと言って大いに嬉しそうにしている。
「オサム、これはすごい。足を暖めながら上半身は自由が利く。これはすごい」
手伝いますと再三申し出たにも関わらず、玉狛には玉狛の流儀があるから、とよく分からない理由でコタツに押しとどめられてしまった修は、キッチンとミーティングルームを楽しそうに行き来する迅を見ながら、片付けは絶対にやらせてもらおうと心に誓っていた。その迅は、エプロンと三角巾をつけて野菜や肉や魚を満載した皿を机に届けては、また鼻歌を歌いながら出て行く、そしてまた持ってくる、をかれこれ三往復ほど続けている。さすがに運び役くらいは手伝おうと浮かせっぱなしの腰をまた上げた修の耳に、軽やかな着信音が届いた。自分のものではない。
「迅さん!電話です!」
これをきっかけにと、コタツの脇に放り出されていた迅のスマホをつかんで修はようやくコタツから足を抜いて立ち上がった。修の声に廊下を戻ってきたらしい迅が開いたドアから顔を覗かせる。
「だれからー?」
見ていいんだろうか、と思いながら画面に目を落とした修はそこに表示された名前に目を見開く。
「嵐山さんです」
「おー来たか。さっきメールしたんだよね、ほらコタツって四角いから四人いないと寂しいでしょ?でもおれいま魚切ってるからメガネくんちょっと出て」
「は!?」
嵐山の気さくな性格から何度か親しく言葉を交わさせてもらっているが、修にとって嵐山はまだまだ雲の上の存在だ。えええ、と慌てる修だったが、鳴り続ける電話にとりあえずと通話ボタンをタッチする。
「は、はい!もしもし!」
『もしもし迅…じゃないな。もしかして三雲くんか?』
電話ごしでも分かる爽やかな声音。当てられたことにまた少し狼狽しながら、修は見えないと知りながらもこくこくと首を縦に振る。
「あの、迅さん今ちょっと手が離せなくて。代わりにぼくが」
『あ、いいよいいよ。ありがとう。じゃあ悪いけど伝言頼めるかな』
「はい」
言いながら修はスマホを持ち替えた。普段ガラケーを使っているので、慣れない通話に少し緊張する。
『迅に鍋に誘われたんだけど、あいにく本部に用事があっておれは行けないんだ。すまない。代わりに、』
嵐山が何か言いかけたとき、不意に玉狛支部の玄関チャイムが鳴った。
『あ、ちょうど着いたかな』
迅の愛用する最新機種の優れた集音機能が、電話の向こうにもその音を伝えたらしい。修が振り返ると、コタツを出た遊真がうなずいて玄関に向かった。修もスマホを耳に当てたままその後に続く。
「どちらさまー」
言いながらドアを押し開けた遊真が軽く目を見開く。その後ろから顔を覗かせた修も、驚いて口が開いた。
「失礼するわ」
一筋の乱れもない短い黒髪、凛々しい瞳を真っ直ぐに向けて。片手にケーキ屋のロゴが入った紙袋を提げた木虎藍が、玉狛支部の玄関前で仁王立ちになっていた。
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そういうことだから迅によろしく、と明るい口調で締めた嵐山との通話を半ば呆然としたまま終えた修は、どうぞ、と木虎を招き入れた。要するに迅が嵐山を誘ったが、嵐山は行けないので代わりに修たちと面識のある木虎を派遣したということらしい。嵐山らしい、無邪気で善意あふれるフットワークの軽さだ。しかし男三人でなんとなく緩んでいた空気が、木虎の登場によって良くも悪くもどこかぴりっと張り詰めたように修には感じられた。
「よう木虎」
エプロンに三角巾姿で気安く手を振る迅に瞬間的に眉をひそめた木虎だったが、さすがに礼儀正しく、軽く頭を下げた。つまらないものですが、と言いながら手にしていた袋からケーキの箱を出して迅に手渡す。
「おー来てもらったのに悪いな。ありがとう」
