『デイブレイカーズ』(雲雀&風小説) 後編

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雲雀の自宅は並盛でも屈指の広大かつ瀟洒な日本家屋である。なにか文化財に指定されているという話を聞いたことがあるような気もするが雲雀には関心のないことで記憶にも残っていなかった。剪定された木々が行儀良く立ち並ぶ白砂利の庭を抜けて玄関を通り長い廊下を歩いた先、ふすまを開いて雲雀は畳敷きの私室に一人と一匹を招き入れる。

「食事は持ってこさせる。その子は何を食べるの」

「リーチは私と同じもので結構です。肉類はあまり好みませんが」

そう、と気だるげにうなずいて、雲雀は部屋の柱に掛かる電話の子機を取るとボタンを押した。ワンコールで出た使用人に食事と布団の用意を言いつけて通話を切り、雲雀は顔をほころばせながらふすまの前に立つ風に無感動に言う。

「構うつもりはないからあなたたちも好きにして。ただし騒がしいのは嫌いだからうるさくしないで」

「ありがとう。やはりあなたは親切な人ですね」

「黙らないと窓から放り出すよ」

それきり途切れる会話。ほどなくして食事の膳が運ばれると、風はまた丁寧な礼を述べたあと優雅な箸遣いで美味しそうに皿の中身を干した。言葉を交わすことはほとんどなかったが、出汁のきいた和食は口によく合ったようで、風と小猿は出された食事を米粒ひとつ残さずきれいにたいらげる。どちらかといえば少食の部類に入る雲雀も、普段は残すことも多い食事を今日は風につられるようにして完食してしまった。そんな自分に内心驚いたことは表情にも口にも出さなかったけれど。

やがて、運ばれた布団を隣の使われていない一間に敷くように使用人に指示し、おやすみなさい、と雲雀家ではあまり聞きなれない挨拶を残して風と小猿が隣の間に消えて部屋を仕切る障子が閉められたことまで確認すると、雲雀はひとつ小さなあくびをして目尻ににじんだ涙を指で払った。

(……?)

布団に横たわり眠っていた雲雀は気配に気づいて薄く目を開けた。

夜着にしている黒いパジャマの袖に触れるかすかな体温。頬をくすぐる柔らかな毛玉。まばたきして焦点を合わせてみると、どうも風が従えている小猿が長い尾を引いて雲雀の布団に潜りこもうとしているようだった。いったいどうしたのかと訝しげな顔で覗き込んでみるが、小猿の目はまるで一の字のように閉じたままでどうやら完全に寝ぼけている様子。猿でも寝ぼけることがあるのかなどと考えながら雲雀が眉間にしわを寄せて見ていると、小猿は目を閉じたまま歯を見せて小さくキィキィと鳴いた。

「どうしたの」

ささやくような声音で問いかけてみる。無論、人の声で返事があるはずもないが、小猿はまた同じ声で鳴いた。その声がどこかかすれていることに気づいて雲雀は再度口を開く。

「喉が渇いたの。水がほしいの」

みず、という単語を理解しているのか、小猿はまたキィと鳴いた。肯定と受け取った雲雀は薄い掛け布団をはいで立ち上がり、寝る前に使用人が部屋の隅に置いていった水差しの中身をコップに注いだ。ついでに壁の時計を見ればちょうど日が昇る時刻で、確かに障子ごしに淡い朝の光が差し込み始めている。ほの暗い部屋のなか、ようやく半分ほど目の開いた小猿は小さな手でコップを受け取ると器用に水を飲み干し、そしてなぜかそのまま主人のところに戻ろうとはせずに枕の隣で丸くなってしまった。

「ねえ、ちょっと」

声を掛けるが目覚める気配はない。このままにさせておくか、風に声をかけて引き取らせるか。瞬間考えをめぐらせたが、雲雀は結局、眠る小猿をそのままに布団に入り直す。動物は好きだが自宅で飼ったことはなく、布団に入れるのももちろん初めてのことだった。しかしその血の通った身体と毛並みの温かさが妙に心地よくて、小さな背中を指先で柔らかく梳いてやっているとやがて静かな寝息が聞こえ始める。

目もすっかり冴えてしまったし、普段起きる時刻もそう遠くはないのでこのまま起きてしまうかとあらためて半身を起こしたところで、雲雀は隣室のふすまがわずかに開いていることに気づいた。するりと布団を抜け出して中を見れば、障子を通して差し込む朝の淡い光のなか、きれいに畳まれた布団が部屋の隅に寄せられ、小猿の寝床にしていたらしき座布団が部屋の中央にぽつんと残されているだけで人の気配はない。夜明け前に出て行きでもしたのだろうかといぶかしむものの、雲雀の枕の脇で身体を丸めてすうすうと寝息を立てている小猿を風が置いていったとは考えにくい。その小猿を起こさぬように気をつけながら庭に面した障子を開けた雲雀は、そこにある姿を見止めて目をすがめた。

縁側の先、朝靄かかる広い庭園の砂地の上にひとり。

黒く薄い靴に包まれた小さなつま先で地面を軽く蹴ったかと思うと空中でふわりと方向転換して前に後ろに鋭い拳を繰り出す。はらはらと落ちるもみじの葉をまといながら、早朝の凛と冷えた空気を切り裂くようにして腕が脚が乱れ打たれる。一人早朝の鍛錬に励む風の、まるで舞い踊るように優雅でそれでいて獣めいたしなやかな野性の動き。幼い子どもの姿をしているにも関わらず、その指先にまで満ち満ちる力強さ。一挙手一投足がまるで流水のように無駄がなく、また堅固な岩のようにただ一片の隙もなく。白い玉砂利が一面に敷き詰められた庭で、彼を取り囲む見えざる敵がその拳に脚に次々と薙ぎ倒されていくような錯視。その姿を目で追いながら思わず圧倒されて引き込まれて、雲雀はいつしか呼吸すら止めて風の動きに見入っていた。

「おはようございます」

屋敷内にいくつかある洗面台のうち私室に一番近いひとつの前で、歯を磨いていた雲雀の足元に近づいてきた風が言う。目線だけを下ろしてその顔を見る雲雀の肩の上には、得意気な顔の幼い小猿。

「リーチがお邪魔したようで。すっかり懐いてしまいましたね」

「僕の布団に入ってきた。監督不行き届きだよ」

「それは失礼しました」

悪びれない様子の風に鼻を鳴らして見せて、雲雀は無言で歯ブラシを動かす。その姿をにこにこしながら見上げていた風がふと首をかしげた。

「ん?なんですかリーチ?」

物言いたげな顔でもしたのか、小猿の名を呼びながら敏捷な動きで洗面台に乗る風。キィキィと鳴く声を解して雲雀に目線を移し、困ったように眉根を下げている。

「リーチが、ああ、この子の名前ですが、あなたの頭の上に乗りたいと言っています」

瞬間眉をひそめたものの、小動物の戯れにつきあうつもりで雲雀は歯磨きの手を止めないまま「好きにすれば」と言った。歯磨きの最中なので正確には「ふきにふれば」という発音になるが、難なく通じたようでそれを聞いた風は少しだけわざとらしく小首をかしげる。

「それが、リーチは私の頭の上にしか乗ったことがないので勝手が分からないとも言っています」

「いったい何の話をしているの」

コップの水で口をゆすいで顔をしかめる雲雀を見て、風は目を細めた。

「なら、こうしたらどうでしょうか」

「は?ちょっと」

不意を突く俊敏な動きで、風は素早く雲雀の頭の上に乗った。瞬間的に頭に血が上りかけた雲雀だったが、振り落とそうと首をひねったところで鏡に映る自分の姿が目に入る。自分の頭の上に乗る風の、さらにその頭の上に飛び乗ってこの上なく嬉しそうにしている小猿。うきうきと身体を揺らす小動物。そしてあろうことか中空から舞い降りたヒバードと背中を駆け上ったロールも合流して、鏡の中に奇妙なトーテムポールが完成した。

雲雀の上に風、風の上に小猿と小鳥と小鼠。トーテムポールの頂点でほぼ同サイズの小動物たちが嬉しそうに頬を羽を寄せ合っている。雲雀がいま軽く首を一振りすれば、そんな彼らを楽園から振り落とすことは簡単だったけれど。

(……)

ほだされた。完全にほだされた。雲雀は長い長いため息をつき、水をためたコップを手に取り最後のうがいをした。タオルで口をぬぐうと、まるで豪華な鏡餅のようになった鏡の中の自分に据わった目で話しかける。

「あの話だけど」

「はい」

あの話とは、と問い返すことはせずに風は小さくうなずく。

「受けてもいい。ただし条件が二つ」

「なんなりと?」

余裕の笑みを浮かべる風を見て唇を曲げながら雲雀は続ける。

「まずチームには僕以外いらない。群れるのはごめんだ。次にもし勝ったら僕と本気の勝負をしてもらう」

「承知しました」

その言葉を予測していたかのような即答。あなたは強い、期待していますよ。そう言って風はにっこりと微笑んだ。

昼下がりの学校。中庭で対峙する相手はいつだったか殴り倒したこともあればいつだったか共闘したこともあるような気がする人間三人。彼らは自分がここに立ちふさがったことに少なからず驚き、怒り、何か彼らなりの主義主張を叫んでいるようだった。そんな彼らを見るとき雲雀は心から笑うことができる。組織、つながり、仲間。そんなものはなにもかもが雲雀の興味の遥か外にあるというのに。

(君達は僕が)

咬み殺す。雲雀は薄く笑いながらトンファーを握り直した。グリップの慣れた手触りが今日は格別に心地いい。天気は快晴、気分も上々。獲物を前にして全身に力がみなぎるような、耳鳴りがするほどのこの高揚感が好きだった。静かな場所と同じくらい、とても好きだった。

それはきっと、本能の喜び。

(さあ、行こうか)

(ええ、行きましょう)

新たな戦いの日々の始まりだった。

THE END
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200万ヒット記念企画で雪雲さまにいただいた「雲雀、風、ヒバード、ロール」で「風さんが雲雀さんの頭に乗っていることに関してちょっとツっこんでほしいです!」とのリクエストでした。

雪雲さま、ここまで読んでくださった方、とってもありがとうございました!

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『デイブレイカーズ』(雲雀&風小説) 前編

静かな場所が好きだった。

鬱陶しいノイズがさらりと洗い流されたような空間が好きだった。ただ無音であればいいというのでもなくて、たとえば庭のししおどしが跳ね返る音や小鳥のさえずりといった障子越しのさやかな音もよく響く朝の静寂であったり、愛用の鈍器を振るって思うさま殴り倒した相手が地面に伏したきり口も利けなくなったのを見下ろすときであったり、そういう心地いい空気感と共にある静けさが好きだった。
ただ、この世の音という音を自在に消し去りたいとまで考えてしまうときはさすがに少し疲れているから、そんなときは迷わずまぶたを下ろすことにしている。そうすれば世界は完璧に静かになる。それでも再び目覚めてしまえば望む望まないに関わらず雑多な音が呼びかける声が自分の周りを滔々と満たしていくことについては、さすがに生あるかぎり仕方のないことと諦めているけれど。

とかく、この世は騒がしい。

「恭さん」

乾いた木と拳とが触れ合う軽いノックの音に、並盛中学校応接室の執務机でペンを手にしていた雲雀恭弥は書類を前に伏せていた顔を上げた。大柄な身体をドアの隙間から遠慮がちに覗かせる腹心を見止めてわずかに眉間にしわを寄せる。何、と問い返す労を省こうとしたのか、草壁は言われるより先に口を開いた。

「リボーンさんがお見えですが」

しばしの間のあと、ため息をついて小さくうなずく雲雀を確認した草壁は応接室の戸を大きく開く。その足元を飄々とした足取りですり抜けるように入ってきたのは確かに仕立ての良さそうな黒スーツに身を包んだ赤ん坊。艶のあるボルサリーノを斜めにかぶったその影から覗くつぶらな瞳はどこか楽しそうで、それでいて油断のない光を放っている。穏やかで緩慢な午後の空気を少しだけ張り詰めさせる、黒い来訪者。

「よおヒバリ」

応接室の広い窓から降り注ぐ陽光を反射して黒曜石のようにきらめく瞳。無垢な赤子の姿とそれとは真逆の内面を併せ持つ黒服のヒットマンは、狭い歩幅にも関わらず酷くキレのある仕草でさっさと雲雀の座る執務机の前まで歩いてくる。今日も変わらず帽子のつばに陣取るカメレオンのものと合わせて四つの瞳が雲雀の仏頂面を見上げた。

「アポイントは断ったはずだけど」

「そうだったな。まあいーじゃねーか、じんましんの具合はどうだ?」

「最悪だよ」

君たちのおかげでね、とは口にこそ出さなかったものの如実に伝わったようで、眼下に佇む赤ん坊は唇を曲げて皮肉っぽくクツクツと笑った。D・スペードとの戦いのあと連日のじんましんに肌を侵食されて不快な思いをしたのは事実だったが、雲雀が面会の申し出を断ったのはただ単に気が乗らなかったためだ。肌の異常は治っても当面の間は騒がしい空気に触れたいとは思わなかったし、そんな気まぐれも当然許される。それが本来の自分だからだ。しかしそれでもこの赤ん坊は何食わぬ顔で今日も雲雀の前に現れる。

「おまえのおかげで助かったぞ」

「前置きはいいから早く用事を言って断られて帰って」

「つれねーな」

唇を曲げる角度をまた少し深くしてリボーンは食えない笑みを浮かべた。にべもない雲雀の態度も意に介さずといった表情で、勝手に口を開いて勝手に話し出す。

「単刀直入に言うぞ。ヒバリ、オレのためにツナたちと一緒に戦ってくれ」

「イヤだ」

ただ一言で切り返すと、話は終わったとばかりに目を伏せて雲雀は書き物の続きに取り掛かる。何を言われても断るつもりでいたのだからそこに迷いはない。しかし机を挟んで眼下にあったはずの視線を不意に真横に感じて目を上げれば、いつのまにか机の上に乗り口角を上げて笑うリボーンの顔が驚くほど近くにあった。瞬間移動でもしたのかと呆れるほどの素早さ。眉を寄せた雲雀はペンを置いて椅子ごと身を引き、わずかに距離を取る。

