『デイブレイカーズ』(雲雀&風小説) 後編
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雲雀の自宅は並盛でも屈指の広大かつ瀟洒な日本家屋である。なにか文化財に指定されているという話を聞いたことがあるような気もするが雲雀には関心のないことで記憶にも残っていなかった。剪定された木々が行儀良く立ち並ぶ白砂利の庭を抜けて玄関を通り長い廊下を歩いた先、ふすまを開いて雲雀は畳敷きの私室に一人と一匹を招き入れる。
「食事は持ってこさせる。その子は何を食べるの」
「リーチは私と同じもので結構です。肉類はあまり好みませんが」
そう、と気だるげにうなずいて、雲雀は部屋の柱に掛かる電話の子機を取るとボタンを押した。ワンコールで出た使用人に食事と布団の用意を言いつけて通話を切り、雲雀は顔をほころばせながらふすまの前に立つ風に無感動に言う。
「構うつもりはないからあなたたちも好きにして。ただし騒がしいのは嫌いだからうるさくしないで」
「ありがとう。やはりあなたは親切な人ですね」
「黙らないと窓から放り出すよ」
それきり途切れる会話。ほどなくして食事の膳が運ばれると、風はまた丁寧な礼を述べたあと優雅な箸遣いで美味しそうに皿の中身を干した。言葉を交わすことはほとんどなかったが、出汁のきいた和食は口によく合ったようで、風と小猿は出された食事を米粒ひとつ残さずきれいにたいらげる。どちらかといえば少食の部類に入る雲雀も、普段は残すことも多い食事を今日は風につられるようにして完食してしまった。そんな自分に内心驚いたことは表情にも口にも出さなかったけれど。
やがて、運ばれた布団を隣の使われていない一間に敷くように使用人に指示し、おやすみなさい、と雲雀家ではあまり聞きなれない挨拶を残して風と小猿が隣の間に消えて部屋を仕切る障子が閉められたことまで確認すると、雲雀はひとつ小さなあくびをして目尻ににじんだ涙を指で払った。
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(……?)
布団に横たわり眠っていた雲雀は気配に気づいて薄く目を開けた。
夜着にしている黒いパジャマの袖に触れるかすかな体温。頬をくすぐる柔らかな毛玉。まばたきして焦点を合わせてみると、どうも風が従えている小猿が長い尾を引いて雲雀の布団に潜りこもうとしているようだった。いったいどうしたのかと訝しげな顔で覗き込んでみるが、小猿の目はまるで一の字のように閉じたままでどうやら完全に寝ぼけている様子。猿でも寝ぼけることがあるのかなどと考えながら雲雀が眉間にしわを寄せて見ていると、小猿は目を閉じたまま歯を見せて小さくキィキィと鳴いた。
「どうしたの」
ささやくような声音で問いかけてみる。無論、人の声で返事があるはずもないが、小猿はまた同じ声で鳴いた。その声がどこかかすれていることに気づいて雲雀は再度口を開く。
「喉が渇いたの。水がほしいの」
みず、という単語を理解しているのか、小猿はまたキィと鳴いた。肯定と受け取った雲雀は薄い掛け布団をはいで立ち上がり、寝る前に使用人が部屋の隅に置いていった水差しの中身をコップに注いだ。ついでに壁の時計を見ればちょうど日が昇る時刻で、確かに障子ごしに淡い朝の光が差し込み始めている。ほの暗い部屋のなか、ようやく半分ほど目の開いた小猿は小さな手でコップを受け取ると器用に水を飲み干し、そしてなぜかそのまま主人のところに戻ろうとはせずに枕の隣で丸くなってしまった。
「ねえ、ちょっと」
声を掛けるが目覚める気配はない。このままにさせておくか、風に声をかけて引き取らせるか。瞬間考えをめぐらせたが、雲雀は結局、眠る小猿をそのままに布団に入り直す。動物は好きだが自宅で飼ったことはなく、布団に入れるのももちろん初めてのことだった。しかしその血の通った身体と毛並みの温かさが妙に心地よくて、小さな背中を指先で柔らかく梳いてやっているとやがて静かな寝息が聞こえ始める。
目もすっかり冴えてしまったし、普段起きる時刻もそう遠くはないのでこのまま起きてしまうかとあらためて半身を起こしたところで、雲雀は隣室のふすまがわずかに開いていることに気づいた。するりと布団を抜け出して中を見れば、障子を通して差し込む朝の淡い光のなか、きれいに畳まれた布団が部屋の隅に寄せられ、小猿の寝床にしていたらしき座布団が部屋の中央にぽつんと残されているだけで人の気配はない。夜明け前に出て行きでもしたのだろうかといぶかしむものの、雲雀の枕の脇で身体を丸めてすうすうと寝息を立てている小猿を風が置いていったとは考えにくい。その小猿を起こさぬように気をつけながら庭に面した障子を開けた雲雀は、そこにある姿を見止めて目をすがめた。
縁側の先、朝靄かかる広い庭園の砂地の上にひとり。
