『残響パラダイム』 (佐鳥&出水小説)

お待たせしました、ごゆっくりどうぞ。カウンターの向こう側に立つ笑顔のかわいい女性店員からハンバーガーとポテトとコーラとついでに癒しを受け取って、軽い会釈を返してからスニーカーに包まれたつま先を階段の方へと向ける。
自動ドアの開く音が聞こえるたびに初夏の生ぬるい外気が吹き込み店内の冷えた空気と混ざり合う。雑多な空間を満たす泡のように軽い音楽と食欲をそそる油の匂いに混ざって背後に響くのは、先ほどの店員が自分ではない誰かに投げる明るい声。いらっしゃいませ、ありがとうございました。ああ、あの笑顔がオレだけに向けられたものだったらなぁ、なんてしがない妄想を刹那で振り払って、現実的な問題に対処すべく一歩、二歩、とドリンクの安定に気を遣いながら狭い階段を上がっていく。
ここは全国的に有名なファーストフード店。三門市にもいくつか店舗があり、中でも高校とボーダー本部のちょうど中間に位置するこの店は高校生隊員たちの行きつけでもあった。二十四時間休むことなく駅前で煌々とネオンの光を放ち人々の胃袋を満たすこのハンバーガーショップに今日はひとり。いや、正確には店内にもうひとりいるはずなのだけれど。

(いたー)

階段を上りきってしまえば、さほど広くもない二階席に目的の姿はすぐに見つかった。色素の薄い髪と休日になるとよく着ている紺色のシャツ。テーブルの上に組んだ腕の中に伏せた顔をうずめていて表情は見えない。眠っているのだろうか。

「先輩」

近づきながら呼びかけてみるも返事はない。テーブルの上には動かない上半身が一つにトレイが一枚。トレイにはMサイズの赤いドリンクカップがひとつきり。夕飯食べてないのかな、と疑いながら佐鳥は自分の食事をテーブルに置くと向かいの椅子を引いて腰掛けた。両手で頬杖をつき目の前の頭を黙って観察する。茶系寄りと言われる自分のそれよりもさらに淡い髪の色は少しだけ日本人離れしているが、一度、染めてるのと聞いたら染めてないと言っていたから地毛なのだろう。そしてその見慣れた髪に包まれた頭の中身はといえば、得意科目と苦手科目に多少の落差はあるものの充分に平均点を超える出来のようで、弾バカと揶揄されようがなんだろうが悪知恵も含めてそれなりに頭が回らなければA級1位隊の隊員なんて張っていられないのかもしれない。ついそんなことを連想してしまうのも昼に学校で返された英語の小テストの結果がまれに見る壊滅状態だったからだ。英語の得意なカノジョがほしい、なんならガイジンでもいい、などとまたぼんやり思いながら佐鳥は目線はそのままに頬杖を片腕だけ外してポテトを一本取って口に運んだ。もそもそと咀嚼するも、慣れない舌にはまだ少し熱い。

「ねえ先輩。佐鳥が来ましたよ。おきて」

再度話しかけてみたがやはり答えはなく。佐鳥はジーンズの尻ポケットから探り出したスマホの画面を片手で操作して先ほど届いたメッセージをまた開いてみた。「駅前のマックにいる」とだけ書かれた文面の受信時間は午後七時すぎで、すでに夕飯の支度を終えていた母親の渋い顔に何度も頭を下げて手を合わせて、文句を背中に受けながら財布とスマホだけつかんで家を出た。自宅から「駅前のマック」までは自転車でちょうど十五分。熟睡できるタイミングでもないだろうにと二本目のポテトに手を出しながら思う。薄い紙にくるまれたハンバーガーは手を付けられないままトレイの上にぽつんと転がり、ゆっくりと温度を失っていこうとしていた。

「じゃあさ、勝手に話すね」

小さく息をついて、佐鳥は口を開いた。

「昨日と今日、学校サボったでしょ。昼に購買で米屋先輩に会ってさ、聞かれたんだよね。電話にも出ないし何か聞いてるかって」

まあ聞いてませんけどね、と独り言のようにつぶやく。平日のためか店は混んではおらず、席も歯が抜けたようにところどころ空いている。ノートパソコンを開いて仕事を片付けている眼鏡のサラリーマン。コーヒーを飲みながらスマホの画面を見ている髪の長いOL。顔を寄せ合って内緒話をしている大学生らしきカップル。そして寝ている相手に一方的に話しかける怪しい男子高校生。

「オレ分かりませんって言ったけど、ああ心当たりあるなぁって顔に出ちゃったかも。先輩も何も言わなかったけどさ、あれたぶん気づいてると思うよ」

コーラをすすり、カップにささったストローを噛む。口の中に冷たく濃い砂糖の味が広がる。

「なんでそんなにヘコんでるの先輩。近界で、遠征で何があったの」

伏せられた頭に向かって、佐鳥は静かに問いかける。佐鳥おれ次の遠征メンバーに選ばれたぜ、と自慢げに報告してきた笑顔はつい一週間前のもので、そして一昨日、全員が無事に帰還してきた。必要な情報も手に入り、成果は上々だったはずなのに。

「オレさ、一昨日本当は、おかえり言って近界の話とかいろいろ聞こうと思って本部で待ってたんだけど」

音を立てずにドリンクを吸い上げてから佐鳥は言う。

「なんかそんな雰囲気じゃなかったよね。太刀川さんも風間さんも出水先輩も、みんなすごく怖い顔してた」

オレ声かけれなかったよ、と言って佐鳥は小さく笑った。

「近界とかボーダーとかさ、たぶんオレらの知らないことたくさんあるんだろね」

広報なんかやってるオレが言うことじゃないけど。言いながらポテトをもう一本つまもうかどうしようか迷って、結局、紙のお手拭に心持ち指先をこすりつけたあと、その手を目の前の頭に伸ばす。

ぽふ、と髪に沈む手のひら。
ぽふぽふ、と弾ませてみる。だからさ、と口の中でつぶやく。

「佐鳥で良ければいつでも聞きますよー」

「ナマイキ言うようになったじゃねぇか」

戯れに撫でてみた頭の下から不意に漏れるくぐもった低い声。慌てて手をひっこめる佐鳥の顔を組んだ腕の間から睨むようにして、出水は獣めいた眼光を向ける。鋭い目線に射抜かれるようだった。

「誰がヘコんでるって?」

「……先輩」

「ヘコんでねぇし」

ゆっくりと起こされる身体。両腕を突き上げて伸びをし、出水は痛そうに首を曲げて肩を回した。

「やっぱ起きてんじゃん。寝たふりするとか、先輩やらしー」

「おまえが一人でべらべらしゃべってっから聞いててやったんだろ」

「もう、先輩ご飯は」

「食ってない。ダブルチーズバーガーとテリヤキ」

「なんでオーダーすんの。オレ買ってこいってこと?」

「そう」

「……遠征帰りだから!特別にいたわる!」

ニヤニヤと笑いながら財布から抜き出した千円札を差し出す出水。その紙幣をひったくるように受け取った佐鳥はリスのように頬を膨らませてみせると、オレの分のポテトおかわり奢りね、と抜け目なく言い捨てて足音高く階段を降りて行った。その姿が見えなくなったのを確認して、出水はまたテーブルの上にごろりと頭を転がす。

(近界とかボーダーとかさ、たぶんオレらの知らないことたくさんあるんだろね)

「あいつ、カンだけはいいからなー……」

髪をくしゃくしゃとかき回しながら出水はつぶやく。目を閉じると近界で見た風景がまぶたの裏に押し迫るように蘇る気がして、舌打ちをひとつすると重いまぶたを無理やり引き上げた。

近界でなにか凄惨な出来事があったわけではない。何があるか分からないから油断するな、と厳しく言いきかせられて内心緊張しながら行ったけれど、近界民にまぎれての情報収集はボーダーとしてはもう何度も繰り返していることもあってか順調に進み、トリガーを起動する機会もなくかえって身体がなまるほどだった。もともと思い悩むタイプでもない出水は、遠征ってこんなもんか、と拍子抜けした気持ちでいた。ただ、初めて見る人型の近界民たちが思いのほか「普通」に生活している姿に、常日頃自分が相手にしているトリオン兵を見るのとはまったく違う感慨があって少しだけ混乱を覚えたのも事実で。

「おれまた来れますかね」

「なんだ出水、近界が気に入ったのか」

遅い夕食のあと、遠征艇内の狭いミーティングルームに引き上げて休んでいるときにふとこぼれた言葉。テーブルをはさんで向かいに座る太刀川にからかうような返答をされて、出水は隊長の顔を軽くにらんだ。テレビも無いしスマホはもちろん繋がらないしで夜はさぞ退屈するだろうと思っていたのだが、持ち込んだ読みかけの漫画を開いたり携帯ゲームの電源を入れたりするよりも、普段は意外とゆっくり顔を合わせることのない隊員同士で会話する方が楽しいことに気づき始めた頃だった。話が聞こえてか、太刀川の隣の椅子に座る風間が読んでいた雑誌から目を上げたのが視界の端に映る。

「そういうわけじゃないすけど、でも結構おもしろいなって。文化とか、同じとこもあれば微妙に違うとこもあるし、意外とおれらと同じニンゲンなんだなって思いました。そういえばほらこれ」

言いながら身体を捻って、出水はすぐ後ろの棚に置いていた橙色の丸い果物を手に取りテーブルの上に転がした。地球で言う夏みかんにも似たその果実に太刀川と風間の視線が集まる。

「今日ちょっと街歩いたじゃないすか。なんか小さい子がくれたんですよね」

近界の植物だしさすがに食べませんけど、嬉しかったから記念に持って帰ろうかなって。軽い調子で明るく言った出水の言葉に、太刀川と風間が顔を見合わせる。その複雑そうな表情に気づいた出水は、椅子の背もたれに沈めていた身体を起こして首をかしげた。

「え、なんすか」

「いや、」

意見を代表するかのように風間が口を開く。この小柄な男が認識していた以上のキレ者だということも遠征中に骨身に染みて分かったことのひとつだったので、出水は素直にその言葉に耳を傾ける。