「邪魔だよ」

「まあ聞けって。強い奴らと戦いたくねーのか?」

「……どういう意味」

話に乗ったら負け、とまで強く意識していたわけではない。そこまでの意志を向けてもいない。ただ彼の言う「強い奴」に少しだけ、ほんの少しだけ、爪の先ほどの興味が沸いたのも事実だった。

天高く吹く風も清々しい秋晴れの日曜日、並盛中学校の応接室を訪れた者は三人いた。いずれも招かれざる客である彼らの、これは一人目のお話。

結局リボーンは『バトルロワイヤル』とかいう酔狂なゲームの説明をして帰っていった。明確な意思表示はせずに、ぽつりと一言「考えておく」とだけ言った雲雀の返事を前向きなものと受けとったかどうかは定かではないが、わかったじゃあなまた来る、と言って小さな手を上げて応接室を出て行く後姿。それを黙って見送った雲雀はまたため息をついて机上に転がしていたペンを取った。そしてほどなく現れる二人目の来訪者。

「恭弥ー!」

先ほどの彼とは打って変わって、まるで淀みのない笑顔を爽快に弾けさせながら大またで応接室に入ってきたのは自称師匠のイタリア人。草壁はパトロールに出かけたばかりなので、廊下に漂う気配は彼の部下のものだろう。そしていつものごとく南国の太陽のような明るい表情を見せるディーノは、つい先刻まで相手をしていた赤ん坊と比較するわけではないが相変わらず背が高いな、と雲雀は奇妙な感想を持った。そして惜しげもなく見せるその天真爛漫かつ開放的な態度がこれまた全くの真実ではないことも雲雀は経験的に知っている。誰も彼もが、と半ばうんざりした気持ちで向けたその冷ややかな目線の先で、手に提げていた紙袋をテーブルに置いたディーノはそのついでとでもいうように執務机の向かいのソファにさっさと長身を沈み込ませて長い足を組んだ。そこまでの一連の動作がまるで約束されたもののように自然で、なんだか妙に腹が立つ。縄張りを侵食されて尾を膨らませる猫の気持ちに似ているかもしれない。そんな雲雀の不機嫌な表情に構わず、ディーノは陽気な声を投げかけてくる。

「これ土産な!前のと同じチョコ、おまえが悪くないって言ってたやつ。また持ってきたぜ」

「アポイントは断ったはずだけど」

この上ない朗報とでも言いたげな明るい声をさえぎって、書き物をする姿勢に戻り目線だけを上げて先ほどと同じセリフを吐く雲雀。黒髪の間から向けられる煩わしげな眼光をものともせずに、ディーノはそうだったな、とまた楽しそうに声を上げて大きくうなずいた。ローテーブルの隅に置かれた赤い紙袋から漂う濃いカカオの香りには確かに覚えがあり、ディーノのまとう淡い香水の香りと合わさって応接室の空気がまた少し塗り替えられる。

「今回はおまえと戦うつもりじゃなくて、って言ったとたんに電話切ったよなー」

おまえは本当に分かりやすくて参る、と、まったく参った様子もなく朗らかに笑うディーノの顔を雲雀は目をすがめて睨む。記憶よりも少しだけ伸びたように見える金色の髪と出会ったときから変わらない澄んだ翠緑の瞳。襟のないシャツに空色のジャケットを羽織った軽快なスタイルは学生服姿の雲雀と比較しても充分に若々しいというのに、まるで子どもを相手にするような物言いに苛立ちが募る。

「戦わないあなたに価値なんてないよ。うぬぼれないでくれる」

「相変わらず手厳しい」

ディーノは苦笑いしながら足を組み替え、絡めた両手を突き上げて大きく伸びをした。手首に覗く腕時計の文字盤が重たげに光る。眠そうなあくびをしてのんびりと首を回し、この場所ですっかりくつろいだとでも言いたげなポーズ。こうして相手の空間にさっさと居場所を見つけて腰を落ち着かせて、したい話を半ば強引に進めていこうとするのが彼の手口だといい加減分かっている、分かっているのにいまだ有効な対応策は見つけられていない。そんな思いを隠して黙りこむ雲雀の顔を見ながら、やはりディーノは勝手に口を開こうとしている。ここで席を立つのも癪だし耳をふさぐわけにもいかないし、快活な声がつむぐ言葉は否応なしに雲雀の耳に入ってきた。

「だいたい聞いてるとは思うが、リボーンの呪いを解くために戦うことになったんだ。オレとツナと、ほかの守護者の連中もだ。おまえも一緒に来てくれないか」

「断る」

ただの一言で切り捨てると、雲雀はフイと横を向いた。誰も彼も、とまた思う。なんだかペンを走らせる気にもならなくなってきて、それでも目の前の男の相手をする気にはもっとなれなくて、簡単に言えば集中力を削がれてしまった。草壁を呼んで茶でも入れさせようかもちろん自分の分だけ、などと別の思考に走りそうになったところで草壁が目下パトロール中なことを思い出して雲雀の眉間のしわがまた深くなった。

「そう言うなよ恭弥」

ソファを軽くきしませて立ち上がり近づく気配。机に頬杖をついて拗ねたように顔を背けている雲雀の正面まで歩いてきたらしいディーノの少しだけ近くなる声。微かに甘い香水の香りが鼻腔をくすぐるが、秋に相応しい上品な香りでそれ自体は不快なものではない。嗅覚を含めた五感が異様に敏感な雲雀が以前にたまりかねて文句を言ったことを覚えているのか、ディーノは雲雀の前では強い香りはつけないようにしているようだった。しかしそれさえも彼の計算された交渉術のひとつかと思うとわずかな香りにすら神経が尖る。

「相手は白蘭に六道にヴァリアーだぜ?おまえ後からでも絶対混ざりたくなるって。なら最初からやろーぜ、一緒にさ」

「僕は戦いたいときに戦いたい相手と戦う。あなたたちの指図は受けないし群れる気もない」

目線を合わせないままトーンを落とした低い声で言うと、返されるのはディーノのどこか楽しそうな声。

「まあそう言うと思ったけどな!飛行機の中でシミュレーションしてみたけど、おまえならそう言うだろうって結論しか出てこなかった」

「あなたの妄想に勝手に出演させないで」

「でも当たってたろ?それとも違う答え期待していいのか?」

「安い挑発やめてくれる。耳障りだよ」

等々、しばらくの間の不毛な押し問答の末に。終始和やかな態度ながらも根気強く食い下がるディーノを明日には答えを出す、という言葉で追い返した雲雀は、ペンを指の間でくるくると回しながらもう三度目のため息をつく。

じんましんが再発しそうな予感がした。

そして三人目の招かれざる客。日もすっかり落ちた夜の時間、そろそろ帰宅しようと机の上を片付ける雲雀の前に現れた本日二人目のアルコバレーノは、滑るような足取りですり抜けた扉の前に立ち小さな身体に似合わぬ慇懃な一礼をしてみせた。上げた顔に浮かぶのは柔和な笑み。黒々とした大きな瞳が雲雀をまっすぐに見据えている。

「こんばんは。雲雀恭弥」

「ここはお悩み相談室じゃないんだけど」

次から次へと、ともはや呆れ果てたといった調子で鼻を鳴らす雲雀を見てなぜか楽しそうに笑う風は、自分の前に誰が訪れて何を語っていったのかもすでに知っているようだった。リボーンの食えない笑みともディーノの人懐こい笑みとも違う、どこか達観した老獪さを感じさせる風のその笑顔が雲雀はあまり得意ではない。しかもクセの強い客達をあしらったせいでいいかげん口を開くのも億劫になっていた。

「帰って」

帰り支度の手を止めることなくすげない言葉を返すと、鞄を手に立ち上がりさっさと歩き出す雲雀。主人の帰宅に従って、黄色い小鳥ことヒバードは羽を広げて飛び立ち、匣ハリネズミことロールは雲雀の背中を俊敏に駆け上がって肩上に収まる。その後ろをその名の通り風のような足取りで音もなく追う風。応接室の鍵をかけて階段を降り、靴を履き替えて校門を出たところで雲雀は足を止めて振り返った。

「どこまでついてくる気」

「おや、話を聞いてくれますか」

ときおり瞬く古い街灯の下、詰問するような声をやんわりと受け流して風は目元をほころばせる。そのままさしたる溜めもなく自然な仕草で地面を蹴ると、羽のように軽妙な身のこなしで空中で一回転し道なりに続く低い塀の上にすとんと立った。軸にまったくブレがない。雲雀と風の、どこか良く似た漆黒の目線がぶつかる。

「話は聞かない。どこまでついてくる気って聞いてる」

「あなたの家まで。夜道は危ない、送りますよ」

「は?」

当然のように返される言葉に雲雀は眉をひそめた。土塀の上に立つ風と彼に従者のように付き従う小猿が同じ仕草で雲雀を見返す。不意の風にざわざわと揺らぐ世界のなか、足元に長く伸びた影だけが動かない。

「どうしました?」

「何のつもり」

「なにがです?」

「僕を誰だと思ってるの」

「私の大切な代理人です」

「引き受けてない」

「リボーンのチームと迷っているのですね」

盟友だという赤ん坊の名を出して浅く微笑む風の顔を雲雀は強気に睨み返した。人通りのない道の端で向き合う二人、間を吹き抜ける冷たい風が互いの黒髪を悪戯に乱す。しばらくの沈黙の後、口を開いたのは雲雀。

「赤ん坊も跳ね馬もあれこれ言っていたけど、僕は群れる気はない」

そうですか、と呟いて風はまた口元に柔らかな笑みを浮かべた。明るく朗らかな笑みから薄寒さを感じさせる不穏な笑みまで、その微笑みには一見して分かりづらいながらもバリエーションが数多くあることには雲雀も薄々気づいている。自宅の方角に向かって危なげない足取りで塀の上を歩き出す風の小さな背中を追いかけるようにしてまた隣に並んだ。自宅がそちらなのだから付いていかざるを得ず、まるで避けるように回り道をするのも癪だった。続くような会話もないままに十数分の道を歩き自宅の門の前まで来て門扉に手を掛けた雲雀はふと顔を上げる。

「あなた、どこに泊まるの」

「気になりますか」

「別に」

「ご心配ありがとう。私は修行者ですから、雨露を凌げる屋根さえあればどこでも大丈夫ですよ」

ではまた明日、と言って胸の前で両手を合わせてお辞儀をする風の前で、雲雀は大きく門扉を開いてぶっきらぼうな声を投げた。

「入って」

「……優しいことを言うのですね」

意外そうな顔で目を瞬かせる風の顔を、雲雀は思いきり睨みつける。

「勘違いしないで。飼い主の横暴につき合わされるその小猿に同情しただけだ」

厳しい口調で言い捨てた雲雀は、さっさと門を通り抜けて薄い飛び石を踏む。横暴、と口の中で呟いた風は頭上から身を乗り出しきょとんとした表情で主人の表情を覗き込むリーチと顔を見合わせたあと、にっこりと微笑んで小さくうなずいた。

To Be Continued...
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200万ヒット記念企画で雪雲さまにリクエストいただいた「雲雀、風、ヒバード、ロール」のお話です。短編ですが、場面転換の都合で前後編になりました。もう少しだけおつきあいいただけたら嬉しいです(深々)

※ヒバリさんと風さんの関係は、原作では最後まで明かされずじまいでした。ここでは「二人にはお互いに自覚する何かしらの縁がある(=元々、まったく知らない同士ではない)」というイメージを前提に書かせていただいています。

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『やさしいきみにキスをして』(京子&ツナSS)

ああ、好きだなあ、と思ったのはいつからだっただろう。
教室の片隅でひっそりと輝く光を偶然にでも見つけることができたのが、私のなかにある小さな誇り。

放課後、通りがかった廊下からたまたま見えた教室の中。椅子に座ったまま机に頭を載せて片腕を垂らしてぐっすり眠る姿に思わず笑みがこぼれた。疲れてるのかなあ今日は寒いのに大丈夫かなあと心配になって、靴先を方向転換してそっと教室に入る。起こそうか、それともなにか掛けてあげようかと迷いながら何気なく覗き込んだ表情に心臓が小さく揺れた。

山本君や獄寺君と一緒に優しく笑う顔を知っている。なにか怖いものと戦っていたときの真剣な顔も知っている。でもこんな風に小さな子どもみたいな表情で静かに静かに眠る人だなんて知らなかった。寝顔を見ることなら初めてではないはずなのに、すうすうと僅かに聞こえる寝息がなぜだかとても愛しく感じて。

(あんまり、ほかの女の子に見せたくないなあ)

ふと胸に湧いた気持ちに驚く。こんな感情の名前は知らない。すごくいけないことを考えてしまった気がして自分で自分に戸惑った。頬が熱くなって鼓動が速くなって一人でわたわたと慌ててやっぱりもう帰ろうと思って、でもなんだか名残惜しくなってその姿をもう一度盗み見る。

制服のシャツに包まれて規則正しく上下する男の子だけど少し華奢な肩の稜線、そこから覗く白いうなじ、ちょっと綺麗な色の瞳を今は閉じている腕の上の横顔。起きる気配がないのをいいことに、そっと近づいて机のそばにしゃがみこみその無防備な寝顔を見上げた。いつも人に囲まれている姿を今だけは独り占めできているような気がして少し嬉しかった。そしてそのときなぜか小さく湧いた悪戯心と、たぶん特大の勇気と、放課後の教室だけが持っているよくわからない魔法に背中を押されて。

気がついたときには、そっと腰を上げて彼の頬に柔らかく口づけていた。

「起きろバカツナ」
「っ痛ぁ!もう、蹴って起こすのやめろっていつも言ってるだろリボーン!ていうかおまえまた学校に……あ」
「なんだ?」
「うん、あのさ、聞いてよ今すごく嬉しい夢見ちゃった。なんと京」
「帰るぞバカツナ」
「なんだよ聞くくらいいーじゃんケチ!それにさっきからバカバカって感じ悪いぞ!ちょっと待って、待ってよリボーン!」

THE END
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#5月23日はキスの日らしいのでリプで一番目に指定されたキャラが二番目に指定されたキャラにキスをする

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Twitterのお題で書かせていただきました。
ゆきなさん(リプ:京子ちゃん)、めけさん(リプ:ツナ)でした。かわいい二人が大好きです!ありがとうございましたー!

