『その街は花の下にて』(ベル&フラン小説) 後編
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任務である届け物はすぐに終わった。街の権力者だという老人の住む屋敷に行き、豪勢な客間に通され、苦いコーヒーを飲んで手紙を渡して出てきただけだ。これ以上ないくらい軽い仕事。見送りに出てきた執事の白い手袋に包まれた手によって背後の門が慇懃に閉じられたところで、フランはベルの顔を見る。
いつもは少しあごを上げなけばならないのに、今は目線の高さがまったく同じなのが不思議だった。しかしそうはいってもそこに立っているのはまぎれもないフランの姿。そよそよと吹く風に揺れる翠緑の髪と伏せられた同じ色の瞳。なだらかで華奢な肩。かりそめの幻覚をまとったベルは口をへの字に曲げてコートのポケットに手を突っ込み小さな靴の底で地面を蹴っている。意味不明な仕草。意識の底でつなぎ続けている集中力から成る幻覚は自分で言うのも何だがおそろしく出来がいいので、とりあえず人の顔を借りておいて辛気臭い顔をするのはやめてほしいとフランは思う。
「じゃー戻りますかー」
「もすこし付き合え」
「は?」
両手を突き上げて伸びをして、そのついでに出た大あくび。その口をぽかんと開いたまま問い返すフランを置いて、ベルはまたどこかに向かってさっさと歩き出す。首をひねりながらフランは小走りに後を追った。
「おなかでもすきましたかー」
「おまえは黙ってついてくればいいの」
ちょっと、見てくるだけだから。聞こえるか聞こえないかの声で小さく付け足された一言に、はあ、となんとなく察したフランは仕方なく幻覚を維持したままベルと肩を並べて歩き続ける。もともと他人の目をほとんど気にしない性分なので、角を曲がるたびに人々から注がれる鬱陶しい視線にも交わされる囁き声にも、いつしか慣れてしまっていた。
十数分も歩いただろうか、不意にこぎれいな住宅街に出た。区画整理でもあったのか、百年越えの建物も珍しくないイタリアの町並みには珍しい白く真新しい壁の建物が建ち並んでいる。狭い横道を抜けながら器用に歩き続け、ある場所でぴたりと足を止めたベルの背中に、ほとんど思考停止気味に後を付いて歩いていたフランはうっかりぶつかりそうになった。文句を言おうと上げた目線の先に映るものに、しかし思わず声が出る。
「おおー」
「ん?」
その声に振り向いたのは、狭い空に向かって高くそびえる壁に向きあいしゃがみこんでいた年若い青年。思いきり目が合ってしまったフランは、仕方なく口を開く。
「秋のバラですかー」
「ああ、いや、これは狂い咲きってやつでね。本当は春の花で」
フランよりもいくらか年上に見える青年は、ひねっていた首を戻して立ち上がり体ごと向き直ると、その隣に立つベルに気づいて驚いたような声を上げる。
「うわ、あんたたち双子?」
そっくりだ、と感心したように言う声に仏頂面でうなずいてみせると、フランは青年の背後にそびえる壁を改めて見上げる。
広く優雅に伝うバラのツルをまとわせた壁面は淡く黄色い花をしるしのように咲かせており、宝石のように可憐な花々を包み守るように這う緑の葉も小さく形良く、まるで壁自体が一幅の美しい絵画のようだった。フランが短くも素直な賞賛を送ると、使い込まれて鈍色に光る花ばさみを手にした青年はそうでしょう、と嬉しそうな笑みを返す。
「ここは『王様の花壇』だから」
イタリア一、きれいにしとかないと。咲き誇るバラの一輪に荒れた指でそっと触れながら、青年は小さく笑いながら言う。
「王様?」
「そう。王様。ここには昔、王様がいたんだ」
青年の言葉に思わず背後を振り返るフランの目に映るのは、わずかに歪む自分の顔。そんな二人の表情に気づいた様子もなく、並んだ顔をまだ少し物珍しそうに交互に見ている青年は、冗談だと思ってくれていいけど、と前置きして口を開く。
「僕らはその人のことが本当に好きで、王様のためなら何でもした。ちょっと言えないような悪いこともしたね。でもその人は何も言わずにいなくなってしまった」
「酷い人ですねー」
フランは腕を組みながら深くうなずいて言う。頭の後ろにちくちくと視線を感じたが、無視。歯に衣着せぬ物言いに青年は肩をすくめて苦笑した。
「そうだね。とても酷い人だ。おかげで僕らはここを離れられなくなってしまった」
愛おしそうに触れていた尖るバラの花びらから指を離して、青年は馴れた手つきで再び花ばさみを操り始める。冷えた路地の空気のなか、さきんさきん、と小気味いい音が立つ。
「あの人が住んでいた部屋はもうなくなってしまったけれど、毎日、ここだけは手入れするんだ。このバラはエバーゴールド。永遠の黄金。王様はきれいな金髪の人だった。僕らはこの場所でずっとあの人を待ってる」
バラの枝を切る手をふと止めて、青年は中空を見上げてつぶやくように言った。
「もう十八年になるかな」
「どうして」
責めるような響きが出てしまったかもしれない。そんな身勝手な王を―――つまりこのどうしようもない人でなしの堕王子を。ただ待つことにそれほどの時間を費やしている人間がいることが信じられなかった。今からでも背中を蹴飛ばしてノシつけてくれてやりたいとさえ思うフランの顔を見て、しかし青年は小さく笑う。
「国民が王様の帰還を迎えるのは当たり前でしょう」