黒く薄い靴に包まれた小さなつま先で地面を軽く蹴ったかと思うと空中でふわりと方向転換して前に後ろに鋭い拳を繰り出す。はらはらと落ちるもみじの葉をまといながら、早朝の凛と冷えた空気を切り裂くようにして腕が脚が乱れ打たれる。一人早朝の鍛錬に励む風の、まるで舞い踊るように優雅でそれでいて獣めいたしなやかな野性の動き。幼い子どもの姿をしているにも関わらず、その指先にまで満ち満ちる力強さ。一挙手一投足がまるで流水のように無駄がなく、また堅固な岩のようにただ一片の隙もなく。白い玉砂利が一面に敷き詰められた庭で、彼を取り囲む見えざる敵がその拳に脚に次々と薙ぎ倒されていくような錯視。その姿を目で追いながら思わず圧倒されて引き込まれて、雲雀はいつしか呼吸すら止めて風の動きに見入っていた。
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「おはようございます」
屋敷内にいくつかある洗面台のうち私室に一番近いひとつの前で、歯を磨いていた雲雀の足元に近づいてきた風が言う。目線だけを下ろしてその顔を見る雲雀の肩の上には、得意気な顔の幼い小猿。
「リーチがお邪魔したようで。すっかり懐いてしまいましたね」
「僕の布団に入ってきた。監督不行き届きだよ」
「それは失礼しました」
悪びれない様子の風に鼻を鳴らして見せて、雲雀は無言で歯ブラシを動かす。その姿をにこにこしながら見上げていた風がふと首をかしげた。
「ん?なんですかリーチ?」
物言いたげな顔でもしたのか、小猿の名を呼びながら敏捷な動きで洗面台に乗る風。キィキィと鳴く声を解して雲雀に目線を移し、困ったように眉根を下げている。
「リーチが、ああ、この子の名前ですが、あなたの頭の上に乗りたいと言っています」
瞬間眉をひそめたものの、小動物の戯れにつきあうつもりで雲雀は歯磨きの手を止めないまま「好きにすれば」と言った。歯磨きの最中なので正確には「ふきにふれば」という発音になるが、難なく通じたようでそれを聞いた風は少しだけわざとらしく小首をかしげる。
「それが、リーチは私の頭の上にしか乗ったことがないので勝手が分からないとも言っています」
「いったい何の話をしているの」
コップの水で口をゆすいで顔をしかめる雲雀を見て、風は目を細めた。
「なら、こうしたらどうでしょうか」
「は?ちょっと」
不意を突く俊敏な動きで、風は素早く雲雀の頭の上に乗った。瞬間的に頭に血が上りかけた雲雀だったが、振り落とそうと首をひねったところで鏡に映る自分の姿が目に入る。自分の頭の上に乗る風の、さらにその頭の上に飛び乗ってこの上なく嬉しそうにしている小猿。うきうきと身体を揺らす小動物。そしてあろうことか中空から舞い降りたヒバードと背中を駆け上ったロールも合流して、鏡の中に奇妙なトーテムポールが完成した。
雲雀の上に風、風の上に小猿と小鳥と小鼠。トーテムポールの頂点でほぼ同サイズの小動物たちが嬉しそうに頬を羽を寄せ合っている。雲雀がいま軽く首を一振りすれば、そんな彼らを楽園から振り落とすことは簡単だったけれど。
(……)
ほだされた。完全にほだされた。雲雀は長い長いため息をつき、水をためたコップを手に取り最後のうがいをした。タオルで口をぬぐうと、まるで豪華な鏡餅のようになった鏡の中の自分に据わった目で話しかける。
「あの話だけど」
「はい」
あの話とは、と問い返すことはせずに風は小さくうなずく。
「受けてもいい。ただし条件が二つ」
「なんなりと?」
余裕の笑みを浮かべる風を見て唇を曲げながら雲雀は続ける。
「まずチームには僕以外いらない。群れるのはごめんだ。次にもし勝ったら僕と本気の勝負をしてもらう」
「承知しました」
その言葉を予測していたかのような即答。あなたは強い、期待していますよ。そう言って風はにっこりと微笑んだ。
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昼下がりの学校。中庭で対峙する相手はいつだったか殴り倒したこともあればいつだったか共闘したこともあるような気がする人間三人。彼らは自分がここに立ちふさがったことに少なからず驚き、怒り、何か彼らなりの主義主張を叫んでいるようだった。そんな彼らを見るとき雲雀は心から笑うことができる。組織、つながり、仲間。そんなものはなにもかもが雲雀の興味の遥か外にあるというのに。
(君達は僕が)
咬み殺す。雲雀は薄く笑いながらトンファーを握り直した。グリップの慣れた手触りが今日は格別に心地いい。天気は快晴、気分も上々。獲物を前にして全身に力がみなぎるような、耳鳴りがするほどのこの高揚感が好きだった。静かな場所と同じくらい、とても好きだった。
それはきっと、本能の喜び。
(さあ、行こうか)
(ええ、行きましょう)
新たな戦いの日々の始まりだった。
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THE END
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200万ヒット記念企画で雪雲さまにいただいた「雲雀、風、ヒバード、ロール」で「風さんが雲雀さんの頭に乗っていることに関してちょっとツっこんでほしいです!」とのリクエストでした。
雪雲さま、ここまで読んでくださった方、とってもありがとうございました!
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