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『のばされた手とこたえる指先』(スクアーロ&ベル小説)

長い任務明けの心なしか気だるい身体で自室の扉を開けると、しんとした闇にほのかな砂糖の香りが溶けていた。自分の部屋にそぐわない甘い香りの余韻に、スクアーロは扉に手を付いた姿勢のまま鼻をひくつかせて眉をひそめる。

残り香というにはやや重いそれは、日付の変わりかけた深夜にも関わらずほんの少し前までここにいた誰かが菓子の類を口にしていたことを示唆しているが、実は部屋に入る前から廊下に取り付けられた機械によって侵入者の存在は知らされていた。中に人がいる、と赤いランプを明滅させて注意を促していたその小さな箱は、一月ほど前にボンゴレ9代目からヴァリアー宛に贈られた「クリスマスプレゼント」だ。

未来世界でのミルフィオーレファミリーの技術をヒントに、ファミリーのエンジニアが総力を挙げて開発した最新のセキュリティシステム。ボンゴレ本部を守る強固なそれと同じものが最近になってヴァリアーの城にも導入されて、そのうちのひとつがこの幹部の私室の扉に施された静脈認証システムだった。これさえあれば、例えまやかしを得意とする霧の術士でも人目を忍んで部屋に入ることはできないという優れもの。しかしその頼もしい性能にも関わらず、辛口のマーモンには「お節介のかたまり」と評され、XANXUSの部屋のそれに至っては取り付けた初日に主の手によって木っ端微塵に破壊されてしまった。ちなみにスクアーロはといえば、逆にそこまでの興味も持てなかったため付けたままにさせていて、今日赤いランプを見るまではその存在すら忘れ去っていたというまさに悲運の機械である。

これでは9代目も浮かばれまいと思うものの、そんな各々の反応を贈る前から見越していそうなところがあのドン・ボンゴレの食えないところだ。そんなことを考えながら電気のスイッチを手探りで押したスクアーロの眼前に広がったのは、何も置かずに出たはずのテーブルの上に華々しく食べ散らかされたスナック類の袋、半分も飲まれていないジュースのグラス、わずかにクリームを残したケーキ皿、一口ずつかじられたドーナツの山、等々のポップでファンキーな光景だった。死屍累累の菓子の残骸。まったくプライバシーも何もあったもんじゃねぇ、と諦観のため息とともにスクアーロは窮屈なジャケットから腕を抜く。

犯人の目星はとっくについている。そもそもこの部屋のシステムに静脈を登録しているのも自分以外には二人しかおらず、そのうちの一人である横暴な上司とはさきほど任務報告を終えて別れたばかりだ。そうなれば侵入者はおのずと一人に絞られる。

テーブルの掃除は城おかかえのメイドに任せるだけなので腹も立たないが、それより気になるのは奥にある寝室から漏れるかすかな人の気配の方。スクアーロはすでに解きかけていたネクタイを完全に取り去るとジャケットごと丸めてソファの背に放り投げ、絡みつく銀色の長い髪を手で梳きながら一度首を回す。そのまま寝室へと続くドアに大またで近づき躊躇なく押し開けた。

部屋の壁際に置かれた広いベッドの上、毛布をかぶった人一人分のふくらみ。招かれざる客。まずその毛布自体が見慣れた自分のものではなく、むしろ手の掛かる王子殿下が引きずって廊下を歩きまわったり自室で胸に抱え込んだりしているのを見た記憶しかない。壁の方を向いていて表情は見えないが、それでも目立つ金色の髪。

まったく、と肩をすくめて、ひとまず寝ているならと点いたままの灯りを消そうと壁のスイッチに手を伸ばしたとき、視界の端で空色の毛布が揺れ動いた。手を止めて目線を送ると、毛布の端から見慣れたかたちの手の指がそろそろと這い出してくる。華奢な甲まで出たところで止まる。そのまま何かをじっと待つかのような、沈黙。

スクアーロは唇を曲げてベッドに近づき腰を下ろすと、丸まった毛布の前に黙って片腕を放り出した。スプリングの弾みで察したのか、白い手はシーツの上を少しだけさまよったあとスクアーロの腕にたどりつき捕まえて、その手首にボーダーの袖から伸びた指をからめる。

硬い爪と細い指先。
それは少し冷えていて、それでも、人の肌らしく淡い熱をまとわせている。

ベルが十歳に満たないほどに幼かった頃は、小さな身体をそれこそ城のどこにでも横たえてすうすうと寝息を立てている姿をよく見かけた。そんな奔放な振る舞いの反面、なぜか柱や家具などの狭い隙間にこっそりと身を収めたがる奇妙な癖があって、その姿はまるで用心深い猫のようだと皆で笑った。

その後、身体の成長と共に隙間に入ることこそなくなったが、庭、温室、貴賓室、屋根の上、厨房のテーブルの下と、およそ考えつく限りの、そしてそこそこ清潔であると認められる場所のいたるところで寝てしまう悪癖は相変わらずだ。スクアーロの部屋も例外ではなく、XANXUSの長い不在の間は特に多かったように思う。

肩を上下させる呼吸のリズムは小さく、シーツの上に転がされた後頭部も髪の間からのぞく小さな耳も微動だにしないので、繋がれた手のぬくもりがなければ死んでいるのではないかと疑うほどだ。手首をシーツに落としたままスクアーロはできるだけその腕を動かさないように注意しながらベッドに浅く掛けていた腰を深く移動する。つま先が床から離れる。広いベッドの真ん中を占拠して薄い身体を沈ませるようにしながら毛布に包まっているベルの顔は相変わらず見えないが、息遣いに耳を澄ませ気配を観察するだけで起きているのか寝ているのかを判別できてしまう程度には付き合いが長い。厚い前髪に隠された瞳はときおり瞬きながら浅く開いているのだ、きっと。

(嘘は上手くなっても)

囚われた手をもてあまして手のひらを握ったり開いたりしながらスクアーロは思う。

(狸寝入りは上手くならねぇなぁ)

ベルが触れるのはなぜかいつも手首だった。普段の独善的な振る舞いからはかけ離れた繊細な手つきで、おずおずと手のひらではなく手首だけを握る。震えが伝わるほど控えめな力で、それでも確かに離しがたい意志をこめて。まるでそこにある脈を確かめるかのように義手ではなく血の通った腕を選ぶのも偶然ではないのだろうが、その理由についてベルが語ることはない。

「ベル」

「……」

「ベル。ただいま」

独り言のように呟くと、スクアーロはすっかり手持ち無沙汰の義手を伸ばして金髪の頭を軽くたたいてやった。ぽんぽん、と柔らかく弾ませるようにしてみた作り物の冷たい手は身体の一部としてすっかりなじんでいるが、やはり生身の手のように感覚を仔細に伝えてはくれない。それでも金糸のようにさらさらとこぼれる髪の手触りとほのかな温度を指先に感じた気がしたのは、すべてが錯覚なのだろうか。

自ら切り落とした腕に未練はない。しかしひとつだけ不便があるとすれば。

(寝たふり王子に手首つかまれたとき、逆手じゃうまく頭なでてやれないことだなぁ)

とてもとても限定された状況。スクアーロは唇の端で少しだけ笑ってベルの頭から指を離すと、ベッドサイドに投げ出してあった読みかけの本に手を伸ばして、痺れ始めた左腕と共に夜が更けるのに任せた。

偽りの寝息が、本物の寝息に変わるまで。

THE END
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(ただいま/おかえり/おやすみなさい)

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200万ヒット記念企画で、ゆうゆうさまにリクエストいただいた「ベルとスクアーロで仲良しな感じ」でした。兄属性通り越して保護者化する隊長が愛しい。この二人がとっても大好きです。

ゆうゆうさま、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!(深々)

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『その街は花の下にて』(ベル&フラン小説) 後編

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任務である届け物はすぐに終わった。街の権力者だという老人の住む屋敷に行き、豪勢な客間に通され、苦いコーヒーを飲んで手紙を渡して出てきただけだ。これ以上ないくらい軽い仕事。見送りに出てきた執事の白い手袋に包まれた手によって背後の門が慇懃に閉じられたところで、フランはベルの顔を見る。

いつもは少しあごを上げなけばならないのに、今は目線の高さがまったく同じなのが不思議だった。しかしそうはいってもそこに立っているのはまぎれもないフランの姿。そよそよと吹く風に揺れる翠緑の髪と伏せられた同じ色の瞳。なだらかで華奢な肩。かりそめの幻覚をまとったベルは口をへの字に曲げてコートのポケットに手を突っ込み小さな靴の底で地面を蹴っている。意味不明な仕草。意識の底でつなぎ続けている集中力から成る幻覚は自分で言うのも何だがおそろしく出来がいいので、とりあえず人の顔を借りておいて辛気臭い顔をするのはやめてほしいとフランは思う。

「じゃー戻りますかー」

「もすこし付き合え」

「は?」

両手を突き上げて伸びをして、そのついでに出た大あくび。その口をぽかんと開いたまま問い返すフランを置いて、ベルはまたどこかに向かってさっさと歩き出す。首をひねりながらフランは小走りに後を追った。

「おなかでもすきましたかー」

「おまえは黙ってついてくればいいの」

ちょっと、見てくるだけだから。聞こえるか聞こえないかの声で小さく付け足された一言に、はあ、となんとなく察したフランは仕方なく幻覚を維持したままベルと肩を並べて歩き続ける。もともと他人の目をほとんど気にしない性分なので、角を曲がるたびに人々から注がれる鬱陶しい視線にも交わされる囁き声にも、いつしか慣れてしまっていた。

十数分も歩いただろうか、不意にこぎれいな住宅街に出た。区画整理でもあったのか、百年越えの建物も珍しくないイタリアの町並みには珍しい白く真新しい壁の建物が建ち並んでいる。狭い横道を抜けながら器用に歩き続け、ある場所でぴたりと足を止めたベルの背中に、ほとんど思考停止気味に後を付いて歩いていたフランはうっかりぶつかりそうになった。文句を言おうと上げた目線の先に映るものに、しかし思わず声が出る。

「おおー」

「ん?」

その声に振り向いたのは、狭い空に向かって高くそびえる壁に向きあいしゃがみこんでいた年若い青年。思いきり目が合ってしまったフランは、仕方なく口を開く。

「秋のバラですかー」

「ああ、いや、これは狂い咲きってやつでね。本当は春の花で」

フランよりもいくらか年上に見える青年は、ひねっていた首を戻して立ち上がり体ごと向き直ると、その隣に立つベルに気づいて驚いたような声を上げる。

「うわ、あんたたち双子?」

そっくりだ、と感心したように言う声に仏頂面でうなずいてみせると、フランは青年の背後にそびえる壁を改めて見上げる。

広く優雅に伝うバラのツルをまとわせた壁面は淡く黄色い花をしるしのように咲かせており、宝石のように可憐な花々を包み守るように這う緑の葉も小さく形良く、まるで壁自体が一幅の美しい絵画のようだった。フランが短くも素直な賞賛を送ると、使い込まれて鈍色に光る花ばさみを手にした青年はそうでしょう、と嬉しそうな笑みを返す。

「ここは『王様の花壇』だから」

イタリア一、きれいにしとかないと。咲き誇るバラの一輪に荒れた指でそっと触れながら、青年は小さく笑いながら言う。

「王様?」

「そう。王様。ここには昔、王様がいたんだ」

青年の言葉に思わず背後を振り返るフランの目に映るのは、わずかに歪む自分の顔。そんな二人の表情に気づいた様子もなく、並んだ顔をまだ少し物珍しそうに交互に見ている青年は、冗談だと思ってくれていいけど、と前置きして口を開く。

「僕らはその人のことが本当に好きで、王様のためなら何でもした。ちょっと言えないような悪いこともしたね。でもその人は何も言わずにいなくなってしまった」

「酷い人ですねー」

フランは腕を組みながら深くうなずいて言う。頭の後ろにちくちくと視線を感じたが、無視。歯に衣着せぬ物言いに青年は肩をすくめて苦笑した。

「そうだね。とても酷い人だ。おかげで僕らはここを離れられなくなってしまった」

愛おしそうに触れていた尖るバラの花びらから指を離して、青年は馴れた手つきで再び花ばさみを操り始める。冷えた路地の空気のなか、さきんさきん、と小気味いい音が立つ。

「あの人が住んでいた部屋はもうなくなってしまったけれど、毎日、ここだけは手入れするんだ。このバラはエバーゴールド。永遠の黄金。王様はきれいな金髪の人だった。僕らはこの場所でずっとあの人を待ってる」

バラの枝を切る手をふと止めて、青年は中空を見上げてつぶやくように言った。

「もう十八年になるかな」

「どうして」

責めるような響きが出てしまったかもしれない。そんな身勝手な王を―――つまりこのどうしようもない人でなしの堕王子を。ただ待つことにそれほどの時間を費やしている人間がいることが信じられなかった。今からでも背中を蹴飛ばしてノシつけてくれてやりたいとさえ思うフランの顔を見て、しかし青年は小さく笑う。