「兄さん」
不意に鈴を振るような声がして、青年より少しだけ年若く見える女性が現れた。水の入った小さなバケツを両手に持っている。青年に「妹です」と紹介された女性はフランににっこりと微笑んでから、足元にバケツを置く。その丁寧な所作を見ながらフランは後ろ歩きで数歩下がってベルの隣に並び、ささやくような小声で呼んだ。
「センパイ」
物言いたげに袖を引くフランの顔を、ベルは見ようとしない。そんな二人に軽い会釈を残して、兄妹は水遣りと剪定の作業に戻ろうとしている。冷たそうな水に躊躇なく手を入れて壁を拭く、女性の手が荒れている理由が分かったような気がした。
「センパイってばー」
返事はない。フランは引き甲斐のない袖を諦めて離すと、ベルを残して後ずさりしながらその場を離れる。ベルは気づいた様子もなく、隙だらけでまったく、らしくない。いまなら一撃で殺せるチャンスかもしれないなどと頭の片隅で考えながらも素早く建物の影に入り壁に背を預け、フランはふう、と人知れず息をついた。狭い空を見上げて、ため息をもうひとつ。そして、つぶやく。
「貸し1はもういりませんからー」
ぱちんと音を立てて指を弾く。それは幻覚をほどく合図だった。
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「おまえほんとふざけんなよ」
翌日。早朝からの異常なまでのドアベル連打に根負けしてベッドから起き上がりドアを開き、廊下に突っ立っていたベルを部屋に招きいれたフランに、ベルはぶつぶつと文句を垂れた。ソファではなくカーペットの上にあぐらをかいて座り、ローテーブルにあごを載せて背中を丸めている。
「楽しかったですかー?あのあと」
「おまえほんとふざけんなよ」
同じセリフを繰り返すと、フランが自分に淹れるついでに目の前に置いてやった熱いコーヒーに手を伸ばす。質問の答えは返されない。
「あのあと他の連中もぞろぞろ来てめちゃめちゃ引き止められて無理やりアドレス奪われて昨日から鳴りっぱなしでマジうるせーから電源切った」
「友達できて良かったじゃないですか。記念すべき日でしたねーセンパイに友達とか。人生初ですか?」
「友達じゃねーし全然良くねーし。なんかあいつら国民のくせに王子にやたら馴れ馴れしくなっててムカついた。もう知らねーあんな奴ら。全員クビだクビ」
テーブルにあごを載せながらコーヒーをすすりながら喋る、という器用な技を披露しながら低い声でぼそぼそと愚痴るベル。しかし普通に考えても暗殺部隊の幹部が、いくら数で勝るとはいえ一般人の手から本気で逃げられないわけもない。まあそういうことなんだろうと、フランは珍しく緩む口元を意識して引き締める。
「コーヒー飲んだらサクッと帰ってくださいねー」
「ん」
素直にうなずきながらも、じゃあコーヒー飲み終わるまでいるわ、と微妙に都合のいい解釈をするベル。その行儀の悪い姿を視界の端に入れながら、フランは念のためにと二人分のパンをトースターに放り込んだ。二度手間になるよりマシだ。
(本当は)
見になんて行かない方がいいんじゃないか。並んで歩きながら、その言葉をいつ言おうかずっと考えていた。
過去の辛い記憶と向き合うことは、辛い。トラウマなんていう言葉が一般に浸透するくらいだからそれは疑いようもないことだけれど、では反対に過去の幸せな記憶と向き合うことが幸せかといえばそんなことはない、とフランは思う。
別に悲観主義者ではないつもりだが、事実、人は変わる。世界も変わる。自分だって変わり続ける。止めることはできない。死者の思い出に生者が太刀打ちできるはずもないように、美化されていく幸せな過去の思い出に世知辛い現実が太刀打ちできるはずもなくて、そのギャップは年月が隔たれていけばいくほどきっと広がっていくばかり。
なら一度自分の中で「幸せでした」とレッテルを貼った思い出は、そのまま箱の蓋を閉じて鍵を掛けて心の内だけにそっととどめておくのが賢いやり方だと思っていた。生きやすいやり方だと思っていた。当たり前だ。世界がおとぎ話のように甘く優しくなんかないことくらい、その手を汚してばかりの暗殺者が知らないはずもなかったのに。
(ざまあみろ、って)
(笑ってやれなくて)
(すごく残念です)
完成されたおとぎ話。そうして王子様と国民はいつまでも幸せに暮らしました。
「めでたし、めでたし」
口の中で小さくつぶやく、そんな自分にまったくらしくないと少し呆れて、フランは気を取り直すように深呼吸すると愛用のマグカップに手を伸ばした。
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THE END
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200万ヒット記念企画で、Keiさまにリクエストいただいた「『咲かずの王国』の続編。ベルがヴァリアー入隊後(リング戦後でも10年後でも)、あの町に偶然任務で訪れる」でした。物語の続きを気にしていただけるなんて幸せです。ベルとフランが本当に大好きです。
Keiさま、ここまで読んでくださった方、とっても、ありがとうございました!(深々)
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