「深く考えてはいないとは思うが、その考えは危険だ」

「危険?」

思わぬ言葉に驚きを見せる出水に、小作りな顔を曇らせた風間は言葉を選ぶようにして言う。

「遠征で価値観が変わる奴は意外と多い。近界民に個人的な恨みのない奴ほど、近界民を『同じ人間』と見て戦う手が竦む。幸い、今回はまだ戦いには至っていないが」

ボーダー隊員の本分を忘れるな、と風間は言った。飲酒ご法度の遠征艇内で仕方なしといった様子でコーヒーをすすっていた太刀川もうなずく。

「おまえ意外と流されやすいからな」

「大丈夫ですよ」

揶揄するような言い方に、出水は少しムキになって返す。わざわざ言われなくても、トリガーを起動し手のひらに熱なき熱を集めて思いきり解き放つあの快感は今さら手放せるものではない。遠征にだってまた来たい。出水は少し慌てて、しかしその焦りを顔に出さないように注意しながら二人の先輩を見る。

「だって攻めてくる奴を排除するんでしょ?人型だろうが関係ないです、ぶっ潰してやりますから任せてくださいよ」

胸を張って言う出水に、風間と太刀川はまた顔を見合わせて、ふっと笑った。

「分かっているならいい」

出水は分かりやすいいい子だな、と言って頭をなでようとする太刀川の長身に見合った大きな手から笑いながら逃れて、出水は自分もコーヒーを淹れようと立ち上がる。そのついでに、テーブルの上の近界の果実を片手でつかむとテーブル脇のゴミ箱に勢いよく放り捨てた。箱の底に当たる重く鈍い音が瞬間耳に残ったが、見知らぬ異邦人の服のすそをつかんで果物を手渡してきた幼な子の目とともに、忘れようと努めた。

「そういや、佐鳥に自慢したら羨ましがってましたよ。あいつも今度連れてきましょうよ」

バッテリーで動くコーヒーメーカーで保温されたコーヒーをカップに注ぎ、仲の良い後輩の名前を出して振り返ると、後ろで菓子の袋を開けようとしていた太刀川が首を振るのが見えた。

「嵐山隊は駄目」

「え、どうしてです?テレビとかで忙しいから?」

「それもあるけど、遠征に行かない理由としては表向き。あいつらはボーダーの広告塔として近界民と戦う隊員を募集したり活動のことを公にしゃべったりするだろ?近界のことを知りすぎて間違っても近界民に肩入れさして、軸をブレさすわけにはいかないんだよ。分かるだろ」

それも思いやりなんだから喋りすぎるな、とやんわりと釘を刺されて、はあ、とうなずいた。その後の話題は太刀川が遠征前に迅に押し付けられたというぼんち揚に移り、コーヒーを飲み干して片付けて、なんとなく解散して寝た。それだけだ。佐鳥の言う「怖い顔」のことは記憶にもない。戦いにはならなくとも遠征は体力を消耗するし、みんなそれなりに疲れていたということなのだろう。ただ、遠征後で免除された防衛任務はともかく、その後二日も学校を休んだ挙句に後輩を呼び出してハンバーガーに興じている理由については自分でもよくわからなかった。わからなかったのだけど。

「先輩おまたせ」

頬杖をついて数日前のことをつらつらと思い出していた出水が目線を上げると、ふたつの丸いハンバーガーと山盛りのポテトを載せたトレイを持った佐鳥が階段を上りきってこちらに歩いてくるのが見えた。見慣れた店のレイアウト。言葉の通じる人々の群れ。においを嗅げば味を予想できる食物。よく見知ったうるさい後輩。右のポケットには財布、左のポケットにはトリガーホルダー。手につかみ取れる現実と、笑っちゃうほどのファンタジー。
おせーよ、と言いながら受け取ったトレイの硬い質感に少し安心した。遅くないし先輩ちょっと元気になったね、と嬉しそうに笑う佐鳥の顔につられて口元を引きつらせるようにして笑顔を作る。胸中の思いが彼になにも伝わらなければいいと、それだけを願った。

THE END
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『雷神丸を追え!<後編>』

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「つまり……嵐山さんたちが雷神丸を追いかけてあっちに走っていったんだな」
「そう。アラシヤマとか重くなる弾の人とか。たくさん」

目撃した遊真から状況を聞いたもののむしろ謎は深まるばかりで、修は困惑したように首をひねる。任務中だった修とC級隊員の遊真はいずれも忍田の通信を聞いていないので、結局なぜ雷神丸が追われているのか分からないままに二人はひとまず後を追うことにした。ランチはお預けになったが、玉狛支部の隊員として仲間の危機を放っておくわけにはいかない。

「ちびすけはどこいったんだ?」

雷神丸と追手たちが駆け去った方向に向かって並んで走りながら、そもそもなぜ雷神丸が本部をひとりでうろついているのかと疑問を口にする遊真に、修はたぶんだけど、と前置きして言う。

「林藤支部長についてきたんじゃないかな。陽太郎くんはさっきご飯のあとお昼寝していたから、雷神丸だけ散歩に出ていたのかもしれない」
「なるほど」

うなずきながらも、遊真はむう、と唸る。

「相棒が焼肉にされそうだってのに、呑気に寝てるのかちびすけは」
「だからそれは」

さすがになにかの間違いだろうと修が言葉を続けようとしたとき、行く手で派手な爆発音が響いた。爆風で吹き飛んだ木の枝や砂利が舞い上がる砂塵と共に二人の頭上にばらばらと降りそそぐ。思わず足を止めて腕で顔をかばう修を振り返り、遊真は目を細めた。

「なんだか物騒なことになってきたな。トリガー起動しとくか?オサムだけでも」
「いやでも」

言いかけた言葉をさえぎるかのように起こる二度目の爆発。いったい何が起きているんだ、と修は眼鏡を押さえながら砂煙の向こう側に目を凝らした。

さて、この日非番だったA級隊は太刀川隊、嵐山隊、三輪隊の三隊。ちなみに初めのうちはそれなりの数のB級隊員も焼肉争奪戦に参加していたのだが、半分は雷神丸のあまりの俊足に勝ち目なしと諦めて引き上げていき、残りの半分はA級隊員たちの本気の剣幕に圧倒されてこちらも首を振りながら帰っていった。賢明な判断と言える。その結果、今はA級の三隊がもつれあいながら雷神丸を追ってひた走る状態となっていた。

「秀次!鉛弾!」
「わかっている!」

相手にケガを負わせることなく動きを止めるという意味で、今回のミッションにおいて三輪の鉛弾は非常に有効な手段だと思われた。そこで三輪以外の隊員、米屋・奈良坂・古寺はターゲットに直接的な危害を加えない捕獲用トリガーを手にして三輪のサポートに回り雷神丸を狙っているのだが。トリオン体相手の模擬戦ともトリオン兵相手の実戦とも違う「相手を傷つけずに捕らえる」という不慣れなさじ加減にみな悪戦苦闘していた。標的がとにかく素早いのだ。それに加えて。

「まただ!章平さがれ!」
「わあっ」

絶好の角度を捉えて、投網のようにネットを展開できる狙撃手向け捕獲用トリガーを構えた古寺の肘を奈良坂が思い切り引く。次の瞬間、古寺が通そうとした射線を分断するように強烈な光の弾が降り注ぎ地面にクレバスのごとき深い穴を空けた。困ったように眉を下げる古寺の肩を軽く叩いてやった奈良坂は、低い建物の屋根からふわりと飛び降りる影に向かって珍しく怒りの声を上げる。

「出水!いい加減にしないか!」

太刀川隊は開始早々に隊長の太刀川が単独で雷神丸を追う作戦に切り替えていて、出水は視野の広さと燃料切れ知らずの膨大なトリオンを武器に他チームの妨害に徹していた。攻撃手を退け狙撃手の射線を塞ぎ、当然浴びせられるブーイングも一顧だにせず涼しい顔で雷神丸と他チームとの間に光の弾幕を張る。さすがに人に当てるつもりはなく、ただ足を止めさせて集中を乱す腹積もりだということは皆分かっているが、分かっているだけに、一言言ってやらずにはすまなかった。代表して三輪が口を開く。

「おまえなに普通にアステロイド使ってるんだ!捕獲用トリガーはどうした!?」
「は、おまえらが大人しく捕獲用使うならおれは実戦用のままで行くさ。焼肉はおれたちがもらった!」

策士然とした顔で堂々と言い切る反則技に「汚ぇ」「イヤらしい」と罵声が飛ぶ。しかし意に介した様子もない出水を、三輪は歯噛みしてにらんだ。

「太刀川さんを行かせておまえは足止め役か。唯我はどうした?」
「インフルで死んでる。さ、この先は通さないぜ?」

会話の応酬の間にも出水はまた左手に巨大なアステロイドのキューブを出現させた。三輪隊の四人を相手に本気でぶつかろうとするほど出水は自惚れてはいないし、その上ベイルアウトを伴うような本気の私闘はもちろんご法度なので、今は相手を撹乱できればそれでいいのだ。右手をあけているように見えるのは狙撃を警戒してシールドを張っているのだろうが、片手だけでも並のシューターのフルアタックを上回る威力の弾を撃てる出水にはハンデにならない。三輪隊の面々は、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように手段を選ばず焼肉めがけて暴走する1位隊を前に苦い顔を見合わせた。

焼肉は食べたい。しかしだんだんと「おまえに勝たせてなるものか」という意地のようなものが頭をもたげてくるのもまた人情である。三輪と米屋はめくばせしあうと、揃って捕獲用トリガーから得意の実戦用トリガーに切り替えた。三輪の手にハンドガンが、米屋の手に槍が現れる。並び立つ両者を見て、出水は口の端を上げて笑った。

「応戦はまずいんじゃないか?隊務規定にひっかかるぞ」

自分の所業を差し置いてしゃあしゃあと言う出水に三輪が座った目で言い返す。

「これは私闘じゃなく組み手だ。そうだろ?」
「言うね。けど悪い、おれ今回は足止め役なんだ」
「逃がすか!」

笑みを浮かべながら雷神丸が走り去った方向に向けて大きく跳躍する出水の行く手を塞ぐようにして、三輪が銃の引き金を引きアステロイドを放つ。蒼天を駆け上がる光の帯と米屋の槍が交錯する。身軽にかわした出水は素早く建物の影に入り、三輪と米屋が遠隔攻撃を警戒して間合いをとったことを気配で確認するとポケットから素早くスマホを取り出し着信履歴の一番上にあった番号を押した。数度のコール音のあと、相手が出る。

「あー佐鳥?そっちどんな感じ?え?いまは敵だから話しかけるな?へえ、そういうこと言うんだ。まあ別にいいけど、おまえ今から何も仕事しちゃだめだから」

念のためにとさりげなくフルガードをかけて壁に背をつけ、突然の理不尽な通告に「は?」と間の抜けた声が返ってくるのを聞きながら出水は薄く笑った。

「さっきゲームしてるときさ、おまえのベッドの下見ーちゃった……あーいうの好きなんだ?いい趣味してるねー木虎と綾辻に言っていい?」

電話の向こう側で響く絶叫。そのまま通話を終わらせてスマホをポケットに滑り込ませた出水は、はい佐鳥かたづいた、とつぶやくとガードを解いて建物の影を飛び出した。おまえのベッドの下なんか見てねーよ、と内心で舌を出しながら。

