『デイブレイカーズ』(雲雀&風小説) 前編
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静かな場所が好きだった。
鬱陶しいノイズがさらりと洗い流されたような空間が好きだった。ただ無音であればいいというのでもなくて、たとえば庭のししおどしが跳ね返る音や小鳥のさえずりといった障子越しのさやかな音もよく響く朝の静寂であったり、愛用の鈍器を振るって思うさま殴り倒した相手が地面に伏したきり口も利けなくなったのを見下ろすときであったり、そういう心地いい空気感と共にある静けさが好きだった。
ただ、この世の音という音を自在に消し去りたいとまで考えてしまうときはさすがに少し疲れているから、そんなときは迷わずまぶたを下ろすことにしている。そうすれば世界は完璧に静かになる。それでも再び目覚めてしまえば望む望まないに関わらず雑多な音が呼びかける声が自分の周りを滔々と満たしていくことについては、さすがに生あるかぎり仕方のないことと諦めているけれど。
とかく、この世は騒がしい。
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「恭さん」
乾いた木と拳とが触れ合う軽いノックの音に、並盛中学校応接室の執務机でペンを手にしていた雲雀恭弥は書類を前に伏せていた顔を上げた。大柄な身体をドアの隙間から遠慮がちに覗かせる腹心を見止めてわずかに眉間にしわを寄せる。何、と問い返す労を省こうとしたのか、草壁は言われるより先に口を開いた。
「リボーンさんがお見えですが」
しばしの間のあと、ため息をついて小さくうなずく雲雀を確認した草壁は応接室の戸を大きく開く。その足元を飄々とした足取りですり抜けるように入ってきたのは確かに仕立ての良さそうな黒スーツに身を包んだ赤ん坊。艶のあるボルサリーノを斜めにかぶったその影から覗くつぶらな瞳はどこか楽しそうで、それでいて油断のない光を放っている。穏やかで緩慢な午後の空気を少しだけ張り詰めさせる、黒い来訪者。
「よおヒバリ」
応接室の広い窓から降り注ぐ陽光を反射して黒曜石のようにきらめく瞳。無垢な赤子の姿とそれとは真逆の内面を併せ持つ黒服のヒットマンは、狭い歩幅にも関わらず酷くキレのある仕草でさっさと雲雀の座る執務机の前まで歩いてくる。今日も変わらず帽子のつばに陣取るカメレオンのものと合わせて四つの瞳が雲雀の仏頂面を見上げた。
「アポイントは断ったはずだけど」
「そうだったな。まあいーじゃねーか、じんましんの具合はどうだ?」
「最悪だよ」
君たちのおかげでね、とは口にこそ出さなかったものの如実に伝わったようで、眼下に佇む赤ん坊は唇を曲げて皮肉っぽくクツクツと笑った。D・スペードとの戦いのあと連日のじんましんに肌を侵食されて不快な思いをしたのは事実だったが、雲雀が面会の申し出を断ったのはただ単に気が乗らなかったためだ。肌の異常は治っても当面の間は騒がしい空気に触れたいとは思わなかったし、そんな気まぐれも当然許される。それが本来の自分だからだ。しかしそれでもこの赤ん坊は何食わぬ顔で今日も雲雀の前に現れる。
「おまえのおかげで助かったぞ」
「前置きはいいから早く用事を言って断られて帰って」
「つれねーな」
唇を曲げる角度をまた少し深くしてリボーンは食えない笑みを浮かべた。にべもない雲雀の態度も意に介さずといった表情で、勝手に口を開いて勝手に話し出す。
「単刀直入に言うぞ。ヒバリ、オレのためにツナたちと一緒に戦ってくれ」
「イヤだ」
ただ一言で切り返すと、話は終わったとばかりに目を伏せて雲雀は書き物の続きに取り掛かる。何を言われても断るつもりでいたのだからそこに迷いはない。しかし机を挟んで眼下にあったはずの視線を不意に真横に感じて目を上げれば、いつのまにか机の上に乗り口角を上げて笑うリボーンの顔が驚くほど近くにあった。瞬間移動でもしたのかと呆れるほどの素早さ。眉を寄せた雲雀はペンを置いて椅子ごと身を引き、わずかに距離を取る。