ぼんち揚が主食と言ってはばからないながらも、ケーキ類を初めとする甘いものもいけるという迅は嬉しそうにうなずきながら箱を預かり、まあまあどうぞ、と木虎を優しくコタツにエスコートした。その迅からケーキの箱を受け取った修はキッチンに行き冷蔵庫に箱を収める。木虎が来るのなら千佳も呼べば良かったかな、とふと思いつくものの、久しぶりに両親と買い物に行くと言って嬉しそうにしていた千佳の顔を思い出してあえて連絡しないことにした。いずれ紹介できる日も来るだろう。
そんなことを考えながらミーティングルームに戻ると、コートを脱いで大人しくコタツに足を入れた木虎が、向かいに座った遊真とさっそく小競り合いを始めている。
「足を縮めなさい!コタツでは譲り合うのが常識でしょう!?」
「おれコタツ初めてだもん」
「なら教えてあげるわ!コタツで足は伸ばさない!ぶつけたら謝る!」
「なんかおまえが来たら一気にコタツがめんどくさいものになったな」
「なんですって!?」
「まあまあ」
コタツのマナーをきっかけに舌戦を始めようとする二人に、ようやくすべての具材を切り終えたらしい迅がのんびりと口を挟む。
「二人ともそこまで。楽しい鍋の前にケンカはいけないよー」
言いながらカセットコンロの火を調節して、迅はさっそく菜箸で野菜やきのこを鍋に入れ始める。一時休戦してその手つきを真剣に見始める遊真と木虎。迅が続いて豆腐を入れようとしたところで、修は思わず声を上げた。
「あ」
「ん?どうしたメガネくん」
「あ、いやすみません。豆腐はしいたけの隣に入れた方が美味しくなるかと」
料理に明るいわけではないが、母親が確かそんなことを言っていた気がする。恐る恐る進言すると、迅はそういえばレイジさんもそうしてたな、と思い出すように言った。どうやら切ったり焼いたりといった作業は好きでも、細かい手順には拘らない豪胆派らしい。異論がなさそうなので、修はついでにともう一言添えてみる。
「あと、野菜よりも肉や魚を先に入れた方がいいダシが出るらしいです」
おおーと感嘆の声を上げる迅と遊真。木虎も声こそ出さないものの、少し見直したような顔で修を見ている。戦闘の実力では自分を遥かに上回る三人に揃って感心されて、修は頬が熱くなった。いやこんなことで調子に乗ってる場合じゃないから、とすかさず自分を戒めながらも、修は照れ隠しに眼鏡を直す。
「あの、迅さんずっと働きっぱなしじゃないですか。ぼくがやります」
じゃあメガネくんが鍋奉行だな、とうなずきながら修にお玉と菜箸を差し出す迅。鍋奉行ってなにそれかっこいいね、と笑う遊真。あなたそんなことも知らないの、と呆れたように鼻を鳴らす木虎。三人にじっと見守られながら、大役を任された修は神妙な顔で菜箸を手に取った。
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四人で鍋をつつきながら、修はこれはどう考えても具材が余ってしまうのではないかと危惧し始めていた。とりあえず全部火を通してしまった方がいいだろうか、そしてそろそろうどんの時間だろうかと有能な鍋奉行っぷりを発揮して考えていたところ、玄関の方が急に騒がしくなる。肩越しに振り返った迅が笑顔を浮かべた。
「帰ってきたな」
やがて廊下をどやどやと近づいてくる複数の男女の話し声や笑い声そして足音。ドアが開かれて最初に顔を出したのは眼鏡に髭が特徴の林藤支部長だった。
「ただいま。ありゃ、いいにおいがすると思ったら・・・鍋とはね」
「木虎じゃないか。珍しいな」
「ご無沙汰してます。お邪魔しています」
コートを脱ぎながら入ってきた林藤支部長とレイジに、コタツを抜け出して余所行きの声で挨拶しながら深々と頭を下げた木虎は。顔を上げた瞬間にその背後に立つ人物を見止めて声が裏返った。