「三輪隊が出水先輩とぶつかってますね」
「それも気になるし、あと賢が応答しなくなった。巻き込まれてないといいんだけど」

固まって走りながら言葉を交わす木虎と時枝。出水の妨害を機敏に潜り抜け最終的には三輪隊に引き受けさせた形で、いま雷神丸に一番近い位置につけているのが実はこの嵐山隊だった。捕獲用トリガーを装填した銃を手にした嵐山が笑いながら返す。

「あいつらは優秀だが少し手荒すぎるからな。雷神丸は俺たちで安全に保護して、ついでに夜はみんなで焼肉といこう」

隊長の発破に、おー、と片手を突き上げて応える木虎と時枝。常に落ち着いて隊をサポートする彼らも、やはり今日の目当ては美味しい焼肉だった。前方にはすでに駆ける雷神丸の丸いお尻が見えている。基本的に疲れ知らずのトリオン体に散々追い回されてさすがのスタミナも尽きてくる頃、そこを狙おうという冷静な計算もあった。しかしそんな彼らの前に立ちふさがる影がひとつ。

「調子に乗るのもここまでだ、嵐山隊」

すらりとした長身のシルエットと自信に満ち溢れた表情、それに気取った物言いが絶妙なまでに見合っていて、ここが文字通りの戦場ならこれほど様になる姿もなかっただろう。しかし。

狙撃手と銃手の捕獲用トリガーはネットを飛ばすタイプだが、攻撃手の捕獲用トリガーは一言で言えば巨大な虫取り網である。もちろんただの虫取り網ではなく拡張や催眠など各種オプションが備わった超高性能虫取り網ではあるが、それでも見た目は結局虫取り網である。愛用の二刀流弧月の代わりに二本の虫取り網を携えた黒づくめのロングコートの男は、その堂々とした佇まいが逆に仇となって残念ながら外見的にはとてつもなく怪しい仕上がりとなっていた。その不審者然とした男ことA級1位隊隊長太刀川慶は、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。

「退け。今なら無駄な争いを生まずにすむ」
「退けません。雷神丸は……迅の友人は俺たちが守ります!」

ひとり真剣に言い返す嵐山の後ろで、あまりにも虫取り網の似合わない太刀川の姿に吹き出すのを必死にこらえる木虎と時枝。肩を震わせる彼らに、しかし太刀川は顎を上げて笑う。

「ふ、所詮他人のためか?そんな惰弱な動機の奴らにこの場を譲ることはできない」
「なぜです!なぜそこまで!」
「愚問だな嵐山。いや偽善と言うべきか。要は」
「……要は焼肉食べたいだけですよね太刀川さんは」

だだすべりする会話に、普段ならば隊長同士のやりとりに口を挟むことなどしない時枝がたまらず突っ込む。的確すぎる一撃に凍りつく場、一歩遅ければ私が突っ込むところだったわと脇でひそかに胸をなでおろす木虎だったが。

「黙れ時枝!俺は炭水化物も好きだがタンパク質も大好きなんだ!」

大真面目に怒鳴り返すと同時に一瞬で間合いをつめた太刀川は間髪入れずに右手を振るった。中空にネットが広がり、嵐山隊の三人はとっさに地面を蹴って散開する。弧月ではなく虫取り網を使ったところはまだ常識的といってもいいかもしれないが、刹那の攻撃を器用に避けた嵐山は眉間にしわを寄せて叫んだ。

「なぜ争うんですか!俺たちと協力しましょう!」
「いやだね!」
「なぜです!」

明確な否定に困惑する嵐山に、太刀川はこの上なく輝いた笑顔で言い放つ。

「俺はただ焼肉を食いたいんじゃない!おまえたちに勝って食いたいんだ!」

はっはっは、と高笑いをする大学生の姿に木虎と時枝の若き中高生組は(うわぁ……)と非常にしょっぱい顔を見せているのだが、自分に酔っている太刀川は気づいていない。

「太刀川さんは1位隊なんですから、そもそも俺たちより上位じゃないですか」
「ふ、そうして俺の戦意を削ぎ焼肉を手に入れるつもりだな。そうはいかないぞ」

話をまるで聞いていない太刀川に、さすがの嵐山も諦めまじりの苦笑いを浮かべる。

「どうしてもどいてもらえないなら仕方ない、この捕獲用トリガーで相手になりますよ」
「望むところだ」

開戦の合図だった。

(なーんちゃって、ね)

出水先輩もツメが甘いんだから、とうそぶきながら人知れず移動していたのは嵐山隊の佐鳥だった。バッグワームを羽織り雷神丸の逃走コースと思われるポイントに先回りして壁に張り付き、狙撃銃を構える。
弱みを握られたのは痛かったが、それも嵐山隊が勝利した後に肉をこっそりお裾分けすれば口止め料としては充分だろう。先輩てば新境地を開拓しようとした時に限ってガサ入れしてくんだもんなあ困るよなあ、などと考えているうちに、予想通り角の向こうから四つ足の動物の駆ける音が近づいてくる。角を曲がるために少しだけスピードが落ちた瞬間を狙うのだ、狙撃ポイントの予想が的中したときほど気分のいいものはないと佐鳥はほくそ笑む。

(みんな待ってて、オレがいま勝利の焼肉を……って、あれ?)

佐鳥が潜んでいる物陰の前を、見覚えのある女の子が通り過ぎた。小柄な身長。華奢な体格。まっすぐでサラサラの黒髪。あれは確か、入隊式で壁をぶち抜いた……

基本的に一度会った女の子の顔は忘れない佐鳥である。ついでに名前も思い出そうとふと思考を緩めた隙に、彼女はそのままスタスタと角を曲がっていこうとした。

「あ、危ない!」

我に返った佐鳥は、ネットを放ちかけた銃を投げ捨てて急いで物陰から飛び出す。あちらも驚いたのか急ブレーキをかけるように足を引くカピバラの姿が目の端に映る。間に合って、と祈りながら伸ばした手が彼女の腕を引くよりも一瞬早く。

「きゃっ」

小さな悲鳴と共に無情にも上がる衝突音、しかし土壇場のブレーキが効いたのかそれは予想されたものよりもだいぶ軽かった。擬音にするなら『ぽこん』程度、そして舞い上がる砂煙が引くなか姿を現したのは。

「あ……え?」

空振りに終わった腕を宙に浮かせたまま言葉を失う佐鳥。事態の急変を察して、不毛な攻防を一時休戦したA級隊員たちが駆けつけてくる。そして呆気にとられた人々の目線の先には、腰を抜かしたように地面にぺたりと座り込む少女とその小さな膝に頭を乗せて安心したように耳をすりつける雷神丸の姿があった。どよめく人垣を割って、ようやく追いついた修と遊真が少女のそばに駆け寄る。

「千佳!?」
「修くん?遊真くん?」

膝の上で嬉しそうに鼻を鳴らす雷神丸の頭をイイコイイコと撫でてやりながら、千佳はきょとんとした顔で修と遊真、そしてその背後を取り囲むように立つボーダー隊員たちを見上げた。

「チカ大丈夫か?ケガは?」
「う、うん。平気」
「どうしてここに?」
「出穂ちゃんと訓練場で待ち合わせてて……えっと、どうしたの?」

ただごとではない雰囲気を察して困ったようにまばたきする表情はまるで暴れる一角獣を手懐けた乙女のような無垢さで、囲む一同の間から深い深いため息が漏れる。ゲームセット。そして慣れ親しんだ玉狛の匂いに喜んでいるのか、珍しく小さく鳴いた雷神丸の口から。

少しだけ湿ってはいるものの、原型をしっかりとどめた緑色の封筒がぽろりと零れ落ちた。

「千佳ちゃんでかしたー!」

その日の夜。鬼怒田から支部宛に届けられた山盛りの高級霜降り肉を前にして、宇佐美は満面の笑みを浮かべながら胸に抱きこんだ千佳の頭をなでなでする。苦しそうにじたばたする千佳の隣に立つ小南も珍しく感心したような声を上げた。

「雷神丸を捕まえるなんて、やるわね……」

並み居るA級隊員を抑えて見事勝者となった千佳だったが。手紙を届けに行った会議室で涙を流して大喜びする鬼怒田に賞品のことを初めて聞かされ、私は何もしていませんからと困り顔になって固辞した。そんな謙虚な王者に賞品を受け取ることを半ば押し付けるようにして承諾させたのはもちろん当の鬼怒田、そして居合わせた忍田である。このままでは鬼怒田さんの気持ちも収まらないだろうし、ここは遠慮せずにもらって玉狛支部の皆で食べたらいいと優しく諭され、考えた末にようやく千佳は首を縦に振ったのだった。そして今、修たちの目の前では待ちかねた肉の到着を受けて焼肉の準備が着々と進められているところである。見たこともないような豊かな質感の肉に、腹ぺこ一同の期待とテンションは嫌が応にも高まっていた。

「迅さんトングもうひとつありますか?」
「あるよ。ほい、メガネくん」
「"くりすます"じゃなくても、やっぱりプレゼントといえば肉なんだな!」
「美味そうっすね……」
「こらとりまる!よだれがでてるぞ!」
「ビール飲みたくなるねえ」
「未成年ばかりですからね。つきあいますよ林藤さん」

ジュースとビールでの賑やかな乾杯から宴は始まり、やがて大量の焼肉が各々の腹に消えるころ。
昼間の代償とでもいうかのように、雷神丸は暖かな部屋の片隅で静かな寝息と共に夢の世界に旅立っていった。

THE END
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『雷神丸を追え!<前編>』

「賢!行ったぞ!」
「OK嵐山さ……って速っ!なにあれ一瞬でスコープから消えた!」
「佐鳥先輩なにやってるんですか!しっかりしてください!」
「足止めしないと無理だよ、速すぎる。ですよね?嵐山さん」
「充の言うとおりだ!おれたちで囲んで賢のスナイプでしとめるぞ!」

「食らえ!メテオラ!」
「出水やりすぎだ!少し抑えろ!」
「って言ってる太刀川さんも完全にアタマ狙ってましたよねさっき?」
「いやもうイライラしてきたから!良いよなもう殺って良いよな!?」
「ダメです!」