「邪魔だよ」
「まあ聞けって。強い奴らと戦いたくねーのか?」
「……どういう意味」
話に乗ったら負け、とまで強く意識していたわけではない。そこまでの意志を向けてもいない。ただ彼の言う「強い奴」に少しだけ、ほんの少しだけ、爪の先ほどの興味が沸いたのも事実だった。
天高く吹く風も清々しい秋晴れの日曜日、並盛中学校の応接室を訪れた者は三人いた。いずれも招かれざる客である彼らの、これは一人目のお話。
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結局リボーンは『バトルロワイヤル』とかいう酔狂なゲームの説明をして帰っていった。明確な意思表示はせずに、ぽつりと一言「考えておく」とだけ言った雲雀の返事を前向きなものと受けとったかどうかは定かではないが、わかったじゃあなまた来る、と言って小さな手を上げて応接室を出て行く後姿。それを黙って見送った雲雀はまたため息をついて机上に転がしていたペンを取った。そしてほどなく現れる二人目の来訪者。
「恭弥ー!」
先ほどの彼とは打って変わって、まるで淀みのない笑顔を爽快に弾けさせながら大またで応接室に入ってきたのは自称師匠のイタリア人。草壁はパトロールに出かけたばかりなので、廊下に漂う気配は彼の部下のものだろう。そしていつものごとく南国の太陽のような明るい表情を見せるディーノは、つい先刻まで相手をしていた赤ん坊と比較するわけではないが相変わらず背が高いな、と雲雀は奇妙な感想を持った。そして惜しげもなく見せるその天真爛漫かつ開放的な態度がこれまた全くの真実ではないことも雲雀は経験的に知っている。誰も彼もが、と半ばうんざりした気持ちで向けたその冷ややかな目線の先で、手に提げていた紙袋をテーブルに置いたディーノはそのついでとでもいうように執務机の向かいのソファにさっさと長身を沈み込ませて長い足を組んだ。そこまでの一連の動作がまるで約束されたもののように自然で、なんだか妙に腹が立つ。縄張りを侵食されて尾を膨らませる猫の気持ちに似ているかもしれない。そんな雲雀の不機嫌な表情に構わず、ディーノは陽気な声を投げかけてくる。
「これ土産な!前のと同じチョコ、おまえが悪くないって言ってたやつ。また持ってきたぜ」
「アポイントは断ったはずだけど」
この上ない朗報とでも言いたげな明るい声をさえぎって、書き物をする姿勢に戻り目線だけを上げて先ほどと同じセリフを吐く雲雀。黒髪の間から向けられる煩わしげな眼光をものともせずに、ディーノはそうだったな、とまた楽しそうに声を上げて大きくうなずいた。ローテーブルの隅に置かれた赤い紙袋から漂う濃いカカオの香りには確かに覚えがあり、ディーノのまとう淡い香水の香りと合わさって応接室の空気がまた少し塗り替えられる。
「今回はおまえと戦うつもりじゃなくて、って言ったとたんに電話切ったよなー」
おまえは本当に分かりやすくて参る、と、まったく参った様子もなく朗らかに笑うディーノの顔を雲雀は目をすがめて睨む。記憶よりも少しだけ伸びたように見える金色の髪と出会ったときから変わらない澄んだ翠緑の瞳。襟のないシャツに空色のジャケットを羽織った軽快なスタイルは学生服姿の雲雀と比較しても充分に若々しいというのに、まるで子どもを相手にするような物言いに苛立ちが募る。
「戦わないあなたに価値なんてないよ。うぬぼれないでくれる」
「相変わらず手厳しい」