「かっ烏丸先輩!」
言うなり、慌てて前髪を押さえて焦ったように周りをきょろきょろし始める。鏡はどこなの鏡は、と小さくつぶやく声が聞こえたが修には意味がよく分からなかった。当の烏丸は、おう、と片手を挙げてみせたあとさっそく鍋の中身に注目している。
「めちゃくちゃ美味そうっすね」
「おおコタツ!でかしたぞ!」
その脇をすり抜けて出て来たのは雷神丸に乗った陽太郎。嬉しそうに叫びながらコタツに向かって一直線に突進する。そのままずぼん、と中に入ったかと思うと中で方向転換したのか雷神丸の鼻先と陽太郎の頭がまたずぼん、と出てきた。その後ろから入ってきた小南と宇佐美の女性陣はまずコタツに驚き、鍋に驚き、木虎に驚き、そしてまだ具材が大量に残っていることまで確認すると、にんまりと笑って手を打ち合わせた。
「今日の夕飯は決まりだね、こなみ」
「迅さん、この未来が見えてたから具をこんなに用意したんですか?」
こっそりささやく修に、迅は笑ってウィンクする。
「まあね。便利な能力だろ?」
「陽太郎ちょっと詰めてよ!あたしの入る場所がない!」
「俺の隣あいてますよ先輩」
目上の林藤とレイジが着替えてくると言い残して部屋を退出したのを確認して、すかさずコタツに滑り込んでいた烏丸が真面目な顔で言う。うろたえる小南に、すみませんウソです、と言いながら烏丸がコタツの布団をめくると、いつの間にか移動していた雷神丸と陽太郎がすでに烏丸の隣を占拠していた。心地良さそうに目を閉じている陽太郎があくびまじりに口を開く。
「わるいなこなみ。ここはおれのばしょだ」
「またダマした!」
「まあまあ座りなよこなみ。お出汁足してくるね」
「メガネくんたちもう少し食べれるでしょ?なんなら泊まってく?」
「え、えっと」
「楽しそうだな。そうしようぜオサム」
「飲み物ないっすね。買出し行って来ますよ」
「あ、先輩、私も一緒に!」
「京介疲れてるだろ。買出しならこの実力派エリートに任せておけ。木虎も来る?」
「うっ…は、はい…」
十二月二十三日。クリスマスイブイブの日。
賑やかに暖かく、玉狛支部の夜は更けていった。
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「オサムありがとうな」
「え?」
鍋の中身がきれいに空になったあと。誓ったとおり片付けを引き受けてキッチンの洗い場に立っていた修は、隣で皿を拭く遊真に言われて思わず聞き返した。
防衛任務帰りの先輩諸氏はそれぞれの部屋に引き上げていて、自宅に帰る者は帰り、川の中に建つこの支部には街の喧騒も届かない。静かだ。
「おれは今日ひとつ賢くなった。ナベに水を入れる。コンブを入れる。火をつける。好きなものを入れる。煮る。これでいいんだな」
指を折りながら鍋作りの手順を復習する遊真に、修はうなずいた。真夏の盛りともなれば話は別だが、当分は鍋を食べていれば遊真の食生活は大丈夫だろう。修にとっても胸のつかえが取れた気分だ。
「煮込み料理は親父と旅してる間にも作ったり食べたりしてたな、そういえば。なんだかすっかり忘れてた。作り方も。ああやって人とナベを囲むのも」
「楽しかったな」
「ああ、楽しかった」
皿を濡らす水音と時計の振り子の音だけが響くキッチンの中で、修は手を動かしながら言う。洗い終えた皿を遊真に渡す。遊真がそれを受け取って拭く。
「またやろう」
「そうだな」
小さくうなずく遊真。その横顔はほのかに笑っていた。
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THE END
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