「陽介回れ!左だ!」
「りょーかい……って、うわやばい砂煙やーばい!げほぉっ!」
「視界が……これじゃ当たんないです奈良坂先輩!」
「仕方ない、走るぞ章平」

昼下がりのボーダー本部、その広い前庭を手練れぞろいのA級隊員たちが足音高く駆け抜けて行く。降り注ぐ光弾の雨のなか攻撃手たちの刃が閃き狙撃手たちの銃が煌く。起動済みのトリガーを手にした彼らが血眼になって追い回しているのは突如襲来した未知のトリオン兵……ではなかった。
彼らの目線の先にいるのは、砂塵を巻き上げ猛スピードで疾走する一匹の動物。ここ日本の大地にはまったくもって不似合いな玉狛支部のケモノさまこと雷神丸だった。彼、いや彼女が走る前を後ろを隊員たちが駆け回り、しかしその驚異的な脚力と縦横無尽の逃走術に翻弄されているのが現状である。

いったいなぜこんな事態になっているのか。
それを説明するには、時間を少しだけ巻き戻さなければならない。

その日、ボーダー本部開発室長鬼怒田本吉は朝から上機嫌だった。

苦虫を噛み潰したようなしかめっ面がトレードマークで仕事にも厳しいことで有名な鬼の室長が、出勤してこのかた相好を崩しっぱなし。表情筋も緩みっぱなし。時間と共に上がり続ける口角に下がり続ける目尻、口元からこぼれそうな笑みを抑えるのに精一杯といった様子で浮かれたようにそわそわしている。時おり下手な鼻歌まで聞こえてくる。開発室勤務のエンジニアやデザイナーは、ボスの異変にいったいどうしたことだとデスクごしに頭を寄せてヒソヒソ声でささやき合っていた。
やがて時計の針が十二時を差すと、鬼怒田はいつになく機敏な動作でバッと机から立ち上がり、愛用のカバンをつかんだかと思うと「じゃっ!」と軽快な挨拶を残して風のように開発室から去って行った。残された部下たちはぽかんと口を開けて、ただ唖然とその背中を見送るのだった。

さてその鬼怒田は。開発室から少し離れた目立たない場所にある、自販機や観葉植物がぽつぽつと置かれた廊下脇の休憩スペースのソファに腰掛けてきょろきょろと首を回す。周囲に誰もいないことを確認すると、おもむろにカバンに手を入れて一通の手紙を取り出した。淡いグリーンの封筒に女の子らしい丸い字で書かれた宛先は、今は一人で住む自分の住所。鬼怒田本吉さま、と書かれた横に(パパ)と但し書きのように書かれた文字が愛おしい。月に一度だけ送られてくる、別れた妻と暮らす一人娘からの手紙である。鬼怒田は目を細めて思わず封筒に頬ずりした。
今朝郵便受けに入っているのを発見して、本当ならば夜にゆっくり読みたいところだが、待ちきれずについ持ってきてしまった。昼休みになったら落ち着いて読もうと楽しみにしていたのだ。高鳴る胸を押さえて、いざ、と深呼吸して封に手を掛けたとき。スーツの足元になにやら生暖かい息がかかる。

「んん?」

封を切ろうとした手を止めてテーブルの下を覗くと、いつの間に近づいていたのか犬よりも一回りほど大きな毛むくじゃらの動物がフンフンと鼻を鳴らしながら鬼怒田の服のにおいを嗅いでいた。見覚えのある硬そうな毛並み。玉狛で飼われているカピバラじゃないか、と鬼怒田は顔をしかめる。動物は嫌いではないが、今はそれよりも何よりも大切なものがある。邪魔はされたくなかった。

「飼い主はどうした?まったく、放し飼いにするとはけしからん」

ぶつぶつ言いながら、ほれほれあっちへ行けと手を払ったそのとき。迂闊にもテーブルに置いていた大切な手紙に肘が当たってしまった。軽い封筒は羽のようにひらりと舞って床に落ち、慌てた鬼怒田が急いで拾い上げようと手を伸ばすのよりも一瞬早く。
興味深そうに鼻を寄せた雷神丸が、その封筒を口の中にぱくりと咥え込んでしまった。

「あ」

思わぬことに固まる鬼怒田。その顔をイノセントに見上げる雷神丸。呆然と向き合う両者の間に流れる永遠のような時間、その一秒後に廊下に鬼怒田の絶叫が響き渡った。

「っあああああああ!!!!」

近くの部屋にいた全員が驚いて尻を浮かすほどの特大ボリューム、いったい何事かと廊下に顔を出す面々よりも誰よりも仰天したのは至近距離で轟音を浴びた雷神丸だった。普段は玉狛支部の誰よりも落ち着いているようにすら見える彼女だったが、瞬間的に野生のスイッチが入ってしまったのかビクッと飛び上がったかと思うと手紙をしっかりと咥えたまま一目散に駆け出して廊下の角を曲がり見えなくなってしまった。ちなみに本気を出したカピバラの全速力は車並みの時速50キロである。

「っあああああああ!!!!」

昼下がりのボーダー本部に、鬼怒田の二度目の悲鳴がこだました。

「いま何か聞こえませんでした?」

その事件現場からやや離れた場所にある会議室。薄いパイプ椅子に長身を持て余すようにして腰掛けていた太刀川が、怪訝そうな顔で背後のドアを振り返る。

「聞こえたな」

長机を挟んで向かいに座る忍田も、凛々しい眉を訝しげにひそめてうなずく。今は次の防衛任務についての打ち合わせ中。本部長として隊員を束ねる忍田とA級1位隊の隊長である太刀川は立場的に接点が多く、そして何より元師弟ということもあって、派閥の違いはあっても関係は至って良好だった。
その二人が会話を一時中断して不思議そうに顔を見合わせていると、今度はどたどたという騒々しい足音が廊下を近づいてくる。ついで、派手な音とともに会議室のドアが突き飛ばされるように開いた。

「し、しししし忍田君!!!!」

真っ青な顔で部屋に飛び込んできた鬼怒田は、脇で目をぱちくりさせている太刀川には目もくれずまっしぐらに忍田の前まで走ってくると、柄にもない焦りを滲ませた顔で懇願するように忍田の胸元をつかんだ。

「たたた助けてくれ!カピバラに!カピバラが!玉狛の!カピバラァ!」
「分かりました、分かりましたからちょっと落ち着いてください」

なにひとつ分かってなどいなかったが、パニックになっている鬼怒田をひとまず落ち着かせようと忍田は両手を広げてどうどう、となだめる。広い額に玉の汗を浮かべた鬼怒田は、焦りの色は残しつつも忍田の襟元から太い指を離してうなずいた。太刀川が横から差し出した湯呑をつかむとごくごくと喉を鳴らしてぬるい茶を飲み干し、ふうぅ、と大きな息をつく。

「いったいどうしたんです?」

険しい顔で尋ねる忍田とその後ろに立って腕組みをしている太刀川。椅子にへたり込むように座ってがっくりと肩を落とし、鬼怒田は二人に重い口を開いた。

「なるほど。では娘さんからの大事な手紙を、その、玉狛支部のカピバラが持っていってしまったと」

話を聞いた忍田は真剣な顔でうなずき、それは災難でしたねと気遣わしげに声を掛ける。真向かいの椅子に座った鬼怒田は悲しそうにうなだれた。

「私ひとりではどうにもならん。忍田君、隊員を貸してくれ。頼む。後生だ」

膝の上でこぶしを握りしめ、禿げた頭を躊躇なく下げる鬼怒田を見て、忍田は急いで椅子を降りると床に膝を付き優しく鬼怒田の手を取った。

「分かりました。非番の隊員を動員して娘さんの手紙を探しましょう」
「忍田君……!」

感極まったように目元を潤ませて忍田の手を両手で握り返す鬼怒田。見つめ合う上層部二人のかたわらで、太刀川は広い手のひらで癖毛を梳きながら首をかしげて言う。

「娘さんにもう一度書いて送ってもらったらどうですか?」
「なんだと!?」

太刀川の言葉を聞いた鬼怒田はしおらしげな様子から一転、忍田の手を離して振り向くと背後に立つ太刀川をキッとにらみつける。

「娘が一度書いた手紙はこの世に一枚だけだ!それに親権の関係でそうそう連絡も取れんのだ!おまえも娘ができれば分かるわ!」

鬼の形相そしてあまりの剣幕に、分かりました分かりました、と太刀川は「お手上げ」のポーズをする。

「そんなに怒ったら血圧上がりますよ。俺も探しますから」
「探すなら早い方がいい。大丈夫、見つかりますよ」

言いながら立ち上がった忍田は、さっそくスーツの内ポケットから緊急用に持ち歩いている通信機を取り出し電源を入れる。一拍置いて、そばに立っている太刀川のポケットから警報音が響いた。別の場所にいる非番の隊員たちにも同じ通信が入っているはずだ。

「ボーダー本部の忍田だ。緊急警報ではない。繰り返す、緊急警報ではない。非番の正隊員に告ぐ。玉狛支部で飼育しているカピバラを探している。場所はボーダー本部近辺だ。動ける者は捜索に協力してほしい。捕獲用トリガーは支給する。繰り返す……」

忍田が真面目な顔でカピバラ求むの通信を入れているなか、太刀川の胸ポケットでスマホが鳴った。太刀川はディスプレイを確かめてから通話ボタンを押し、耳に当てる。

「出水か。どうした」
『どうしたじゃないですよ太刀川さん。なんですかこれ?』

聞こえてくるのは部下の眠そうな声。太刀川はスマホを利き手に持ち替えて答える。

「聞いての通りだ。カピバラ捕まえろ」
『いや忍田さんの号令だしあれですけど、でもせっかくの非番の土曜なんですよ?行かなきゃダメですか?おれいま佐鳥とゲームしてるんでサボってもいいですか?』
「……出水貴様ァ!!!」

たまたま音声を大きめに設定していたせいで、スピーカーの向こうから響く出水の文句は会議室にだだ漏れだった。聞きつけた鬼怒田は顔を真っ赤にして肩を怒らせながら近づき太刀川のスマホを奪い取る。頭から湯気が立っている。鬼怒田さん落ち着いて、と慌てて伸ばしかけた太刀川の手をうるさそうに払って、額に青筋を立てた鬼怒田は握ったスマホを思い切り怒鳴りつけた。

「出水ィ!!!」
『わ、え、鬼怒田さん?なんで?』
「タダとは言っとらんわ!捕まえた奴にはな!!特上焼肉好きなだけ食わせてやる!!!」

食わせてやる……
せてやる……
やる……

あまりの大音量にハウリングするスピーカー、そしてその言葉は通信中だった忍田の親機を通じて非番のボーダー隊員全員に知れ渡ることとなった。

特上焼肉??
特上焼肉!?
特上焼肉!!