「国民が王様の帰還を迎えるのは当たり前でしょう」

「兄さん」

不意に鈴を振るような声がして、青年より少しだけ年若く見える女性が現れた。水の入った小さなバケツを両手に持っている。青年に「妹です」と紹介された女性はフランににっこりと微笑んでから、足元にバケツを置く。その丁寧な所作を見ながらフランは後ろ歩きで数歩下がってベルの隣に並び、ささやくような小声で呼んだ。

「センパイ」

物言いたげに袖を引くフランの顔を、ベルは見ようとしない。そんな二人に軽い会釈を残して、兄妹は水遣りと剪定の作業に戻ろうとしている。冷たそうな水に躊躇なく手を入れて壁を拭く、女性の手が荒れている理由が分かったような気がした。

「センパイってばー」

返事はない。フランは引き甲斐のない袖を諦めて離すと、ベルを残して後ずさりしながらその場を離れる。ベルは気づいた様子もなく、隙だらけでまったく、らしくない。いまなら一撃で殺せるチャンスかもしれないなどと頭の片隅で考えながらも素早く建物の影に入り壁に背を預け、フランはふう、と人知れず息をついた。狭い空を見上げて、ため息をもうひとつ。そして、つぶやく。

「貸し1はもういりませんからー」

ぱちんと音を立てて指を弾く。それは幻覚をほどく合図だった。

「おまえほんとふざけんなよ」

翌日。早朝からの異常なまでのドアベル連打に根負けしてベッドから起き上がりドアを開き、廊下に突っ立っていたベルを部屋に招きいれたフランに、ベルはぶつぶつと文句を垂れた。ソファではなくカーペットの上にあぐらをかいて座り、ローテーブルにあごを載せて背中を丸めている。

「楽しかったですかー?あのあと」

「おまえほんとふざけんなよ」

同じセリフを繰り返すと、フランが自分に淹れるついでに目の前に置いてやった熱いコーヒーに手を伸ばす。質問の答えは返されない。

「あのあと他の連中もぞろぞろ来てめちゃめちゃ引き止められて無理やりアドレス奪われて昨日から鳴りっぱなしでマジうるせーから電源切った」

「友達できて良かったじゃないですか。記念すべき日でしたねーセンパイに友達とか。人生初ですか?」

「友達じゃねーし全然良くねーし。なんかあいつら国民のくせに王子にやたら馴れ馴れしくなっててムカついた。もう知らねーあんな奴ら。全員クビだクビ」

テーブルにあごを載せながらコーヒーをすすりながら喋る、という器用な技を披露しながら低い声でぼそぼそと愚痴るベル。しかし普通に考えても暗殺部隊の幹部が、いくら数で勝るとはいえ一般人の手から本気で逃げられないわけもない。まあそういうことなんだろうと、フランは珍しく緩む口元を意識して引き締める。

「コーヒー飲んだらサクッと帰ってくださいねー」

「ん」

素直にうなずきながらも、じゃあコーヒー飲み終わるまでいるわ、と微妙に都合のいい解釈をするベル。その行儀の悪い姿を視界の端に入れながら、フランは念のためにと二人分のパンをトースターに放り込んだ。二度手間になるよりマシだ。

(本当は)

見になんて行かない方がいいんじゃないか。並んで歩きながら、その言葉をいつ言おうかずっと考えていた。

過去の辛い記憶と向き合うことは、辛い。トラウマなんていう言葉が一般に浸透するくらいだからそれは疑いようもないことだけれど、では反対に過去の幸せな記憶と向き合うことが幸せかといえばそんなことはない、とフランは思う。

別に悲観主義者ではないつもりだが、事実、人は変わる。世界も変わる。自分だって変わり続ける。止めることはできない。死者の思い出に生者が太刀打ちできるはずもないように、美化されていく幸せな過去の思い出に世知辛い現実が太刀打ちできるはずもなくて、そのギャップは年月が隔たれていけばいくほどきっと広がっていくばかり。

なら一度自分の中で「幸せでした」とレッテルを貼った思い出は、そのまま箱の蓋を閉じて鍵を掛けて心の内だけにそっととどめておくのが賢いやり方だと思っていた。生きやすいやり方だと思っていた。当たり前だ。世界がおとぎ話のように甘く優しくなんかないことくらい、その手を汚してばかりの暗殺者が知らないはずもなかったのに。

(ざまあみろ、って)

(笑ってやれなくて)

(すごく残念です)

完成されたおとぎ話。そうして王子様と国民はいつまでも幸せに暮らしました。

「めでたし、めでたし」

口の中で小さくつぶやく、そんな自分にまったくらしくないと少し呆れて、フランは気を取り直すように深呼吸すると愛用のマグカップに手を伸ばした。

THE END
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200万ヒット記念企画で、Keiさまにリクエストいただいた「『咲かずの王国』の続編。ベルがヴァリアー入隊後(リング戦後でも10年後でも)、あの町に偶然任務で訪れる」でした。物語の続きを気にしていただけるなんて幸せです。ベルとフランが本当に大好きです。

Keiさま、ここまで読んでくださった方、とっても、ありがとうございました!(深々)

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『その街は花の下にて』 (ベル&フラン小説) 前編

※この小説は、小説部屋にあるスクアーロ&ベル小説「咲かずの王国」の後日譚にあたります。本文中にざっくりした説明があるので前作を未読でも読めますが、意味が分からない箇所もあるかと思います。申し訳ありません。。

街の中心部に位置する広場に面したトラットリア。ガラス張りの窓から差し込む明るい日差しを少しだけ避けるようにしながら奥の席で一人フォークを握り皿に向かっていたフランは、テーブルを挟んだ向かいの椅子が引かれて誰かが腰掛けるのに気づいても食事の手を止めることはしなかった。フォークの先に刺したペンネを小さく開けた口に入れて、咀嚼。程よいアルデンテに茹で上げられたショートパスタにほのかな辛味のトマトソースがよく絡んでいて、美味しい。

「こら」

ペンネを飲み込んでしまってから、同じ皿に彩りよく付け合わされたブロッコリーを突き刺す。料理が運ばれてきてからすでに二十分程が経過しているため、皿の中はほとんど空になっていて、反比例的に腹の中は心地よく満たされていた。今日は久しぶりの休日、このあとは本屋に寄って取り置きしておいた本を受け取って夜に食べるためのパンもどこかで買って、とのんびりプランニングしながら左手で葡萄ジュースの入ったグラスをつかもうとした瞬間に、正面から伸びてきた手に素早くグラスを奪われた。むっとして顔を上げると、こちらも不機嫌そうな顔の見慣れた姿が目に入る。

幅はそれなりにあるけれど厚くはない肩、白い顔、相変わらず下ろされた前髪に隠された瞳。表情が読みにくそうだなと思ったのは出会った頃だけで今となってはむしろ分かりやすくすらあるが、それで得をしたことはほとんどない。初秋らしい温かそうなニットの上にこげ茶色の薄いトレンチコートを羽織ったままなのは注文する気も長居する気も無いという意思表示だろうか、と厄介な先輩の本日の風貌を観察しながら無言で相手の出方を待つ。そんなフランを見返して、右手に濃紫色の液体をたたえたグラスをつかんだ堕王子センパイことベルフェゴールはおもむろに口を開いた。

「無視してんじゃねーよ生意気カエル」

「あーすいません全然気づきませんでしたー」

「嘘つくな」

「嘘じゃないですー」

もちろん嘘だった。声をかけられる前から、勝手に椅子に座られる前から、もっと言えば店のドアが開けられたときから気づいていた。たとえ黙っていたとしても気配がうるさすぎるのだ。そんなことを思いながらジュースを返せと目で訴えると、ベルは汗をかいたグラスを面倒くさそうに押し返してきた。食べ終えた皿にフォークを置いて取り返したジュースをすするフランの不審そうな目線を避けるように、ベルは身体を後ろにひねりカメリエーレを呼ぶと一言「会計」と言った。

「センパイ」

「なんだよ」

不吉な予感に声を上げるフランにぞんざいな返事をして、ベルはテーブルにやってきたカメリエーレにジャケットの内ポケットから取り出した財布からカードを抜いて渡した。待ってください怖すぎますからこれ、とフランは急いで口を挟む。

「なにやってんですか奢ってくれなんて頼んでませんー」

言いながら自分の財布から抜いた紙幣を突き出すフランの手をうるさそうに払って、ベルは再びやってきたカメリエーレが差し出した伝票にさっさとサインしてしまった。眉をひそめるフランにふと顔を寄せて、ベルは潜めた声で囁くように言う。

「ちょっと付き合えよ」

やっぱりだ。見返り前提の押し売り詐欺。このコミュニケーション不全王子。フランが口の中でつぶやく悪態をきれいに無視してベルは席を立つ。仕方なくフランもジュースを飲み干して立ち上がると意味もなく壁に掛けられた時計を見た。十二時少し前だった。

店を出たところで追いつくことはできたが、付き合え、と言った張本人は振り向きもせずにそのままどこかへ向かってさっさと歩き出してしまう。この状況から逃げるタイミングを窺いながらもひとまず小走りでその隣に並んだフランは、眉間にしわを寄せてベルの横顔を見上げた。歩幅の合わない二足のブーツが踏みしめる石畳、そ知らぬ顔で吹き抜ける秋風が肌に冷たい。

「付き合えって何にですか」

「任務」

「は?ミー今日お休みなんですけどー」

「分かってるっての。貸し1やるから黙って来いよ」

「貸し・・・」

貸しを作ること自体は悪くない、とフランは思う。いつも理不尽なことばかり仕掛けてくる上に生活態度もはなはだいい加減な堕王子だが、一度した約束を反故にするようなことはしない。意外と律儀だ。しかし問題はそこではない。

「やですよ、ていうかなんですか任務って」

「届け物。別の街のお偉いさんに手紙届けに行っておしまい」

「めんどくさいんで質問誘う話し方やめてくれますー?」

だからなぜそんな軽い任務にミーがつき合わされなきゃならないのかさっさと教えろ、という圧力をこめて肩上の横顔を睨むと、ベルは目線は前に投げたまま早口で言った。

「その街、ちょっと会いづらい奴らがいるからオレのこと幻覚で隠して」

「え?会いづらい奴らって?」

「客車で話す」

予想していなかった答えに思わず声が出るフランをそれきり無視して、ベルは雑踏の中を足早に歩いていく。フランは頭の中に様々に浮かぶ疑問をひとまず押し隠して後を追い、ロングコートの背中に声を投げた。

「本」

「あ?」

「客車で行くなら本取ってきますから。ちょっと待っててください」

肯定の返事のつもりだった。どうやら伝わったらしく、数歩先を歩いていたベルは首を曲げて顔だけで振り向くと、フンと鼻を鳴らして小さく頷いた。

お互い言葉少なに乗り込んだ客車のボックスシート。無言で進行方向の席に座ったベルは窓に肘を置いて目線を外に投げ、その姿勢のまま動かなくなった。前髪に隠された瞳は見えなくても眠っていないのは気配で分かる。「客車で話す」はどうなったんだと思いながら向かい合わせの席に腰を下ろしたフランはしばらく様子を伺った後、諦めて袋から取り出した本を開いた。目次を追って前書きを読んで、ちょうど本文に入り込みかけたところで頭の上から声が降ってくる。

「聞く?」

「聞いてほしいんですか?」

目を伏せたまますぐに聞き返すと軽い舌打ちの音がした。それきり沈黙が下りる。十秒。心の中で小さなため息をついて、フランは仕方なく口を開いた。

「話していいですよー聞いてますから」

だいたいの場合においてこちらが聞いていようがいまいが、本を読んでいようが報告書を書いていようが明らかに嫌そうな顔をしていようが半分寝ていようが。全くおかまいなしにどうでもいい話題を吹っかけてくる堕王子の様子がなんだかおかしい。乗りかかった船。毒くらわば皿まで。そんなことわざが脳裏をよぎる。

「そもそもどこ行くんです?このままミラノまで行くわけじゃないでしょう?」

本のページを繰る手を止めないまま遥かな終着駅の名前を出して問うと、ベルは呟くようにひとつ単語を落とした。聞いたことがない街の名だった。フランスの田舎から拉致同然にヴァリアーに連れて来られたフランには、イタリアの地名はまだ馴染みが薄い。知りません、とフランが言うと、ちっせー街だから、とベルは返した。

「昔住んでた。隊長と初めて会ったのがそこ」

へえ、とフランは思う。この戦闘狂の堕王子がヴァリアーに入隊したのは八歳のときだったと聞いているが、スクアーロとの出会いについては初耳だった。ざっと計算すると十八年ほど前になる。自分の生きた時間とそう変わらない年月。腐れ縁、という単語が躊躇なく思い浮かんだ。

「会いたくない人は?元カノとかですか?」

どうせ酷い捨て方したんでしょ、と適当に言ってみると、ちげーよバカ、と面倒くさそうな声が返ってきた。

「じゃあ誰ですか」

「国民」

「はあ、センパイの生まれた国のですね」

「違うオレの。オレの国民」

「は?」

思わず出てしまった間の抜けた声と共に、頭半分で読んでいた本からとうとう顔を上げるフラン。視界に映るのは最初と全く変わらない姿勢で窓の外を見ているベルの白い横顔。目線の先にはぽつぽつと民家の建つ殺風景な、よく言えばのどかな、淡々と流れていく田舎の風景。寂しそうに並び立つオリーブの木。透くように晴れた空を渡っていく黒い鳥の群れ。ああもう訳わかりません、と頭を振って、フランはぱたりと音を立てて本を閉じた。