ディーノは苦笑いしながら足を組み替え、絡めた両手を突き上げて大きく伸びをした。手首に覗く腕時計の文字盤が重たげに光る。眠そうなあくびをしてのんびりと首を回し、この場所ですっかりくつろいだとでも言いたげなポーズ。こうして相手の空間にさっさと居場所を見つけて腰を落ち着かせて、したい話を半ば強引に進めていこうとするのが彼の手口だといい加減分かっている、分かっているのにいまだ有効な対応策は見つけられていない。そんな思いを隠して黙りこむ雲雀の顔を見ながら、やはりディーノは勝手に口を開こうとしている。ここで席を立つのも癪だし耳をふさぐわけにもいかないし、快活な声がつむぐ言葉は否応なしに雲雀の耳に入ってきた。
「だいたい聞いてるとは思うが、リボーンの呪いを解くために戦うことになったんだ。オレとツナと、ほかの守護者の連中もだ。おまえも一緒に来てくれないか」
「断る」
ただの一言で切り捨てると、雲雀はフイと横を向いた。誰も彼も、とまた思う。なんだかペンを走らせる気にもならなくなってきて、それでも目の前の男の相手をする気にはもっとなれなくて、簡単に言えば集中力を削がれてしまった。草壁を呼んで茶でも入れさせようかもちろん自分の分だけ、などと別の思考に走りそうになったところで草壁が目下パトロール中なことを思い出して雲雀の眉間のしわがまた深くなった。
「そう言うなよ恭弥」
ソファを軽くきしませて立ち上がり近づく気配。机に頬杖をついて拗ねたように顔を背けている雲雀の正面まで歩いてきたらしいディーノの少しだけ近くなる声。微かに甘い香水の香りが鼻腔をくすぐるが、秋に相応しい上品な香りでそれ自体は不快なものではない。嗅覚を含めた五感が異様に敏感な雲雀が以前にたまりかねて文句を言ったことを覚えているのか、ディーノは雲雀の前では強い香りはつけないようにしているようだった。しかしそれさえも彼の計算された交渉術のひとつかと思うとわずかな香りにすら神経が尖る。
「相手は白蘭に六道にヴァリアーだぜ?おまえ後からでも絶対混ざりたくなるって。なら最初からやろーぜ、一緒にさ」
「僕は戦いたいときに戦いたい相手と戦う。あなたたちの指図は受けないし群れる気もない」
目線を合わせないままトーンを落とした低い声で言うと、返されるのはディーノのどこか楽しそうな声。
「まあそう言うと思ったけどな!飛行機の中でシミュレーションしてみたけど、おまえならそう言うだろうって結論しか出てこなかった」
「あなたの妄想に勝手に出演させないで」
「でも当たってたろ?それとも違う答え期待していいのか?」
「安い挑発やめてくれる。耳障りだよ」
等々、しばらくの間の不毛な押し問答の末に。終始和やかな態度ながらも根気強く食い下がるディーノを明日には答えを出す、という言葉で追い返した雲雀は、ペンを指の間でくるくると回しながらもう三度目のため息をつく。
じんましんが再発しそうな予感がした。
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そして三人目の招かれざる客。日もすっかり落ちた夜の時間、そろそろ帰宅しようと机の上を片付ける雲雀の前に現れた本日二人目のアルコバレーノは、滑るような足取りですり抜けた扉の前に立ち小さな身体に似合わぬ慇懃な一礼をしてみせた。上げた顔に浮かぶのは柔和な笑み。黒々とした大きな瞳が雲雀をまっすぐに見据えている。
「こんばんは。雲雀恭弥」
「ここはお悩み相談室じゃないんだけど」
次から次へと、ともはや呆れ果てたといった調子で鼻を鳴らす雲雀を見てなぜか楽しそうに笑う風は、自分の前に誰が訪れて何を語っていったのかもすでに知っているようだった。リボーンの食えない笑みともディーノの人懐こい笑みとも違う、どこか達観した老獪さを感じさせる風のその笑顔が雲雀はあまり得意ではない。しかもクセの強い客達をあしらったせいでいいかげん口を開くのも億劫になっていた。
「帰って」