「「「「特上焼肉だって!!??」」」」

隊員たちの目の色が変わった瞬間だった。

「ん?」

ボーダー本部の前庭のベンチに座って日向ぼっこをしながら足をぶらつかせていた遊真は、右手から近づいてくる怒声と大勢の足音に気づいて顔を上げた。見れば、砂煙を巻き上げながらこちらに向かって全力疾走してくるのは陽太郎の相棒こと雷神丸。そしてその後ろを親の仇を見たかのような形相で追いかけているのは隊服に身を包みトリガーを構えたボーダー隊員たちだった。見知らぬ顔の中に見覚えのある顔もちらほら混ざっている。

「焼肉!」
「焼肉!」
「焼肉!」

口々に叫びながらうおおおお、と遊真の目の前を通り過ぎ、またうおおおお、と気勢を吐きながら左手に遠ざかり小さくなっていった。右から左へと首を動かしてその後姿を見送った遊真は小さく首をかしげる。

「なにあれ」

ぽつりと呟いたところで、今度はななめ前方から近づく気配を感じてまた首を戻す。額に汗をかいた待ち人が小走りに駆けてくるのが見えて遊真は顔をほころばせた。

「悪い空閑!待たせた!」
「おつかれ、オサム」

ベンチから立ち上がって、遊真はズボンの尻を軽くはたく。修は午前中の防衛任務のあと林藤に呼ばれてここボーダー本部に立ち寄っていた。遊真とは昼食を共にする約束で待ち合わせていたのだが、すぐに終わるはずの頼まれ仕事が思いのほか長引いたのだ。すでにレプリカの分身を通じて連絡は受けていたし不可抗力だったにも関わらず、待たせたことを律儀に謝る友人の姿に遊真は紅い瞳を細めて笑顔を見せる。

「いいよ。けどボーダーも意外と大変なんだな」
「え?」

上がった息を整えながら問い返す修に、遊真は肩をすくめて言う。

「食糧難なんだろ?さっき隊員ぽい奴らが走ってったけど、あいつら雷神丸を焼いて食う気満々だったぞ」
「……は?」

会うなりぶっ飛んでいる友人のセリフに一体どこから突っ込めばいいのか分からず、修は目を白黒させながらずり落ちかけた眼鏡を直した。

To Be Continued...
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『あんぱんには牛乳が大正義』 (出水&佐鳥小説)

「うわ先輩なに飲んでんの!」

「はあ?」

屋上の扉をばしんと開けて自慢の視力でおれを発見するなり猛ダッシュしてきて目の前で止まったかと思えばおれの右手を指差してでかい声でわめいてくる後輩。失礼千万な態度とタメ口に妙に腹がたって思い切り冷たく返してやると、しかもブラックだしありえないしなどと更に意味不明なセリフを浴びせてきた。ありえないのはおまえだ馬鹿。

「昼休みにコーヒー飲んでなにが悪いんだよ」

「だってそれあんぱんでしょ?あんぱんには牛乳っしょ普通!」

「おまえの宇宙の常識をおれに押し付けるな」

心底バカバカしくなってこれ見よがしにあんぱんを頬張り同じ口にコーヒーを流し込むと、うわあああ、と悲痛な声を上げて目の前のコンクリにへたりこむ佐鳥。もうその存在自体がネタで出来てるんじゃないかとすら時々思う。たまには真面目な話のひとつもしてみろと内心呆れるものの、うっかりそんなことを言おうものならまたぎゃんぎゃんうるさく抗議してきそうなのであえて何も言わないでおいた。ぶつぶつ言いながら砂を払って立ち上がり、隣に座ってコンビニの袋からおにぎりを取り出すいつもの横顔。こちらが黙っていても勝手にしゃべってくれるので一緒にいて楽な存在ではある、とまで考えたところでひとつ思い出したことがあって口を開いた。

「おまえあの子どうなったの」

フェンスに背をつけて足を伸ばして、あんぱんの入っていたビニル袋をくしゃくしゃと丸めながらふと言ってみる。確か同じクラスの、こいつ曰く「すっごい可愛い」女子に「佐鳥くんと一緒にいると楽」だなんて言われて舞い上がっていたのはちょうど冬休み前の出来事だったはず。思い出しついでに好奇心で話をふってみると、屋上は寒いだの午後の授業がだるいだのこの間の体力測定がどうだったのと他愛ない話題に一人盛り上がっていた佐鳥の声がぴたりと止まった。

「…せんぱい」

「あ、おれ地雷踏んだ?」

「先輩って!」

なんかもうほんとデリカシーないよね、とつぶやくと、一秒前まで騒がしすぎるくらいに騒がしかった佐鳥がいきなり電池の切れたおもちゃのように抱えた膝に顔をうずめて動かなくなってしまった。登場以来の無駄なハイテンションはどうやら空元気というやつだったらしい。しかし普段のテンションを100とするとそれが105に上がっただけのような状態だったので傍目には分かりにくいことこの上ない。

「フラれたか」

「フラれてない!」

キッと顔を上げて秒速の勢いで否定する。あ、ちょっと泣いてやがるこいつ。

「フラれるより前に!彼氏いた!普通に!」

「あー…」

ご愁傷様、と返すとまるで同意するかのように北風が切なく吹き抜けた。やっぱりコートも持ってくれば良かった、と学ランの首に巻いたマフラーを口元までひっぱり上げて冷えた両手をポケットにつっこむ。わざわざ階段を下りてコートを取ってくるのは面倒だからトリガー起動して屋上から教室にダイブしてやりたいけどもちろんそんなことはしない。

「なんで彼氏いんのに一緒にいて楽とか言うの!もう女子…まじ女子!」

「ごめんちょっと意味わからない」

ポケットから出した右手でホットコーヒーの缶をつかむ。缶はだいぶ温度を失っていたけれど、あかぎれそうな指先をわずかにぬくもらせる程度の熱は残していた。ありがたく口に運ぶ。

「うまく行ってないかもしれないじゃん。彼氏と」

「クリスマス一緒に過ごしたって!ユビワもらったって!」

それがもうきらきらの指輪でさあ、とひどく悲しそうに続ける佐鳥はどうやらほんのり想っていた相手に新年早々その指輪をみせびらかされてしまったらしい。内心号泣しながらも「良かったね」なんていい人を装って笑うこいつの姿が目に浮かんで、二度目のご愁傷様。きっと佐鳥はいわゆる「話しやすい男子」の部類なんだろう。人懐こいし親切だしサービス精神も旺盛。基本的に悪い奴じゃない。悪い奴じゃないけど。

(なんか、惜しいんだよな)

しかしさすがにそのまま口に出すわけにもいかず。まあほかにもいい子はいるんじゃねーの、と常套句を言ってみると、佐鳥は、ぐす、と赤くなった鼻をすすりながら口を開いた。

「じゃあ先輩もし女だったらオレと付き合いたいと思う?」

「はあ?」

何言い出すんだ失恋のショックで頭イッちまったんじゃないか。半目になって見返してやると、ほらやっぱり、と勝手に聞いたくせに勝手に落ち込んでうなだれている。意外とめんどくさいなこいつ。

「じゃあボーダーで付き合うならだれ」

「なにその話まだ続くの」

「続くの」

昼休みの駄弁にしても酷い話題だけど、これで傷心の後輩の気がまぎれるならと適当に考えを巡らす。おれもたいがい面倒見のいい先輩だと思う。

「嵐山さん」

「ああー…」

真剣に考えたところで仕方ないので無難なところを言ってみた。ボーダー所属の女子、主にB級ちゃんたち主催で密かに行われているという彼氏にしたい男ランキングで毎回ぶっちぎりの一位を獲得してる人だから我ながら間違いない選択だと思う。一発目に尊敬する隊長の名前を出されて、佐鳥はなんだかちょっと嬉しそうにした。だからおれに選ばれたから何だっつうんだ、と呆れるけれど。

「それか、奈良坂」

「先輩メンクイー…」

なぜか引いている佐鳥は、それでもなんだか目に生気が戻ってきたような気がする。おしゃべりで元気になるとか女子かこいつは。

「米屋先輩とか出ないの?」

「近すぎて無理」

「じゃあ太刀川さんは」

「おれの手には負えない」

酷い、と責められたけれど、こんな与太話に酷いもなにも無いと思うんだおれは。

「でも本命は鬼怒田さん」

「ぶはっ」

真面目な顔で言ってやると、狙い通り吹き出す佐鳥。笑いの沸点が低いのもこいつの特徴だ。ちなみにくすぐられるのにも覿面に弱いから、佐鳥を笑わすのは難易度としてかなり低い。さしずめレベル1マイナ。ちなみに最高難度は三輪のレベル50、と以前遠征艇内であまりのヒマさに遠征メンバーでやったボーダー内格付けを思い出す。

「鬼怒田さんとか!不倫じゃん!」

「いやあの人バツイチだから」

「あ、そっか合法か」

うんうんとうなずく佐鳥。ゴシップまじりの話題だけどだいぶ調子が戻ってきたようで何よりだ。

「だからおれは嵐山さんと結婚して奈良坂と浮気して鬼怒田さんをひっそり想いながら死んでいく」

「鬼怒田さんのが先でしょ年齢的に」

「毎年、鬼怒田さんの命日と誕生日に墓参りに行く」

「喪服で?」

「喪服で」

「お墓の前で泣くの」

「さめざめとな」

そっか、とつぶやいて佐鳥はふとあごを上げて空を見る。つられて見上げると冬の空は嫌味なほどにからりと晴れて、探してみても雲の欠片ひとつ見えなかった。

「そういうのもありかなあ」

「そういうのもありじゃね」

この後輩が何をもって「そういうの」と言っているのかはたぶん半分も窺い知れてはいないけれど、何にしてもうるさいくらいでないとこちらとしても調子が狂う。早く元気になあれ、と心の中だけでエールを送って、おれは飲み干したコーヒーの缶をコンビニの袋に勢いよく突っ込んだ。

THE END
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『神様のしわざ』 (修・遊真・迅・木虎・玉狛etc小説)