「あの、聞きます。聞きますから順を追って説明してください」

客車の中でベルが語った短い話をまとめると、ベルには生まれた国を出奔してヴァリアーに入隊するまでの僅かな期間に住みついていたある街があるらしい。そこでベルは同世代の子ども達、彼の言うところの『国民』を従えて日々の生活を送っていたという。従える方も従う方もどうかしている、と呆れるフランだったが、得意の毒舌で揶揄するにはどうも深刻な空気が漂っていたのでひとまず口は噤むことにする。そして要するにその『国民』達と今さら不用意に顔を合わせたくないということらしい。傍若無人の四文字を背負って生きているような堕王子にしては珍しく繊細な理由だと妙に感心したフランだったが、ベルがつぶやくように付け足した「時効も適用外だろーしな」という物騒な一言が耳に入った瞬間にこれ以上の深入りはやめようと心に誓った。今さら余罪がどうこう言える身ではないが、面倒ごとに巻き込まれるのはとにかく御免だ。

「で、どんな幻覚にします?サービスで聞きますよー」

「どんなんでもできんの」

目的地となる街が近づいてきた頃、フランの問いかけにベルは質問で返してくる。

「んー、目とか鼻とかパーツからひとつひとつ作るよりは、誰か実在する人の見た目を借りて一気に再現する方がホコロビは少なくなりますねー」

嘘ではないが、フラン程の腕があれば実はほころびなどはほとんど出ない。既存のイメージを使えば労力が少なくて疲れないというのがなによりの理由だったが、もちろんそんな余計なことは言わない。

「幹部の誰かの借ります?術士と被術者のイメージが一致する方が何かと動かしやすいですよー」

たとえば隊長とか、と言うと、ベルは首を振った。

「隊長はオレと一緒で面割れてるからだめ」

「マーモン先輩・・・はちょっと小柄すぎていろいろ不便ですねー。ボスはさすがにまずいですしルッス先輩かレヴィさんにします?」

「ぜってーやだ」

「じゃあ守護者の人たちとか・・・でもミーあんまり顔の細かいとことか覚えてないですけどー」

まあ瓜二つにする必要もないしそのあたりの誰かをベースにして覚えてないパーツは適当に作ればいいか、と考えて口に出そうとしたところでベルが口を開いた。

「おまえでいいじゃん」

「は?」

意味を図りかねて問い返すフランに、ベルは面倒くさそうに言う。

「いーよ、おまえで」

「ミーはどうするんですかー」

「誰か知ってるやつに化ければ」

「二人分出し続けるとか無駄に疲れるんでやですー」

こうなったらとことん疲れない方向で貸し1をもぎとってやろうと、生まれつきの省エネ思考を発揮してフランは言う。もともとが最小限の労力で結果を出すのがポリシーだ。それを聞いたベルは肩をすくめた。

「じゃあいーじゃん別に。双子っつーことで」

オレもともと双子だし、と関係ない上にいらない発言をはさんでくる堕王子に一度ため息をついてみせて、フランは結局その案を採用することにしたのだが。望みどおりの扮装で列車を下りた結果、ものの十分後には自分の決断を後悔することになった。

「あのーセンパイー」

「なんだよ」

「なんかミーたち微妙に目立ってる気ーするんですけどー」

ベルは小さな街だと言っていたが、降り立った駅を出た先は思いのほか賑やかだった。広場には市が立ち、色とりどりの花や絵画、古道具、野菜や果物を売る店が軒を連ねている。そして人々が行き交う大通りを肩を並べて歩くのは、小柄な背丈も透き通るような翠色の髪も瞳も何もかもがそっくり同じ二つのシルエット。すれ違う通行人から一様にちらちらと好奇の目線を送られているのは明らかに気のせいではない。元々目立つの好きじゃないし、とイヤそうに顔をしかめるフランに、気にせず飄々と歩くもう一人のフラン。もといベル。

「双子で出歩くとなにかと見られんだよ。慣れろ」

「ええー・・・」

服装くらい全然別にすればよかったと地味な後悔をするフランの視界に、午後の風にふわふわと揺れる翠緑の髪が映る。そろそろ髪を切りに行こう、と関係ないことを考えて自分の姿を映す鏡のような存在がすぐ隣に肩を並べて歩いている違和感から無理やり意識を外すことにした。もう始まってしまったのだから嘆いても仕方がない、できるだけ早く終わらそう、と心に強く決めながら。

To Be Continued...
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200万ヒット記念企画で、Keiさまにリクエストいただいた「『咲かずの王国』の続編」です。もう少しだけおつきあいいただけたら嬉しいです(深々)

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『夏色ノスタルジャ』(ディーノ&スクアーロ小説) 後編

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「だから言ったじゃねぇか」

「ごめんなさい」

夜回りの誰かが鍵を閉め忘れたのだろう、裏庭に向かってわずかに開いていたキッチンの窓を閉めるとすすり泣くように響いていた風雨の音がぴたりと止んだ。静寂。すわった目で思いきりにらみつけられて、勘違いでケガ人を夜半に起こしてしまったディーノはひたすら謝罪の言葉を並べる。腕組みする同級生の肘上までまくられた袖から覗く、真新しく白い包帯が目に痛い。

「だから言ったじゃねぇか」

「ごめんってば・・・」

体を縮こませて謝るディーノを見ながらフンと無感動に鼻を鳴らして、どうやらすっかり目が冴えてしまったらしいスクアーロは手近な椅子を引き寄せどっかりと腰を下ろして足を開く。立ったままおろおろしているディーノから目線を外し、唇から呼吸とも吐息ともつかない空気音を漏らすとあごを上げて天井をにらむとそのまま動かなくなった。

「えっと、寝る?」

虚空を見つめたきり固まったように無言になる同級生に、ディーノはおそるおそる声を掛ける。それには答えずにしばらくの沈黙を落としたあと、スクアーロはおもむろに口を開いた。

「おまえ、危なっかしいな」

「え・・・え?オレ?」

突然の言葉。姿勢を変えないまま瞳だけを動かしたスクアーロの銀の虹彩に映るのは、戸惑ったような表情の自分の姿。確かに道を歩けば転ぶし階段があれば落ちるし犬がいれば追いかけられるし、と内省しているとだんだん気分が落ち込んでくる。深夜という時間帯のせいもあるかもしれないし、寝ていた彼を無理に起こすという失態をしたばかりだからかもしれない。

「将来ここを継ぐんだろ?」

もう少ししっかりしろよなぁ、と続けるスクアーロの少しかすれたような低い声。なにか言おうと思うものの謝るのもいい加減しつこいような気もして、結局何も言えずにパジャマのすそをつかんでうつむき、ディーノは明るい水色のルームシューズに包まれた足先を見つめた。

二年ほど前に色が気に入って買った柔らかな室内履きはつま先が少しほつれてきているが、きつくなる気配はまだない。年齢の割に小柄な身長と小さな足。このまま背が伸びなかったらどうしよう、とあまり考えないようにしてきた悩みがいまなぜか急に頭をもたげてきて、ディーノは振り払うように頭を振った。

「・・・わかん、ない」

「あぁ?」

小さく発した言葉に返される怪訝そうな声。家業を、マフィアを継ぐということ。物心ついたときから、その意味を理解する遥か前から、否応なしに意識させられてきたその言葉の重み。

「継ぐとか、その、オレは正直、嫌、なんだけど」

「だけど、なんだよ」

「うん・・・」

自信がないとますます声が小さくなってしまう。迷いの原因は分かっている、嫌だから、の一言で切り捨ててしまうにはあまりにも大切な家族と慣れ親しんだファミリーの存在。せめてマフィアでさえなければと思うものの、結局はリーダーというポジションそのものにまったく向いていないのだから同じこと。胸中にうずまく思いを言葉にできないまま黙るディーノの耳に、スクアーロの強い舌打ちが届く。

「へなちょこ野郎が。ファミリーのボスは一に血統、二に血統だ。逃げられねぇんだからガタガタ抜かしてんじゃねぇよガキが。腹くくれ」

「なっ」

まるで投げ捨てるような言葉をぶつけられた瞬間、ディーノの胸の中で何かが破裂した。
怒りほどの発火力はなく、ただそれでも、細い細いニードルのような何かが心の臓に突き刺さる小さくも確かな音。気づいたときには口を開いていた。

「・・・うるさい」

「はぁ?」

「う、うるさいって言ったんだ!きみにオレの気持ちなんか!」

わからない。
イタリア最強のファミリーにおいて剣帝にさえ勝利し、学校中の羨望の的でありながらなんのしがらみも持たないきみなんかには一生わからない。

その強さも。
その自由さも。
そのどちらもが、自分が渇望しながら手に入れられないものそのものだというのに。

「オレはマフィアのボスになんてなれないしなりたくない。嫌だ、嫌なんだよ!なにも知らないくせに勝手なこと、」

「っだああああああ!!!」

拳を握りしめて堰を切ったように叫び言い募るディーノの声をさえぎるかのように突然大声を上げて、スクアーロは椅子を蹴り倒すようにして立ち上がる。驚いて言葉を切り立ち尽くすディーノにずかずかと近づくと強い力で華奢な手首をつかんだ。

「なにするんだよ痛い!」

ディーノのとっさの抗議にも構わず、スクアーロは無言でディーノの手首を引いたまま乱暴な足取りでキッチンを出た。そのまま長い廊下を抜けて正面玄関に向かい、片手で器用に錠を外して扉を開く。

「え、ま、待って!外、雨、ってわああ!」

屋敷の前庭をまるで瀑布のように覆う雨を目の当たりにして慌てて口を開くディーノの言葉が終わるのを待たずに、スクアーロはディーノの身体を雨の中に思い切り突き飛ばした。川のように流れる泥の中にしりもちをついて水を散らし、バケツどころかイタリア中のバスタブをひっくり返したような豪雨にあっという間に全身びしょぬれになったディーノは、碧の瞳を見開き扉の前に仁王立ちになるスクアーロを見る。

「ごちゃごちゃうるっせえんだよへなちょこがぁぁ!」

耳にうるさいほどの雨の音もかきけす、通り過ぎるほどに通る怒鳴り声。

「そんなに嫌だ嫌だ言うんならいますぐ出てけ!二度と帰ってくんじゃねぇ!」

言い捨てられるやいなや、あっけにとられるディーノの目の前でバタンと大きな音を立てて扉が閉まる。前庭にぽつぽつと立つ常夜灯の明かり、その僅かな光の届く範囲の外を満たす暗闇と滝のように降る雨。たちまち塗りつぶされる視界。閉じた扉。流れる泥に手をついたまま呆然としていたディーノは慌てて身を起こし正面玄関の扉に飛びつき開けようとするが、中から鍵が掛けられたのか扉は貝のように閉じてびくともしない。

(うそ、追い出された!)

オレの家なのに、オレの家なのに!赤の他人である同級生に身もふたもなく放り出されてディーノは青くなった。まだ夜明けまでは何時間もある。誰かを呼ぼうにも携帯電話も持っていない。ディーノはこぶしで扉を叩き必死に声を張り上げた。

「ス、スクアーロ!開けて!入れて!助けて!」

「はぁ?嫌なんだろ?ぬくぬく飯食ってねぇで今すぐ出てけ!」

扉の内側から返される怒鳴り声。まだそこにいたと分かって安堵する気持ちが少しと、だからここはオレの家だしきみは関係ないしと叫びたい気持ちがたくさん。なのに声が出ないのは今まで誰も言わなかった、言ってはくれなかった、「嫌ならやめていい」という言葉。

(まさかきみなんかに)

言われるなんて。あまりにも乱暴に差し伸べられた、いやむしろ払いのけられた手にぐらつく情けない自分と、素直にうなずくことのできないぎりぎりのプライドがせめぎあう。プライド。継ぐものとしてのプライド。そんなものが自分のなかにまだあったことに驚いている間もなく、無情にも中の明かりが消されて闇がまた一段と深くなった。

「え・・・ホントに?」

扉に拳をついたまま思わずつぶやくディーノの頭上に、容赦ない量の雨が降り注いだ。

比較的雨を避けられる玄関前にうずくまって座り、立てた膝の間に顔を埋めていたディーノは、雲間から差し込む朝日と前に立つ人の気配に重く閉じていたまぶたを上げた。

「起きろへなちょこ」

「なんだよ暴力鮫」

蚊の鳴くような声でぼそぼそと悪態をつくディーノ。腰に手を置いて仁王立ちしていたスクアーロはおざなりな声を返す。

「あぁ?」

「信じられない。ほんと信じられない。ここオレの家なんだけど。意味わからない」

「チャンスをやったんじゃねぇか。どーせ家出のひとつもしたことねぇんだろ?」

揶揄するような言葉にディーノは不安と混乱と疲労と寝不足でぐちゃぐちゃの涙目になった顔を上げてスクアーロを思い切りにらみ上げる。涙をこぼさないように奥歯をかみ締めて堪えたのは男としての一応の矜持で。

「人の話っ・・・聞きもしないでこんな乱暴なやり方するし!」

「その乱暴者をお招きしたのはおまえだろ?」

だから足元すくわれるって言ったんだぜぇ、とそ知らぬ顔で言われてディーノは悔しさで真っ赤になった顔を隠すように雨にぐっしょりと濡れた金髪の頭を抱え込んだ。伏せた唇が動いて小さな声で言葉をつむぐ。

「オレは」

「あ?」

「オレはファミリーのみんなが好きだよ。本当の家族と同じように思ってる。でもだから怖いんだ。オレなんかが、オレなんかに、大切なみんなの命を預けちゃいけないって。ただ逃げたいわけじゃない。そうじゃないんだ。でもどうしたらいいのか分からない。本当に、オレには分からない」

吐くような言葉を残して立てた膝の間に顔をうずめるディーノをしばらく無言で見下ろしていたスクアーロは、やがてディーノの頭に手にしていた大きなバスタオルを落下させた。手探りでつかんだタオルをのろのろと引きおろすディーノの耳に届く、スクアーロの妙に静かな声。