帰り支度の手を止めることなくすげない言葉を返すと、鞄を手に立ち上がりさっさと歩き出す雲雀。主人の帰宅に従って、黄色い小鳥ことヒバードは羽を広げて飛び立ち、匣ハリネズミことロールは雲雀の背中を俊敏に駆け上がって肩上に収まる。その後ろをその名の通り風のような足取りで音もなく追う風。応接室の鍵をかけて階段を降り、靴を履き替えて校門を出たところで雲雀は足を止めて振り返った。
「どこまでついてくる気」
「おや、話を聞いてくれますか」
ときおり瞬く古い街灯の下、詰問するような声をやんわりと受け流して風は目元をほころばせる。そのままさしたる溜めもなく自然な仕草で地面を蹴ると、羽のように軽妙な身のこなしで空中で一回転し道なりに続く低い塀の上にすとんと立った。軸にまったくブレがない。雲雀と風の、どこか良く似た漆黒の目線がぶつかる。
「話は聞かない。どこまでついてくる気って聞いてる」
「あなたの家まで。夜道は危ない、送りますよ」
「は?」
当然のように返される言葉に雲雀は眉をひそめた。土塀の上に立つ風と彼に従者のように付き従う小猿が同じ仕草で雲雀を見返す。不意の風にざわざわと揺らぐ世界のなか、足元に長く伸びた影だけが動かない。
「どうしました?」
「何のつもり」
「なにがです?」
「僕を誰だと思ってるの」
「私の大切な代理人です」
「引き受けてない」
「リボーンのチームと迷っているのですね」
盟友だという赤ん坊の名を出して浅く微笑む風の顔を雲雀は強気に睨み返した。人通りのない道の端で向き合う二人、間を吹き抜ける冷たい風が互いの黒髪を悪戯に乱す。しばらくの沈黙の後、口を開いたのは雲雀。
「赤ん坊も跳ね馬もあれこれ言っていたけど、僕は群れる気はない」
そうですか、と呟いて風はまた口元に柔らかな笑みを浮かべた。明るく朗らかな笑みから薄寒さを感じさせる不穏な笑みまで、その微笑みには一見して分かりづらいながらもバリエーションが数多くあることには雲雀も薄々気づいている。自宅の方角に向かって危なげない足取りで塀の上を歩き出す風の小さな背中を追いかけるようにしてまた隣に並んだ。自宅がそちらなのだから付いていかざるを得ず、まるで避けるように回り道をするのも癪だった。続くような会話もないままに十数分の道を歩き自宅の門の前まで来て門扉に手を掛けた雲雀はふと顔を上げる。
「あなた、どこに泊まるの」
「気になりますか」
「別に」
「ご心配ありがとう。私は修行者ですから、雨露を凌げる屋根さえあればどこでも大丈夫ですよ」
ではまた明日、と言って胸の前で両手を合わせてお辞儀をする風の前で、雲雀は大きく門扉を開いてぶっきらぼうな声を投げた。
「入って」
「……優しいことを言うのですね」
意外そうな顔で目を瞬かせる風の顔を、雲雀は思いきり睨みつける。
「勘違いしないで。飼い主の横暴につき合わされるその小猿に同情しただけだ」
厳しい口調で言い捨てた雲雀は、さっさと門を通り抜けて薄い飛び石を踏む。横暴、と口の中で呟いた風は頭上から身を乗り出しきょとんとした表情で主人の表情を覗き込むリーチと顔を見合わせたあと、にっこりと微笑んで小さくうなずいた。
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To Be
Continued...
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200万ヒット記念企画で雪雲さまにリクエストいただいた「雲雀、風、ヒバード、ロール」のお話です。短編ですが、場面転換の都合で前後編になりました。もう少しだけおつきあいいただけたら嬉しいです(深々)
※ヒバリさんと風さんの関係は、原作では最後まで明かされずじまいでした。ここでは「二人にはお互いに自覚する何かしらの縁がある(=元々、まったく知らない同士ではない)」というイメージを前提に書かせていただいています。
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