「空閑はハンバーガーが好きだな」

部屋の隅に飾られた大きなクリスマスツリーを眺めながら、まるで自宅のような居心地よさのある玉狛支部のミーティングルームのソファに腰掛けた修は、ふとつぶやいた。

時計は午後四時を指している。夕食には早い中途半端な時間だが、トレーニング中はこの時間に休憩と軽食をとるのが常になっていた。家から持ってきたおにぎりを口に運ぶ修の言葉に、向かいのソファに座って足を揺らしていた遊真はふむ?と唸って小さく首をかしげる。見慣れたファーストフード店の紙袋と飲み物の入ったカップが傍らに置かれていて、ポテトの油の匂いが室内にふんわりと漂っていた。

「ハシを使わなくていい。パンも肉も野菜もいっぺんに摂れる。無駄な時間もかからない。しかも美味い。これはすごい食べ物だぞオサム」

ハンバーガーの美点をすらすらと並べてみせて一人うなずくと、遊真は右手につかんだハンバーガーにまたひとくち噛み付いた。

来たる入隊式に向けて特訓中の修たちの密かな楽しみは先輩であるレイジの作る食事だったが、生憎そのボーダーきっての名料理人は小南、烏丸、宇佐美と共に防衛任務に出ている。林藤支部長も陽太郎と雷神丸を連れて本部に行っていて、いつも賑やかな玉狛支部も今はしんとして静かだ。そんな状態なので今日は弟子三人にも休暇が言い渡されていて、千佳は両親と出かけると言って休んでいた。しかし家にいてもなんとなく手持ち無沙汰になった修が自主練に訪れてみると、同じく自主練に来ていた遊真がいた。そんな経緯で、それぞれ思い思いのトレーニングに励んだあと、この共用スペースに落ち合って一息ついているところだ。

「それにしても多すぎないか」

真面目に思い返してみれば、修の知る範囲でレイジの手料理以外で遊真が口に入れているものといえばほぼ100%ハンバーガーだ。野菜が入っているといっても量が足りないように思う。年頃になってジャンクフードもそれなりに食べるようになった修だが、親の愛情に満ちた手料理を食べて育ってきた身にはどうも心配になる食生活だ。険しい表情になる修を見て、遊真は曖昧な笑みを浮かべながら肩をすくめる。

「正直、あっちでは栄養のことまで考えてられなかったからな」

「そうなのか?」

「親父と旅してたときは、それこそネズミとかカエルとか虫とかも食べてたし」

「……」

「戦争に負けてる国はどこも食糧に余裕はなかったからなあ」

そう遠くもない記憶をたどるように、遊真は天井を見上げて言う。近界民の侵攻を受けているといっても、三門市はそういった物資的な極限状態とは無縁だ。テレビで見かける紛争地域の映像を思い起こしながら、修は遊真の言葉とイメージを重ねようと努力してみる。もちろん、実際にその場に身を置いた経験のある遊真と、教科書やテレビから他人事のような情報を得るだけの自分とでは、そこに大きな隔たりがあると分かっていても。そんな複雑な胸中の修とは裏腹に、どちらかといえば軽い口調で遊真は言う。

「食べられない野草がどれかとか毒キノコの見分け方とかなら自信あるんだけど。ニホンは食べ物がたくさんあって、逆に何を食べたらいいのか分からないな」

「分からないって、じゃあ毎日なに食べてるんだ?」

「だから、ハンバーガー」

「…毎日か?」

「まあ、だいたいは」

恐れていたまんまの回答に修は頭を抱えた。聞けば、レプリカのサポートがあるとはいえ、こちらの世界の作法にまだまだ慣れていない遊真にとっては、カウンターに行って写真を見ながら料理を選んで現金を出せば望みのものが手に入るというシンプルさも魅力らしい。

「確かに腹は膨れるし美味い。けどやっぱり栄養が偏る。成長期だぞ」

意外に食い下がる修を見て遊真はきょとんとした顔になって赤い瞳を瞬かせた。

「いやおれトリオン体だし」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういうこと」

口をとがらせながら反論する遊真に、修は思わず真顔になって言う。

「おまえが成長できるようになったときに。もし身体がちゃんとしてなかったら困るだろ」

眼鏡を押さえながら、それでも真剣な顔で言う修に、遊真は思わず目を見開いた。数秒の沈黙のあと、遊真は小さな身体を揺らしながら笑う。

「それも、そうだな」

でももったいないからこれは食べる、と言いながら最後の欠片を口に入れる遊真に、いや食べるのが悪いわけじゃないから、と修も返す。

「でも、じゃあ何を食えばいいのかってことになる」

咀嚼したハンバーガーをごくりと飲みこんでから、遊真は言う。

「おれは料理はできないぞ」

「それは…ぼくもだけど」

修にしても、両親が家を空けているときに米を炊いたことがある程度だ。二人で頭を悩ませていると、背後で扉が開く音がした。振り返ると、そこに見えたのは飄々とした長身の姿。

「迅さん」

「迅さんおかえりー」

どうもどうも、と人懐こい笑みを浮かべながら片手を上げた玉狛支部の大先輩は、浮かない表情の二人を見て怪訝な顔をする。

「あれ、どうした?」

「いやそれが」

ためらいながらも事情を話すと迅は腕を組んで思案顔になり、やがてふとひらめいたように顔を上げた。

「料理のことならレイジさんだけど、おれも思いついた」

「え、なんですか?」

身を乗り出す二人を見て、迅はニヤリと笑う。

「鍋だ!」

なんでこうなったんだっけ、と思いながら修は目の前でぐつぐつと沸騰する鍋を見た。

大きな鍋の中にぽつんと浮いたコンブはどこか間抜けに見える。その脇を取り囲むように並んだ皿やボウルの中には、ネギ、白菜、春菊、しらたき、豆腐、豚肉、タラ、鶏団子、牡蠣、きのこ類と、およそ考えうる限りの具材が投入されるのを待っていた。これは何鍋といえばいいんだろうか、と悩みながら覗き込んでいたら眼鏡が曇ったので、少しだけ身を引く。

鍋をするならこれだろう、と迅がどこからか引っ張り出してきたコタツに電気を入れたので、今は修と遊真がそのコタツの二角を占拠している状態だ。角をはさんで隣に座って足を入れている遊真は、コタツに入るのはもちろん見るのも初めてだと言って大いに嬉しそうにしている。

「オサム、これはすごい。足を暖めながら上半身は自由が利く。これはすごい」

手伝いますと再三申し出たにも関わらず、玉狛には玉狛の流儀があるから、とよく分からない理由でコタツに押しとどめられてしまった修は、キッチンとミーティングルームを楽しそうに行き来する迅を見ながら、片付けは絶対にやらせてもらおうと心に誓っていた。その迅は、エプロンと三角巾をつけて野菜や肉や魚を満載した皿を机に届けては、また鼻歌を歌いながら出て行く、そしてまた持ってくる、をかれこれ三往復ほど続けている。さすがに運び役くらいは手伝おうと浮かせっぱなしの腰をまた上げた修の耳に、軽やかな着信音が届いた。自分のものではない。

「迅さん!電話です!」

これをきっかけにと、コタツの脇に放り出されていた迅のスマホをつかんで修はようやくコタツから足を抜いて立ち上がった。修の声に廊下を戻ってきたらしい迅が開いたドアから顔を覗かせる。

「だれからー?」

見ていいんだろうか、と思いながら画面に目を落とした修はそこに表示された名前に目を見開く。

「嵐山さんです」

「おー来たか。さっきメールしたんだよね、ほらコタツって四角いから四人いないと寂しいでしょ?でもおれいま魚切ってるからメガネくんちょっと出て」

「は!?」

嵐山の気さくな性格から何度か親しく言葉を交わさせてもらっているが、修にとって嵐山はまだまだ雲の上の存在だ。えええ、と慌てる修だったが、鳴り続ける電話にとりあえずと通話ボタンをタッチする。

「は、はい!もしもし!」

『もしもし迅…じゃないな。もしかして三雲くんか?』

電話ごしでも分かる爽やかな声音。当てられたことにまた少し狼狽しながら、修は見えないと知りながらもこくこくと首を縦に振る。

「あの、迅さん今ちょっと手が離せなくて。代わりにぼくが」

『あ、いいよいいよ。ありがとう。じゃあ悪いけど伝言頼めるかな』

「はい」

言いながら修はスマホを持ち替えた。普段ガラケーを使っているので、慣れない通話に少し緊張する。

『迅に鍋に誘われたんだけど、あいにく本部に用事があっておれは行けないんだ。すまない。代わりに、』

嵐山が何か言いかけたとき、不意に玉狛支部の玄関チャイムが鳴った。

『あ、ちょうど着いたかな』

迅の愛用する最新機種の優れた集音機能が、電話の向こうにもその音を伝えたらしい。修が振り返ると、コタツを出た遊真がうなずいて玄関に向かった。修もスマホを耳に当てたままその後に続く。

「どちらさまー」

言いながらドアを押し開けた遊真が軽く目を見開く。その後ろから顔を覗かせた修も、驚いて口が開いた。

「失礼するわ」

一筋の乱れもない短い黒髪、凛々しい瞳を真っ直ぐに向けて。片手にケーキ屋のロゴが入った紙袋を提げた木虎藍が、玉狛支部の玄関前で仁王立ちになっていた。

そういうことだから迅によろしく、と明るい口調で締めた嵐山との通話を半ば呆然としたまま終えた修は、どうぞ、と木虎を招き入れた。要するに迅が嵐山を誘ったが、嵐山は行けないので代わりに修たちと面識のある木虎を派遣したということらしい。嵐山らしい、無邪気で善意あふれるフットワークの軽さだ。しかし男三人でなんとなく緩んでいた空気が、木虎の登場によって良くも悪くもどこかぴりっと張り詰めたように修には感じられた。

「よう木虎」

エプロンに三角巾姿で気安く手を振る迅に瞬間的に眉をひそめた木虎だったが、さすがに礼儀正しく、軽く頭を下げた。つまらないものですが、と言いながら手にしていた袋からケーキの箱を出して迅に手渡す。

「おー来てもらったのに悪いな。ありがとう」

ぼんち揚が主食と言ってはばからないながらも、ケーキ類を初めとする甘いものもいけるという迅は嬉しそうにうなずきながら箱を預かり、まあまあどうぞ、と木虎を優しくコタツにエスコートした。その迅からケーキの箱を受け取った修はキッチンに行き冷蔵庫に箱を収める。木虎が来るのなら千佳も呼べば良かったかな、とふと思いつくものの、久しぶりに両親と買い物に行くと言って嬉しそうにしていた千佳の顔を思い出してあえて連絡しないことにした。いずれ紹介できる日も来るだろう。