「あのなぁ、他人のオレが言えた義理でもねぇけどよ」

うつむいていた顔をそっと上げたディーノの視界に、目線を合わせるようにして足を折ってしゃがみ、膝の上に組んだ腕を置いたスクアーロの顔が映る。

眉間に深い深いしわを刻んだ猛禽類を思わせる鋭く強い瞳。そこに迷いの色はない。出会ったときから、ずっと。

「昨日、オレがあの路地裏でへばってたときなぁ。おまえが来るまでに何人も目の前を通り過ぎてった。どいつもこいつも、ゴミでも見るような目をしやがってなぁ」

「・・・・・・」

「あんな夜中にオレを起こしやがったのも、ファミリーの誰かが泣いてんじゃねえかって青臭せえ心配してたんだろ?」

どこか気だるそうに言いながら、スクアーロは折った膝に置いた自らの両肘で口元を隠すようにして長い指を組んだ。その仕草のせいで、次いでもらされた言葉はディーノには少し聞き取りづらかったが、うぬぼれでなければ、この大人びた同級生は確かにこう言った。

(おまえはもう少しばかり、自信ってやつを持ってもいいんじゃねえのか)

碧緑の瞳を二、三度またたかせて、何か言わなければ、と、言葉もまとまらないまま焦って口を開きかけたディーノの前でふう、とひとつ深いため息をついて、スクアーロはおもむろに立ち上がった。

「帰る」

「え、あ、う、うん」

肩透かしを食らって、ディーノは慌てて立ち上がると歩き出すスクアーロの背中を追った。
言われた言葉を頭の中で何度も何度も反芻しながら。

「そんなことがさ、あったなーって」

「てめぇ・・・わざわざ直電よこして・・・黙って聞いてりゃ・・・」

くだらねぇ話を長々聞かせやがってどこのヒマ人だこの馬鹿クソ野郎が。電話の向こうから届くのは不機嫌を通り越して殺気すらはらむ低い声。本題に入る前のブレイクにしては確かに長すぎたかもしれない。朝から悪いな、からのそういえばこの間言いかけたあれさ、からの、柄にもない長電話。なんとなく興が乗ってしまっていたディーノは、悪い悪い、と相手には見えないことを知りながら顔の前で手を立てて謝る。

「この前の情報の礼に飯おごるって、XANXUSに伝えてくれ」

一言だけで済んでしまう用件。メールではなくて電話をするのは、すぐにレスポンスがほしいときと、なんとなく気分で声を交わしておきたいとき。たとえそれがかりそめのコミュニケーションだとしても。

「ただの飯じゃねぇだろうな」

「もちろん」

用意してあるのはとっておきの情報。耳に届くのは浅く長いため息の音。

「メールで返す」

「はいはい」

手の中の端末をタッチして通話を終え、待受画面に表示される時間を確認して五分後に来客の予定があることを思い出す。

(もし、最初に友達とケンカしたのはいつかって聞かれたら)
(オレはあの日のことを答えるんだろうな)

聞かれる見込みもない問いとその答えをふと想像してくすくすと笑いながら、ディーノはすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと本日最初の仕事を果たすべくデスクから立ち上がった。

THE END
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200万ヒット記念企画で、りんごさまにリクエストいただいた「(ブログ主が)こんな二人だったらいいな、と思うディーノとスクアーロ」でした。この元同級生2人の組み合わせが大っ好きなので、学生時代の彼らを書かせていただけてすごく幸せです。
また、小説、ドラマCD、アニメの彼らについての情報をくださったフォロワーHさまにスペシャルサンクスです^^

りんごさま、ここまで読んでくださった方、とっても、ありがとうございました!(深々)

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『夏色ノスタルジャ』(ディーノ&スクアーロ小説) 中編

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朝から降り続く雨に街全体が濡らされたような夏の日の夕方。

ディーノは手負いの猟犬を拾った。

「スペルビ・スクアーロ?」

「・・・へなちょこ野郎か」

狭い路地裏の隅で壁に背をつけて座り込み、糸のように降る雨に全身を濡らしながら鋭い目線でにらみ上げてくる大人びたクラスメイト。生々しい血の匂いと殺気の余韻を隠そうともせず、全身の毛を逆立てうなりながら威嚇する獣のような姿にディーノは瞬間気圧されて思わず後ずさった。しかしすぐに気を取り直して手にしていた青い傘を自分の肩に掛けると、降りしきる雨に打たれ続ける石畳に躊躇なく膝をつく。きちんとアイロンがけされたパンツの膝にみるみる雨水が染みて濃く色を変えるのを見て、スクアーロは眉間に訝しげなしわをよせた。

「おい」

「酷い傷だ」

金色の髪からたちまちしたたり落ちる雨粒を払いながら小さくつぶやき、ディーノは背後を振り返る。

「ロマーリオ、車をお願い」

「頼んでねぇ。余計なマネすんな」

言い終わるのを待たずにかぶせるようにして発される低い声。ディーノは困ったように眉根を下げる。

「でも」

「うるせぇ」

目線を外し腕を裂く傷を隠すようにしてその場を動こうとしない姿。言葉を交わすのは初めてではない、しかし咄嗟に気の利いた言葉を掛けられるほど親しくもない。ディーノはしばらく逡巡したが、不意に思いついて真面目な顔を作るとスクアーロの双眸を覗きこみ口を開いた。

「あの、こんにちは、ボンゴレファミリーのスクアーロさん」

「あぁ?」

翠玉と灰銀の視線の交錯。
すべてをぬるく濡らす真夏のスコールのなか。
表通りの喧騒も雨音もなにもかもが眩暈のように蜃気楼のように幻のように瞬間遠のくような錯覚。

「オレはキャバッローネファミリーのディーノ。ボンゴレとキャバッローネの盟約に従いあなたを保護します」

声変わりまもない声でささやくように言うと、ディーノは傘を持って立ち上がりスクアーロに向かって手を差し伸べた。

「貸し作ったとか思ってんじゃねぇだろうなぁ」

右腕に巻きつけられた包帯を心外そうな顔で眺めながらスクアーロは言う。キャバッローネの所有する屋敷の一角にあるディーノの私室で、備え付けのシャワールームから出てきたところだった。

「だからボンゴレとうちは同盟関係なんだってば」

イヤなら報告しないけど、と続けるディーノに、スクアーロはまたにらむような目線を投げてくる。研ぎ澄ました刃のような鋭利な眼差し。迫力あるなあ、とディーノは変なところで感心した。

「学校の友達がケガしてたから家で手当てしました、ってだけなら、別に報告するようなことでもないから」

「誰が友達だ」

クソが、と言い捨ててスクアーロはソファに腰掛けて行儀悪く足を組んだ。ローテーブルをはさんで、ソファではなく床にぺたりと座っていたディーノはその姿を見上げて首をかしげる。

「クラスメイトだし」

「オレに友達なんかいねぇよ」

「ケガ大丈夫」

「問題ねぇ」

結構しゃべるんだ、と、学校では化物剣士として恐れられているスクアーロと途切れ途切れでも会話が続くことにディーノは感動にも似た気持ちになった。人がいれば近くに座る。話しかけられればぶっきらぼうながらも言葉を返す。まったく他人と関わらないタイプかと思いきやそうでもないらしい。

眉間にしわを寄せた彫りの深い顔立ちや前髪の下から覗く射抜くような目線は、もともとの童顔に加えて母親似の優しい面立ちと言われるディーノよりも数歳は大人びて見える。だが、短く切った銀髪に大きめのタオルをかぶり借りたTシャツとスウェットに身を包んだ体躯は、鍛えられてはいるもののまだ年齢相応の細さを残していて、例えばロマーリオのような完成された大人の骨格ではない。剣帝を倒しマフィア界屈指の暗殺部隊に入隊したと噂に聞いてはいたが、それでもやっぱりまだ同い年なんだとディーノは妙な安心感を覚えた。

「なにか飲む?」

「酒でもあるのか?」

少し興味を引かれたように瞳を輝かせる同級生に、ディーノは肩をすくめて首を横に振った。

「ないよそんなの。この前ちょっと飲ませてって言ったらロマたちにすごい怒られた」

「いま飲んでるそれは」

「ミルク」

ミルクだぁ、と大げさなほどに呆れた反応をして、スクアーロは頭に被ったタオルの上から濡れた髪を両手でがしがしと拭いた。

「どんだけガキなんだぁおまえは」

「きみと同じ年」

「なにしてんだ、さっきから」

「宿題」

「マフィアの跡継ぎが宿題かよ」

「一応さ、君にも出てるんだよこれ」

同じクラスなんだから、と言いながら広げていた教科書を見せると途端に嫌そうな顔をされた。タオルを肩に落とし、大きな手を振りながらあっちへ行け、というジェスチャー。

「見せんな。頭痛くなる」

頭は悪くなさそうなのに、と思うが、そのまま口に出したら怒られそうな気がしてディーノは黙って教科書の計算問題に目を落とす。学校の成績は目立つ方ではないけれど、数字を扱うのは実は嫌いではない。愛用のシャーペンの芯をカチカチと出しながら目を伏せたまま言う。

「服はもうすぐ乾くけど、急がないなら泊まっていきなよ。すぐ夕飯だし」

スクアーロが着ていた服は雨と泥と誰のものとも分からない血で酷く汚れていたので、彼が手当てを受けシャワーを浴びている間にハウスメイドに洗濯と乾燥を頼んであった。そのことを伝えると、頭の上で舌打ちの音が聞こえる。

「てめぇのファミリーとワイワイしろってかぁ?めんどくせぇ」

「じゃあここでオレと食べる?別にいいよそれでも」

「あのなぁ、おまえなぁ」

いらだったように床を蹴ってソファをきしませる音。言葉にかすかな呆れの色が滲む。

「そーやってオレみたいなよく知らねぇ奴に馴れ馴れしくしてんじゃねぇ。いつか足元すくわれるぞ」

その言葉を聞いたディーノは教科書に落としていた目線をふと上げてスクアーロを見た。
きょとん、という擬態語が似合いそうな顔で大きな目を瞬かせる。

数秒の沈黙。

「えっと、ありがとう」

「はぁあ?」

唐突な言葉に、スクアーロは目を丸くして大声を上げた。そんなに驚かなくても、と思いながらディーノはまたシャーペンの芯をカチカチ鳴らしながら頬杖をつく。

「あのさ、さっき友達なんていないって言ってたけど、オレもいないんだ。鈍くさいし運動とかもダメだし、あんまりはっきり話せないし」

言いながら、ディーノは碧緑の瞳を細めて少し笑う。

「きみは友達なんて必要ないくらい強いんだろうけど、オレはそうじゃなかった、だから」

こういうのちょっと嬉しいんだよね。にこにこと無邪気な笑みを浮かべるディーノの顔を呆気にとられたようにしばらく見つめたあと、スクアーロはソファの肘置きに預けていた身体を起こすと両肘をソファの背もたれに載せ、深いため息をついた。

「飯」

「え?」

「さっさと飯持って来い馬鹿」

文句を言いながらもディーノと差し向かいで夕食をとったスクアーロは、結局そのままディーノの部屋に泊まった。帰るの帰らないのといったやり取りが一瞬あったような気もするが、最終的には一向に止む気配のない長雨を理由にディーノが引き止めたかたちだ。他愛ない会話をぽつぽつと交わしたあと、習慣的に夜が早いディーノに合わせてスクアーロも早々にソファに横になった、その夜のこと。

ディーノは暗闇の中で目を開けた。

大きな瞳をきょろきょろと左右に動かす。窓の外から届く雨音だけがわずかに響く部屋のなか、次第に暗順応する目と共に聴覚が捉えたかすかな違和感。少し逡巡したあと裸足のままするりとベッドから降り、部屋の中を手探りで移動する。

「ね、起きてる?」

「殺すぞ」

ソファの脇に立ちパジャマの袖から伸びた指先でおずおずと肩をつかみ揺すってみたディーノは、間髪入れずに凄まれてびくりとして手を引っ込めた。寝返りを打って向けられた真顔、暗闇を裂いて光りそうなほどに鋭い眼差しに浅い眠りを邪魔された苛立ちがありありと浮かんでいる。

「便所についてこいとか言うんじゃねえだろうなぁ」

「ち、違う!あ、でも」

近いかも、とつぶやいた顔を半目になって見返されて、ディーノは慌てて顔の前で手を振る。

「違う、トイレじゃないんだけど、なにか聞こえない?」

「あぁ?」

顔をしかめながらも半身を起こし鋭敏な感覚を聴力に集中させて、スクアーロは眉間にしわを寄せながら耳をすます。

「なにも聞こえないぜぇ」

寝ぼけたこと言ってねぇで寝ろ、と言い捨ててさっさと横になろうとするスクアーロに、ディーノは焦ったように声を掛ける。

「ほら、また」

「てめぇなあ・・・」

不機嫌を顔に貼り付けて口を開こうとしたスクアーロの耳に、ふと届いた音。
ひゅうひゅう、と切なげに喉を鳴らすような。

「風の音?いや声・・・女か?」

「やっぱりそうだよね!女の人の泣き声みたいな」

眉をひそめるスクアーロを見て思わず安心したような声を出すディーノは、しかしすぐに心配そうに眉根を寄せる。

「ちょっと見てこようと思うんだけど、スクアーロついてきて」

「はあ!?」

理不尽に起こされた不機嫌さから二、三度トーンの下がっていた声が、思わず大きくなる。

「なにビビってんだ、てめえの家だろうが!」

「そうだけど、でも!古くて広いから幽霊とか普通にいるし!」

いんのかよ、とスクアーロは呆れたようなつぶやきをもらす。神妙な顔でうなずくへなちょこを見返しながら、しかし面倒な気持ちに変わりはなく。

「ユーレイが部屋の外で泣いてるってんなら、それはそれでほっときゃいいじゃねぇか」

至極合理的、と自分で自分を評価してスクアーロはさっさと毛布を引き寄せると寝返りを打ち、ディーノに背を向けてソファの背もたれと向き合った。そのまままぶたを下ろしたが、しかし頭の後ろでうるさく言い募る声。

「幽霊ならいいけど、もし誰か泣いてたら!」

「なら一人で行けよ!」

「幽霊だったら怖い!」

しばしの不毛な押し問答の末、意外な頑固さの前に根負けしたのはスクアーロの方だった。しぶしぶソファから起き上がり足先を靴に突っ込む彼を見てディーノはほっと息をつき、ついでにひとつ小さく頼りないくしゃみをした。

To Be Continued...
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『夏色ノスタルジャ』(ディーノ&スクアーロ小説) 前編

会話が途切れた隙をみてさりげなく人の輪を離れたディーノは、影のように付き添う部下が押し開けた広間の厚い扉を通り絨毯敷きの廊下に出た。無難な管弦楽と人々のさざめきあいとが混ざり合うノイジーな空間、それらすべてが扉が閉まると同時にまるで波が引くように後方に遠ざかり消えていく。

やれやれと息をついてスーツの肩を回し、手首に重くなじむ腕時計の文字盤を確かめると午後十時を過ぎたところだった。乾杯からすでに二時間ほどが経過している。予定より少し早いが、パーティの招待主への義理立ても済んだことだしこのまま帰って寝るか、とあくびをしながらジャケットの内ポケットから携帯電話を探り出そうとしたところで、長い廊下の奥からゆっくりと近づいてくる人影に気づいて目線を上げた。

廊下の片側は全面が広いガラス張りになっていて、大粒の雨が横殴りの風とともに荒れ狂うシャワーのように激しく打ち付けている。その荒天の屋外からガラス一枚を隔てた静寂の中に一人たたずむ研ぎ澄まされた姿。モダンブラックのスーツに長身を包み、ネクタイとカフスはその身にまとわせる長い髪にも似た質のいい銀色でそろえられている。

「よお」

よく知るその顔に気安い声をかけてみると、相手は相変わらずの鋭い目線を投げ返してきた。ボンゴレ9代目直属の暗殺部隊のナンバー2と、同盟ファミリー3位のキャバッローネの長では立場的な優劣はほとんどなく、それ以前に旧知の仲でもあるため基本的には対等な関係だ。あえて口に出すことはないが、上下の義理を極端に重んじるマフィア界においては「対等」の二文字は貴重だとディーノは考えている。もちろん、目の前の彼がどう思っているかまでは分からないけれど。

「来てたんだな。もう帰るのか?」

「いや、」

大儀そうな物言いで、スクアーロはディーノの顔をにらむように見る。ディーノ同様、その色白の顔にアルコールの余韻はほとんどない。

「てめえを待ってた」

「へえ」

珍しい言葉にディーノは片眉を上げた。しかし心当たりはあったので促されるままに脇のドアノブをつかみ扉を開く。明かりのついていない部屋の中は暗かったが、スクアーロが電気のスイッチを押すとソファとテーブルの備えられた小さな応接室といった風情の部屋が現れた。ディーノは、付き従う部下に扉の前で待つようにと軽い微笑みと共に手のひらで指示して、乾いた室内に黒い革靴を踏み入れる。

調度らしきものはなにも置かれていない質素な小部屋で、今宵のパーティの主催者であるイタリア随一の富豪が有する広大な屋敷においてはほとんど使われていない空き部屋のようだった。人の残した気配というものがまったくと言っていいほど感じられない。部屋の正面にある出窓にはやはり雨粒が激しく叩きつけられ、時折、遠くで雷鳴が響いた。

「だりぃな」

中央のくすんだ焦げ茶色のソファに腰を沈ませた元同級生は、足を組んで白い喉をひねるといかにも邪魔そうに片手でネクタイを引き抜いた。ダークグレイのシャツに銀色のタイは色がよく合っていたのに、とディーノは思ったが、スクアーロは気にした様子もなく長い銀髪を振って息をつき、そんな台詞をこぼす。

「なにが?パーティがか?」

いかにも本音らしい一言に苦笑しながら向かいのソファに腰掛けるディーノに顔を向けて、スクアーロは銀の双眸をすがめた。

「腹黒い奴ばっかりだってのに上品ぶってんじゃねえってなぁ」

「んー、まあ、仕事のうちだからな」

模範的な答えを返しながらも、ディーノは知っている。作りこまれた笑みを顔面に貼り付けてグラス片手に近づいてくる男たちも、大広間をさざなみのように行き交いながら羽扇の陰からちらちらと目線を送ってくる華やかな衣装の女たちも、自分にとってはその名前やバックボーンと共に記憶しただ分類される記号のような存在にすぎないことを。大切なファミリーや、日本にいるツナや雲雀をはじめとするボンゴレ守護者たちの姿が、常に鮮やかに色づきその声や動きを伴って頭の中で再生されるのとは対照的なことである。

「悟ってんじゃねぇよ。根から腐るぞ」

本音を隠したディーノの返答に不満げに鼻を鳴らして、スクアーロはジャケットの内ポケットから抜き出した小さな紙片をディーノの胸に突きつけた。

「頭に入れたら焼き捨てろ」

「OK」

ディーノは軽く頷いて折りたたまれた紙を受け取り、中を開く。一度だけ目を通すと立ち上がり、壁際の棚に置かれた卓上式のライターに火をつけ紙片を近づけた。数百万ユーロの価値のある情報は瞬く間に燃えて端から崩れ、灰皿に落とされてそのまま燃え尽きる。

その一部始終を無感動に見届けたスクアーロは、そのまま黙って部屋から出て行こうとした。その背中にディーノは声を投げる。

「行くのか?」

「言ったろ。てめえを待ってただけだ」

「なあ、」

「あ?」

「今ちょっと思い出したことあるんだけど」

「・・・・・・」

「学生のときさ、やっぱりこんな雨の日でさ、おまえと、」

「覚えてねぇよ」

さえぎるように言って、スクアーロは振り向くことなく扉を押し開けて出て行った。残されたディーノは閉じられた扉を見て、窓に打ち付ける雨粒を見て、少し笑う。

「相変わらず、嘘が下手だ」

To Be Continued...
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200万ヒット記念企画で、りんごさまにリクエストいただいた「(ブログ主が)こんな二人だったらいいな、と思うディーノとスクアーロ」です。
続きます。もう少しだけおつきあいいただけたら嬉しいです(深々)

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『ベイビー・アフェア』 (ヴァリアー小説)

「だからてめぇの言い分がおかしいだろ明らかに!」

任務に関する一枚の書類を巡って、もう十数分にわたりXANXUSと泥沼の舌戦を繰り広げていたスクアーロは、執務机をはさんで向き合っていた主君が手にしていたコーヒーカップをソーサーに叩きつけ、ついで豪奢な椅子を蹴り倒すようにして立ち上がるのを見て反射的に身構えた。

「そんなに気にいらねえなら今すぐかっ消えろカスが」

「待て!城の中で物騒なもん出してんじゃねえ!」

額に青筋を浮かせながら右手にまばゆい光球を輝かせるXANXUSに、スクアーロは目を剥いて怒鳴る。

「るせえ」

「待てって!」

制止の声を上げながらとっさに顔を腕でかばい、炸裂する光と共に爆風を浴びる覚悟でいたスクアーロ。しかし予想していた衝撃がいつまで経っても来ないのでそっと腕の隙間から顔を覗かせて正面のデスクを窺い、そこに立つべき暴君の姿が跡形もなく消え去っていることに気づいて腕を解いた。

「ボスさん?XANXUS?」

「・・・なんだ、これは」

声だけが返る。姿は見えない。

軽く警戒しながらマホガニーのデスクに近づいたスクアーロは、足元に生き物の気配を感じて目線を下ろす。そこに小型犬か猫でもいればしっくりきたかもしれない、しかしそこにいたのは。

「・・・XANXUS、か?」

「てめえがでかくなった、わけじゃなさそうだな」

サイズでいえば、マーモンを筆頭とするアルコバレーノ、もしくは沢田のところに居ついている牛柄服の小僧。隊内屈指の長身をそれだけの背丈に縮めてしまった上司が、まさに苦虫を噛み潰したような顔で呆気に取られるスクアーロの顔を見上げていた。

艶のある短い黒髪も、張りのある低い声も、見慣れたそして聞き慣れた主君のものにほかならない。なのに、削ぎ落とされたように精悍だったあごのラインはふっくらとこぼれそうな頬の輪郭に取って代わられ、顔を薄く覆っていた傷跡も消えてただ赤みの差した肌の血色のよさが目立ち、袖から伸ばされた手のひらはまるでふくらみのあるもみじのように小さく、全体的にやわらかくどこか頼りなげな幼い子どもに姿を変えていた・・・髪、声、そしてその怒りに満ちた紅玉の瞳を除けば。

「どういうことだてめえ」

「オレが知るわけねえだろ!どういうことだいったい!」

原因が分からないまま突如子どもになってしまったXANXUSとテーブルを挟んで向かいのソファに座ったスクアーロは、目の前の人物が確かに主君その人であることを確認したもののそれでなにかが解決するはずもなく、ただ混乱する頭を抱えていた。

対するXANXUSはあからさまな動揺こそ見せないが、姿見で己の姿を確認してからというもの、もともと沸点の低い怒りがそろそろ限界に達そうとしているようだった。例えるなら煮えたぎるマグマを抱えた爆発寸前の火山のようなもの。しかも怒りのやり場がないせいで事態はまるで不発弾のような一触即発状態に陥っていた。

「夢、じゃねえんだよな・・・?」

「もしこれがてめえの夢なら」

今すぐてめえをぶっ殺して終わらせてやる、と本気とも嘘ともつかない言葉を吐き捨てるXANXUS、しかし悲しいことにその外見のせいで怒りの迫力も半減している。

「とりあえずあれだ、今日の仕事だが」

いろいろな判断をとりあえず棚上げにして、スクアーロは現実的な話をしようと口を開く。直前までしていた言い争いについては一時休戦、というかこの状態を考えればもう流してしまっていいと思えた。

「客は全部キャンセルする。元々めんどくせえと思ってたしな」

「ほかには」

「ねえ」

厳密に言えば、仕事が「無い」ことはありえない。ただ、彼自身の裁量で遅らせられない仕事もまた無いという意味だ。まだ猶予はある。ナントカバズーカのように頭まで幼児と入れ替わってしまわなくて良かった、不幸中の幸いとはこのことだとスクアーロは思った。

「隊員連中に見せるわけにはいかねえとして、あいつらにどうするかだなあ」

自分以外の幹部の濃いキャラクターを脳裏に浮かべてため息をつき、天井を仰ぐスクアーロ。顔を見なければまったく普段と変わらない調子のXANXUSの声が耳に届く。

「言えるか」

「だよなあ」

しかし精神は大人と変わらないとはいえ、命を狙われることも日常茶飯事なこの商売。非力な姿でなにか事件にでも巻き込まれたらと思うと一人にしておくこともできない。本来の彼にはまったく必要のないガード役もつけた方がいいだろう。XANXUSのプライドを尊重して真実は伝えないにしても、他の幹部に協力を求める必要はやはりありそうだった。

「あんたは気に入らねえかもしれないけどよ、」

小細工系に頭を使うのは性分的にも得意ではなかったが、もはや半分ふてくされている主君のために仕方なくひねり出したアイデアを、スクアーロはXANXUSに聞かせた。

「まあ、見てのとおりなわけだが」

見下ろされるよりはマシ、という後ろ向きな理由でしぶしぶスクアーロの左肩に乗ったXANXUS、その幼児らしからぬ眉間に深いしわを寄せた顔を逆の手のひらで示すスクアーロは、百聞は一見にしかず、見れば察するだろうと談話室に招集した幹部勢に言い放った。しかし居並ぶ四人の反応は、一様の無言、そして深いため息というもので。

「・・・いつかやるとは思ってたけどさあ」

「や、やはりそういうことか!貴様いつの間に!」

「慰謝料にしろ養育費にしろこれから大変だね。ご愁傷様」

「スク、正直に言いなさい!どこのお嬢さんを孕ませたの!認知はしたんでしょうね!」

「う゛おおおい!てめえらそこに並べ!一列に並べ!まとめて叩き切ってやる!」

まさかの勘違いに頭から湯気の立つ勢いで怒鳴り散らすとスクアーロはばしんと机を叩いて大声を出す。

「見りゃ分かんだろぉ!この黒髪!赤目!ふてぶてしい面構え!こいつはボスさんの、し、親戚の子どもだあ!訳あってうちで預かることになったがボスさんは今日から出張だ、てめえらもオレがいないときはしっかり世話しろ!」

「えーやだ。オレパス。ガキ嫌いだし」

渾身の作り話を披露するスクアーロにあっさりと言って、さっさと部屋から出ていこうとするのはボーダーの腕にマーモンを抱いたベル。ガキはてめえだ協調性なさすぎだろ、と内心で罵声を飛ばしながらも、スクアーロは皮肉な笑みを浮かべながら言う。

「ああいいぜ。こいつになにかあったらボスに真っ先にかっ消されるのはおまえで決まりだな」

普段は使うことのない威を借るような言葉、そのいわば切り札を臆面もなく使ってしまう程度にはスクアーロもこの状況に疲れていた。しかしさすがにその効果はてきめんで、ベルは華奢な肩をぴくりと震わせて肩越しに振り返る。

「え、マジで?そのガキとボス、そーいう感じなの?」

そーいう感じ、というのは、XANXUSにとってその子そんなに大事なの、という問いかけ。嘘の上塗りってのはこういうことを言うんだろうなあ、とどこか遠い目をしながらスクアーロは黙って頷く。