そんなことを考えながらミーティングルームに戻ると、コートを脱いで大人しくコタツに足を入れた木虎が、向かいに座った遊真とさっそく小競り合いを始めている。

「足を縮めなさい!コタツでは譲り合うのが常識でしょう!?」

「おれコタツ初めてだもん」

「なら教えてあげるわ!コタツで足は伸ばさない!ぶつけたら謝る!」

「なんかおまえが来たら一気にコタツがめんどくさいものになったな」

「なんですって!?」

「まあまあ」

コタツのマナーをきっかけに舌戦を始めようとする二人に、ようやくすべての具材を切り終えたらしい迅がのんびりと口を挟む。

「二人ともそこまで。楽しい鍋の前にケンカはいけないよー」

言いながらカセットコンロの火を調節して、迅はさっそく菜箸で野菜やきのこを鍋に入れ始める。一時休戦してその手つきを真剣に見始める遊真と木虎。迅が続いて豆腐を入れようとしたところで、修は思わず声を上げた。

「あ」

「ん?どうしたメガネくん」

「あ、いやすみません。豆腐はしいたけの隣に入れた方が美味しくなるかと」

料理に明るいわけではないが、母親が確かそんなことを言っていた気がする。恐る恐る進言すると、迅はそういえばレイジさんもそうしてたな、と思い出すように言った。どうやら切ったり焼いたりといった作業は好きでも、細かい手順には拘らない豪胆派らしい。異論がなさそうなので、修はついでにともう一言添えてみる。

「あと、野菜よりも肉や魚を先に入れた方がいいダシが出るらしいです」

おおーと感嘆の声を上げる迅と遊真。木虎も声こそ出さないものの、少し見直したような顔で修を見ている。戦闘の実力では自分を遥かに上回る三人に揃って感心されて、修は頬が熱くなった。いやこんなことで調子に乗ってる場合じゃないから、とすかさず自分を戒めながらも、修は照れ隠しに眼鏡を直す。

「あの、迅さんずっと働きっぱなしじゃないですか。ぼくがやります」

じゃあメガネくんが鍋奉行だな、とうなずきながら修にお玉と菜箸を差し出す迅。鍋奉行ってなにそれかっこいいね、と笑う遊真。あなたそんなことも知らないの、と呆れたように鼻を鳴らす木虎。三人にじっと見守られながら、大役を任された修は神妙な顔で菜箸を手に取った。

四人で鍋をつつきながら、修はこれはどう考えても具材が余ってしまうのではないかと危惧し始めていた。とりあえず全部火を通してしまった方がいいだろうか、そしてそろそろうどんの時間だろうかと有能な鍋奉行っぷりを発揮して考えていたところ、玄関の方が急に騒がしくなる。肩越しに振り返った迅が笑顔を浮かべた。

「帰ってきたな」

やがて廊下をどやどやと近づいてくる複数の男女の話し声や笑い声そして足音。ドアが開かれて最初に顔を出したのは眼鏡に髭が特徴の林藤支部長だった。

「ただいま。ありゃ、いいにおいがすると思ったら・・・鍋とはね」

「木虎じゃないか。珍しいな」

「ご無沙汰してます。お邪魔しています」

コートを脱ぎながら入ってきた林藤支部長とレイジに、コタツを抜け出して余所行きの声で挨拶しながら深々と頭を下げた木虎は。顔を上げた瞬間にその背後に立つ人物を見止めて声が裏返った。

「かっ烏丸先輩!」

言うなり、慌てて前髪を押さえて焦ったように周りをきょろきょろし始める。鏡はどこなの鏡は、と小さくつぶやく声が聞こえたが修には意味がよく分からなかった。当の烏丸は、おう、と片手を挙げてみせたあとさっそく鍋の中身に注目している。

「めちゃくちゃ美味そうっすね」

「おおコタツ!でかしたぞ!」

その脇をすり抜けて出て来たのは雷神丸に乗った陽太郎。嬉しそうに叫びながらコタツに向かって一直線に突進する。そのままずぼん、と中に入ったかと思うと中で方向転換したのか雷神丸の鼻先と陽太郎の頭がまたずぼん、と出てきた。その後ろから入ってきた小南と宇佐美の女性陣はまずコタツに驚き、鍋に驚き、木虎に驚き、そしてまだ具材が大量に残っていることまで確認すると、にんまりと笑って手を打ち合わせた。

「今日の夕飯は決まりだね、こなみ」

「迅さん、この未来が見えてたから具をこんなに用意したんですか?」

こっそりささやく修に、迅は笑ってウィンクする。

「まあね。便利な能力だろ?」

「陽太郎ちょっと詰めてよ!あたしの入る場所がない!」

「俺の隣あいてますよ先輩」

目上の林藤とレイジが着替えてくると言い残して部屋を退出したのを確認して、すかさずコタツに滑り込んでいた烏丸が真面目な顔で言う。うろたえる小南に、すみませんウソです、と言いながら烏丸がコタツの布団をめくると、いつの間にか移動していた雷神丸と陽太郎がすでに烏丸の隣を占拠していた。心地良さそうに目を閉じている陽太郎があくびまじりに口を開く。

「わるいなこなみ。ここはおれのばしょだ」

「またダマした!」

「まあまあ座りなよこなみ。お出汁足してくるね」

「メガネくんたちもう少し食べれるでしょ?なんなら泊まってく?」

「え、えっと」

「楽しそうだな。そうしようぜオサム」

「飲み物ないっすね。買出し行って来ますよ」

「あ、先輩、私も一緒に!」

「京介疲れてるだろ。買出しならこの実力派エリートに任せておけ。木虎も来る?」

「うっ…は、はい…」

十二月二十三日。クリスマスイブイブの日。
賑やかに暖かく、玉狛支部の夜は更けていった。

「オサムありがとうな」

「え?」

鍋の中身がきれいに空になったあと。誓ったとおり片付けを引き受けてキッチンの洗い場に立っていた修は、隣で皿を拭く遊真に言われて思わず聞き返した。

防衛任務帰りの先輩諸氏はそれぞれの部屋に引き上げていて、自宅に帰る者は帰り、川の中に建つこの支部には街の喧騒も届かない。静かだ。

「おれは今日ひとつ賢くなった。ナベに水を入れる。コンブを入れる。火をつける。好きなものを入れる。煮る。これでいいんだな」

指を折りながら鍋作りの手順を復習する遊真に、修はうなずいた。真夏の盛りともなれば話は別だが、当分は鍋を食べていれば遊真の食生活は大丈夫だろう。修にとっても胸のつかえが取れた気分だ。

「煮込み料理は親父と旅してる間にも作ったり食べたりしてたな、そういえば。なんだかすっかり忘れてた。作り方も。ああやって人とナベを囲むのも」

「楽しかったな」

「ああ、楽しかった」

皿を濡らす水音と時計の振り子の音だけが響くキッチンの中で、修は手を動かしながら言う。洗い終えた皿を遊真に渡す。遊真がそれを受け取って拭く。

「またやろう」

「そうだな」

小さくうなずく遊真。その横顔はほのかに笑っていた。

THE END
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『その瞳に映る世界』 (出水&佐鳥小説)







「先輩ー」

「・・・・・・」

「ねー先輩ー」

「・・・・・・」

覇気のない間延びしたトーンでしつこく呼んでくる声を綺麗に無視して、出水公平は手元の英文に意識を集中した。一ヶ月も前に出されている英語の長文読解の課題、防衛任務を言い訳に提出を遅らせてきたのは事実半分、サボり半分。だがその言い訳もそろそろ限界、明日には提出しなければまずいことになりそうなこの局面。頭は文章の区切り目を探すのに、左手は電子辞書をたたくのに、右手は訳文を書き取るのに忙しい。向かいの席でだらだらぐだぐだと机に頭を転がしている後輩の相手をしている暇などない。どこにもない。

「いーずーみーせんぱーいってばぁー」

「・・・・・・」

「ぃいーーずぅーーみぃーーせんぱぁぁーーいぃぃーー」

だが、この異様に打たれ強く前向きかつポジティブ思考な後輩は、いっさい返事が返されないにも関わらずもう十分以上も牛のような声を発し続けている。構ってほしいのだろう。それは分かっているが、こちらにもこちらの事情というものがある。

「ぃいーーずぅーー」

「うるっせえええ!!!」

ダァン、と机を思い切り拳で叩いて、出水は大声を出した。同時にがば、と顔を上げた佐鳥の顔に浮かぶのは満面の笑み。なんだその散歩に連れて行ってもらえる犬みたいな反応は、と出水は怒鳴りつけておきながらも呆れてため息が出そうになった。

「わ、やった!先輩起きた」

「寝てねえよバカ!」

どこをどう見たら寝ていたようにそして今起きたように見えるのか。勉強してんだよおれは、と憤慨しながら出水はシャーペンの芯をカチカチと鳴らす。この馬鹿な後輩の無自覚に毒気を抜いてくるところは嫌いではない。長所と言ってもいいだろう。しかし繰り返すが、こちらにもこちらの事情というものがある。

ここはボーダー本部にある資料室、その一角にある調べ物用のスペースで、机がひとつに向かい合わせの椅子が二脚用意されている。静かで自習にいいから、と出水にその場所を教えてくれたのは同じ学年の奈良坂だったが、彼の姿をこの部屋で見かけたことはまだない。代わりに今日はこのうるさい後輩が自分の前の席に、先ほどから何をするでもなく陣取っては牛のような声を上げ続けているというわけだ。

「なにしてんだよさっきから。もう帰れおまえ」

「そんなあ」

情けない声を出す佐鳥をそれきり放置して、出水はまた顔を伏せてノートに目線を落とす。あと三ページ。先はまだ長い。

「先輩ー」

「・・・・・・」

「先輩オレ、シューターに転向しようかと思うんだけど」

「・・・・・・はあ!?」

不意に耳に飛び込んできた言葉に、出水はさすがに驚いて顔を上げた。パキ、と小さな音を立ててシャーペンの芯が折れ飛ぶ。

「なに言ってんのおまえ」

「え、だめ?」

「だめとかじゃなくて」

広げていたノートを思わず閉じて、出水はやっと佐鳥の顔を正面から見た。広い額を見せるように上げた前髪。初対面の頃から視力がいいと自慢していた目。今は少し拗ねたように曲げている唇。いつもの佐鳥だ。いつも通りすぎる佐鳥だ。