「こう見えて風呂もメシ食うのも自分でできる。おまえらは適当に遊んでやればいい」

「アタシはいいわよお。だってこの子よく見たらやっぱりボスに似てるじゃない!チビちゃんかわいいわあ!」

ねえねえ抱っこさせて、と両手を伸ばして近づいてくるルッスーリアに、肩の上のXANXUSは思い切り怒声を浴びせようとしてすんでのところで思いとどまったようだった。声を出したら一発でバレるからしゃべるな、というスクアーロの言葉を守って、代わりに、小さな手でスクアーロのうなじ近くの銀髪を一房つかみ全体重をかけて引っ張る。

「いっでええええ!」

根元から抜かれそうな勢いに思わず叫ぶスクアーロの声の大きさに、にじり寄っていたルッスーリアも思わず手を引いて耳をふさいだ。

「もうなによ、うるさいわねえ!チビちゃんがびっくりしちゃうじゃない!・・・って、そういえば、ボク、お名前は?」

いつまでもチビちゃん呼びじゃ悪いわよね、と気を回したらしいルッスーリアが小首をかしげながらXANXUSの顔を覗きこむ。しまった考えてねえ、と冷や汗をかくスクアーロの耳元に素早く口を寄せてXANXUSが何事かをささやく、その言葉をスクアーロはそのまま口に出した。

「スーナ。そう、スーナだ」

「あらあら、かわいいお名前」

ちょっと女の子みたいだけどベルちゃんだってそうだものね、と微笑むルッスーリア。後ろに立つベルも肩をすくめて頷く。

「まーいいや、特別サービスで王子が遊んでやるよ。ほら来いよスーナ」

他の幹部に身辺を任せておく間に、スクアーロが元の姿に戻る方法を探してくる手はずになっている。そっと目配せしあうと、XANXUSはスクアーロの肩から機敏に飛び降りて大人しくベルの元に歩いていく。その小さな背中を見ながら息をついたところで、ベルの腕から逃れたマーモンがファンタズマと共にふよふよと宙を飛んでスクアーロに近づいてきた。

「隊長、話があるんだけど」

スーナ、もといXANXUSを囲んで、スクアーロが腹心に用意させた積み木を出し始めたベル。その手元を覗き込むルッスーリアとレヴィを尻目に、マーモンは廊下に続くドアを指差した。

「ボスの親戚の子って、ウソだろ」

マーモンに促されて廊下に出たスクアーロは、いきなり核心を突かれて思わず言葉につまった。もともと嘘をつくのは得意な方ではない、むしろかなり苦手な方だ。

「う・・・」

「やっぱりね。あんな見え透いたウソで騙されるのはあいつらくらいさ」

シニカルに肩をすくめて、マーモンは背後のドアを顧みる。確かに、いざ戦闘ともなれば無駄に頭の回る連中だが、抜けているところは底抜けに抜け切っているといえる。まあなあ、と浅いため息をついてスクアーロはマーモンの顔を見る。

「おまえは騙せねえなあ」

「当たり前だよ。で、相手の女は誰だい?」

「は?」

この際うちあけるか、と口を開きかけたスクアーロは、ここでまた微妙にズレた質問をされてあごを落とした。

「ボスの親戚の子じゃなくてボスの子なんだろ?」

「ちっげえええええ!!!」

マーモンの言葉に、スクアーロはがくりと頭を垂れる。しかし考えてみれば道理ともいえる結論かもしれない。突っ込まれた以上は味方につけてしまえと、スクアーロは神妙な顔をする。なんだか途方もなく疲れた。

「わかった、おまえには話す。正直手に負えねえから知恵を貸してくれ」

「なるほどね」

腕を組んで話を聞いたマーモンは、小さな口をとがらせながら頷き思案顔になる。そう長い話ではない、ボスが急に子どもになった、原因も戻る方法も分からない、とただそれだけだ。

「ボスはなにか飲んだり食べたりしてなかったかい?」

「昼飯のあとはコーヒーくらいだったと思うが・・・コーヒーならチビになる直前まで飲んでたな」

「それが怪しいね。いつもと違うことは?」

「分からねえ、厨房に聞いてみるか」

頷きあった二人は、連れ立って階下の厨房に向かう。夕食の仕込をしていたところを脅迫まじりに引っ張り出された料理長の証言をまとめると、XANXUSの口に運ばれたコーヒーは今朝早くに届いた荷物に入っていた新しい豆で淹れたもので、当然、規則に従って毒見されていた。そして今のところ身体に異常のあった者はいないという。

「毒見してんのか」

ならどうしてボスさんだけ、と首をひねるスクアーロの肩の上で、マーモンは料理長に尋ねる。

「誰からの届け物だい?差出人不明の荷物に入ってたものは使わないだろ?」

幹部二人に問い詰められて顔を青くしながら、気の毒な料理長は弁明するように言う。

「アルコバレーノの方からでしたので・・・問題ないかと」

「アルコバレーノ?」

「ヴェルデ様です」

問題大ありだよ、とつぶやいてマーモンは呆れたようなため息をついた。

裏社会に轟くアルコバレーノの名声、それ自体はマフィアに関わる者ならば一国を裏で牛耳るレベルの大ボスから下働きの少年に至るまで広く知られている。しかし個々人がどんなに厄介な変人かというところまではいち料理人が知る由もない。毒見の結果に異常がなかったことも手伝って信用してしまったのだろう。

「もしもしヴェルデかい?僕だよ」

執務室に戻り、カップの底に残されたコーヒーを検分、といっても見ているだけのスクアーロの肩の上でマーモンは携帯電話を握ってくだんの相手と話している。

「コーヒー豆を、ああ、そうだよ」

あの緑髪に白衣の野郎か、とスクアーロは接点の薄いアルコバレーノの斜に構えた姿を思い出す。食えないオーラを出してはいたが、敵対する仲ではなかったはずだが。

「ふぅん・・・なるほどね。ああ、隊長ちょっと」

「なんだぁ?」

「そのコーヒー、飲んでみて」

「な、何言ってんだ!小さくなるのはごめんだぜぇ!」

「たぶん大丈夫だよ。いいからちょっと」

「・・・責任取れよ」

半ばやけくそになりながら、スクアーロは手にしていたコーヒーカップに唇をつけると、目を閉じて中身を一息に飲み干した。すっかり冷めて無駄に苦味を増してしまったような濃い液体が喉を滑り落ちる。内心警戒しながら、今まさに縮みだすかもしれない自分の手を見つめてみるが、しかし何も起こらなかった。

「大丈夫みたいだね」

その様子をフードに隠された瞳で見ていたマーモンは、確認するように頷いてみせた。また電話に口を寄せて話し始める。

「うちの隊長は大丈夫。そう、雨属性。ボスは大空と嵐の属性だよ」

そのあともひとしきり何事かを話したあと、じゃあね、と言って通話ボタンをオフにしたマーモンは、スクアーロに言う。

「分かったよ」

「本当か!?」

「簡単に言うと、ヴェルデはいま植物に属性を持たせる研究をしてるらしいんだ」

「植物に属性?」

「そう。一番うまくいってるのがコーヒーの栽培で、究極的にはその属性のコーヒーを飲むことで属性を強化できるっていうことらしいんだけど、どうも副作用があったみたいだね」

「副作用、が、アレか?」

小さくなってしまったXANXUSのことを暗に示しながら言うと、マーモンは頷く。

「ボスが飲んだのはおそらく鎮静の働きをする『雨』のコーヒーだ。属性外のコーヒーを飲んでもなにも起こらないはずが、ボスはもともとレアな大空と、しかも嵐属性とのダブル持ちっていう激レア体質だから予想外の反応が出たんだ。要するにヴェルデのテスト不足だね」

ヴェルデのことだから、むしろこれがテストのつもりだったんだろうけどね、などと不穏な言葉を吐くマーモン。傍若無人なアルコバレーノの所業にすっかり巻き込まれたスクアーロは、滅多に感じたことのない頭痛までしてくる始末だった。

「・・・で、どうしたら治るんだ」

属性持ちの植物だの副作用だのといったややこしい話はどうでもいいと割り切って、スクアーロは直球の質問をする。結局いつ、どうしたら大人の姿に戻れるのか。

「とりあえずヴェルデが大空のコーヒーを持って明日こっちに来るってさ。たぶん中和できるだろうって。データも取りたいとかほざいてたけどボスに消される前に退散するべきだって忠告しておいたよ」

「明日だな」

ようやく見えた光明。スクアーロはやれやれと息をついた。

マーモンを肩に乗せたまま、どうなっていることやら、と談話室の扉を開けるとそこには意外にもなごやかな光景が広がっていた。気配に気づいて振り向いたベルが嬉しそうな声をあげる。

「マーモンどこ行ってたんだよ!ほら見て、スーナすげえんだぜ!」

なぜか自慢げに言うベルの前にあるのは、積み木でできた城らしきもの。よしよしよくできたわね、とXANXUSの頭を撫でるルッスーリアに瞬間戦慄したスクアーロとマーモンだったが、XANXUSは無表情のまま手を伸ばして積み木をつかむとまたひとつ重ねた。それを見て感極まったように拍手するレヴィの目にはなぜか涙が浮かんでいる。

「ガキ嫌いじゃなかったのか」

中身は大人なのだから積み木くらいできて当然なのだが、そうとは知らずにはしゃぐベルに苦笑いしながらスクアーロは言う。

「ガキは嫌いだけどスーナ賢いし、それにボスの家族だしー」

「ベルはそればかり言ってるな」

大きな背中を丸めて座り、色とりどりのブロックでロボットらしきものを作ろうと奮闘しているレヴィが鼻をすすりながら言うと、隣のルッスーリアがサングラスの奥の瞳を細めて笑う。

「それはそうよねえ、ボスの血を分けてるならかわいいわよ。ベルちゃんボス大好きですものね」

「当たり前じゃん」

「オ、オレも好きだ!」

「うっぜ。まじうっぜ」

XANXUS本人を目の前にしているとは夢にも思っていない三人の幹部は、どこか無邪気にはしゃぎながら和気藹々と積み木の街を作っている。その中心に座るXANXUSは、やはり一言も言葉を発さずに黙々と積み木に手をつけていて、その様子を眺めるスクアーロとマーモンは思わず顔を見合わせ、笑いをこらえながら肩をすくめあった。

「じゃあ、そろそろ部屋戻るか、ス、スーナ」

気を抜くと吹き出しそうになるのをかろうじて我慢しながら声をかけたスクアーロに、ベルは不満げな声をあげる。

「えーなんで!もっと遊ぶ!」

ベルは言いながら素早く腕を伸ばすと、マーモンにするようにXANXUSを両腕に抱き込んだ。両の瞳は相変わらず切りそろえられた前髪に隠されているが、それでも全身から発せられる離さないぞ、という意志。しかしボーダーの胸にむりやり収められたXANXUSの額に瞬間青筋が立つのを見て、スクアーロは待て待て、と思わず両手を挙げてXANXUSにアイコンタクトを送った。だがそれを見たベルは自分に対して牽制されたものと受け取って、リスのように頬をふくらませる。

「まだいいじゃん。スーナに庭のバラ園見せてやんだ」

「スーナは明日には家に帰るんだ。休ませてやらねえと」

「やだ!」

「やだじゃねえ!ワガママ言うな!」

XANXUSを腕に抱いたベルとマーモンを肩に乗せたスクアーロの言い争いが勃発しようとしたまさにそのとき、パンパンと手を叩いて間に割って入ったのはルッスーリア。

「二人ともケンカしないの。こうしたらどう、スーナちゃんは今夜ベルちゃんの部屋にお泊りする。で、明日帰る」

「スーナ、どうするんだ」

大柄な身体を屈ませたレヴィに表情を伺われたXANXUSは、顔をしかめながら首を曲げてスクアーロを見る。急いで近づき小さな口に顔を寄せたスクアーロは、XANXUSに耳打ちされた返答に思わず驚き、そして笑った。

「あ、いたボスいた!おかえりー!」

執務室の扉から揺れる金髪を覗かせて、ベルが嬉しそうな声を出す。正面に据えられたマホガニーのデスクに王者然として座っていたXANXUSは、その声に伏せていた瞳をちらりと上げた。脇に立っていたスクアーロも、書類を手にしたまま目線を投げる。

「これさあ、今度スーナに会ったらさあ、あげてほしいんだけど!」

XANXUSの元に一直線に走ってきたベルは、デスクの上に広げた右手をたたきつけた。デスクにぶつかる軽い金属音、どけられた白い手のひらの下から姿を見せたのは小さなティアラ。

「この前さあ、スーナがオレの部屋にお泊りしたときね!スーナ、オレの王冠じーって見てたから!ほしかったんじゃないかと思うんだよね!これオレがチビのときにつけてたのだからあげるって!」

ほしいのって聞いたら首振ってたけど、そういうの見逃す王子じゃないからさ、と得意気に言うベル。目の前に置かれた小さなティアラをじっと見るXANXUS。

「・・・派手だと思って見ていただけだ」

「え、ボス何か言ったー?」

「言ってねえ!言ってねえよなあボス!じゃあ今度会ったら渡しておこうな!」

スーナは親と一緒に世界中を旅してるからなあ、オレらじゃなかなか捕まえられねえしなあ、という、先日追加した設定を早口でもう一度言いながら、スクアーロはベルに用が済んだならさっさと出ていけとあごで促す。

「隊長うっさいなー。じゃーねボス、スーナにまた来いよって言っといてよね!」

「・・・二度とあってたまるか」

「えー?ボスなにー?」

「おらもういいだろ!大事な話してんだから出てけ!」

激昂するスクアーロ、楽しそうに舌を出すベル、騒がしい二人を眺めながらひとつあくびをして、XANXUSはデスクの引き出しを開けるとベルが置いたティアラを慇懃にしまった。

THE END
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「XANXUS」の逆さ読みで「SUXNAX」=「スーナ」です。

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200万ヒット記念企画で、くまこさまにリクエストいただいた「スクアーロ中心でヴァリアー」でした。
ドシリアスかギャグか悩んだ結果こんな感じになりました、家族なヴァリアーが大好きです。

くまこさま、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!(深々)

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