「狙撃手でA級まで来たのに。なんで今さら」

「あのね出水先輩」

机に両肘をついて手のひらにあごを乗せ、佐鳥は軽く頬を膨らませて唸るように言う。

「狙撃手って結構しんどいとこあるっていうかさあ、出水先輩とか前線組の人たちがドカドカやってるときに後ろにこそっと潜んでる感じでさあ、味方が絶賛ピンチ中でもダイレクトに割って入って守るとかできなくてさあ、じっと我慢して機を窺うっていうの?してないとでさあ」

もどかしいときあるんだよね、と佐鳥はいつもの顔でいつもの声で、いつもの明るさを残したまま、言った。

「でもうちの隊には優秀なオールラウンダーが三人もいるし?だったらシューター考えるっしょ普通」

「本気なのか」

出水は少し混乱しながらも慎重に言葉を探す。英文読解と同じくらい苦手な作業だが仕方がない。これは思ったより深刻な相談なのかもしれない、と少しだけ焦る気持ちもあった。

「嵐山さんには言ったのか」

出水の目を真っ直ぐに見返していた佐鳥は、それを聞いて首を横に振る。言えないよ、という言葉が唇から小さく漏れた。

「出水先輩にしか言えない。言えないよ・・・こんな嘘」

「・・・はあ!?」

憂いすら帯びての真剣な横顔から漏らされた最後の単語。耳に届くなり目を見開いて大声を上げる出水の目に映る佐鳥、その顔がみるみる楽しそうに歪み、一瞬の間の後には背もたれにのけぞって大笑いし始めた。

「ひっひひっ・・・!出水先輩の顔・・・顔!ちょっほんとマジ・・・やばい腹痛い!オレが狙撃手やめるわけないじゃん!うわ先輩こういうの弱いんだ!」

「さっ・・・」

佐鳥てめえ殺すまじ殺す、と呟いて蹴るように席を立ち、出水は机を回り込んでイーグレットちゃんマジ愛してるしさあ、などと言いながら涙を流して笑い転げる佐鳥の隣に立った。

「ついていい嘘と悪い嘘があんだろ!小学生か!」

「だ、だって」

その顔を見上げて服の袖で涙をぬぐいながら、佐鳥は口をとがらせる。

「だって先輩オレのこと本気で無視するし!いーじゃんちょっとくらい可愛い後輩に騙されてくれたって!」

「だ・れ・が・可愛い後輩だ?死ね今すぐ死ね!」

「わっわっ、ちょっと待っ!」

振り上げられた両手、そのまま頬を思い切りつかまれたのち左右にめいっぱい引き伸ばされて、佐鳥は痛い痛い痛い、とわめきながら足をばたつかせて、鬼の形相の出水に向かって手を合わせる。

「ご、ごめんなひゃい!ごめんなひゃい!ひずみへんぱい!」

「奢れ」

「へう?」

「なんか奢れ。でなきゃ殺す」

笑いすぎの涙と頬の痛みの涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、がくがくと首を縦に振る佐鳥の両頬からようやく手を離して、出水はフンと鼻を鳴らすとまた机を回り込んで自分の腰掛けていた椅子まで戻ってきた。机上に散らばせていたシャーペンと消しゴムをペンケースに突っ込み、教科書とノートと電子辞書ごと乱暴な手つきでバッグに放り込む。

「え、先輩もういいの?勉強は?」

「もーいい。やる気失せた。腹減った。パンケーキ食いたい」

「あ、うん、パンケーキいいねパンケーキ」

「店で一番高いの頼んでやるから覚悟しとけクソガキ」

鋭い眼光で思い切り睨みながら言い捨てて、バッグを肩に掛けてさっさと出て行く出水。その背中を、佐鳥は慌てて追いかけた。







「おまえあれ本気で言ってんじゃないだろうな」

三門市屈指の名店と誉れ高いパンケーキ専門店。窓際のテーブルに座り運ばれてきた焼きたてのパンケーキにナイフを入れながら、出水は聞いた。

「へ?あれって?」

トッピングほぼ「全部乗せ」状態でホイップクリームだのイチゴだのバナナだのアイスだのベリーだの、がてんこ盛りになったパンケーキを前にした佐鳥は、出水の言葉にきょとんとしている。へ?じゃねえよ馬鹿、と思いながら出水はいらいらとパンケーキを咀嚼して飲み込み、水のコップに手を伸ばす。

「狙撃手やってるともどかしい、ってやつだよ。本気で言ってんじゃないだろうな」

嘘と知れてしまえばいかにも白々しかった佐鳥の態度だが、あの部分だけは妙にリアリティを感じて、それですっかり騙されたのだ。掘り返すのもなんだが一応聞いておこう、と考える出水。もし本気でそう思っているなら根が深い。そう感じたからだ。

「あーあれね」

口の周りをホイップクリームまみれにしながら、佐鳥はくすくすと笑う。

「そんな風に思って、嵐山さんに言ったことならある。昔だけど」

「嵐山さんに?」

「そう」

ナプキンで口を拭きながら、佐鳥はうなずいた。

「まだ今ほど実戦に慣れてないときでさ。年下の木虎とか同じ年のとっきーとかがボロボロになって戦ってんのに、オレなんで隠れてんだろうって。オレも弧月とかスコーピオンとか持ってみんなを守りながら戦えるようになった方がいいんじゃないかって」

「へえ」

莫大なトリオン量を持ち、性格的にも前線向きと判断されて前評判通りA級1位チームの隊員にまで上り詰めている出水には想像したこともない悩みだった。少し興味を引かれて、佐鳥の次の言葉を待つ。

「そしたら嵐山さんがさ。賢は真面目だなーって笑ったあとに、おまえが後方を固めてくれるから俺たちは思い切り戦えるし、作戦が何倍にも広がるんだぞって言ってくれて」

「・・・普通だな」

「普通でしょ」

佐鳥は笑いながら、大きないちごにフォークを突き刺す。

「でもその『普通』がオレには嬉しくてさ。あーもうオレらの隊長最高、って」

太刀川さんはそういうこと言わなさそうだよね、といちごにかじりつきながら言う佐鳥に、まあな、と返しながら、出水は頬杖をついて窓の外を見た。冬の夜は早い。暗い窓に映る自分が、真っ直ぐに自分を見返している。

「・・・太刀川さんは」

「え?」

「嵐山さんや風間さんみたいに後輩の面倒すごく見るタイプじゃないし、どっちかって言うとオレについてこれる奴だけついてこいみたいなとこあるけど」

「あーそんな感じ」

フォークをくわえたままうなずく佐鳥。その目の前の皿いっぱいに盛られていたはずのスイーツは、いつの間にか影も形もなくなろうとしている。対して、シンプルにメープルシロップだけが添えられた出水のパンケーキはまだ半分以上が残されていた。パンケーキが本当に好物なのは、実は出水ではなく佐鳥だ。

「でもそれはそれでいいかなって。太刀川さんについてける奴なんてそういないし。おれはおれで強くなるし、あの人はあの人でもっと強くなるし」

「うんうん」

佐鳥はうなずいて、スプーンで皿のクリームをきれいにすくい取って口に運ぶ。

「結局あれだね。『うちの隊長がいちばん』!」

「恥ずかしいこと言ってんなよ」

出水はテーブル越しに伸ばした手でぺち、と佐鳥の額をはじく。痛い、とつぶやきながら佐鳥はなんだかとても嬉しそうに笑った。

THE END
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『恋愛教則』 (烏丸&小南小説)





玉狛支部の簡易キッチンの椅子に浅く腰掛けて、烏丸京介は爪先を器用に使って封筒の封を開けた。

糊付けはされておらず、小さなシールで留められただけだったので開くのは難しくない。シールは綺麗な青い星形で、さすがに今どきハート形のシールを使う女子はいないな、と烏丸は一人思う。

(烏丸くん、これ読んでください!)

学校の廊下で背後から呼び止められて振り向いた瞬間に顔を伏せて真っ赤な耳をした女子に光速の勢いで胸に手紙を叩き付けられて、烏丸が声を発そうとしたときにはすでに彼女の姿は廊下の遥か彼方、点のように小さくなってしまっていた。仕方なくひとまず鞄に入れてそのまま支部に直行し、夕方の防衛任務まで数学の課題でもやろうと鞄に手を突っ込んだところでその手紙の存在を思い出した。そういえばクリスマスが近かったな、と壁にかけられたカレンダーを見ながら二つ折りの上品なアイボリーの便箋を開く。

いきなりごめんなさい云々。直接言う勇気がないので云々。ずっと前から烏丸くんのことが云々。女性らしい小さな文字が綴るのはいわゆる恋文というやつで、烏丸はこの手の手紙をもらうのは初めてではない。というよりそれなりに場慣れしてしまうほどには多い。さかのぼれば小学生の頃から、そして中学生になってその数は激増し、その勢いは高校に上がった今もまったく衰えていない。統計を取っているわけではもちろんないが、バレンタインデーと夏休み前とクリスマス前に特に増えるのはどうやら気のせいではなさそうだった。

ボーダーのA級隊員を務めていることとの相関関係は分からない、ただどうやら自分の容姿が異性を惹きつけやすい仕上がりであることは烏丸自身も理解していた。ただ生来の性格からして、自惚れることも卑下することもなく自分自身を構成する要素のひとつとして冷静に捉えているだけのこと。そしてその認識をあえて吹聴するほど烏丸は愚かではなく、また賞賛されれば、どうも、と流せるだけの年季はあった。

そういえばいつだったか、同じ支部所属の木崎レイジに聞いてみたことがある。恋愛感情ってなんなんですかね、と。

なにか現実的な問題に悩んでいたわけではない。ふとした思い付きだったのだが、真面目な彼は表情を変えることなく少しだけ考えたあと、もちろん人によるだろうが、と前置きした上でただ一言、こう言った。

(性欲と独占欲、かな)

ごくごくシンプルな答えだったが、烏丸はなるほど、と呟いてそれきりその話はしなかった。それでもときどき、ほんのときどき、思い出すことがある。性欲と独占欲。性欲については人並に理解できていると思う。問題は独占欲の方だった。

「あっとりまる!いた!」

支部の廊下を駆ける騒々しい足音からして、扉が開く前から接近には気づいていた。いつも何かに立ち向かっているような勢いのある先輩の、キッチンのドアを開けるなり上げた大声が耳に届く。

「どうしたんすか小南先輩」

手紙に目を落としながら烏丸は聞く。手紙を最後まで読んでしまって、文末に差出人のクラスと名前が書いてあることまでを確認して少し安心した。あの光速の攻撃では顔がまったく見えなかったので、もし個人を特定する情報が書いていなかった場合は差出人不明で放置することになってしまうところだった。明日にはクラスに出向いて断りのセリフを告げることになるだろう。

「ないのよ!捜してるの!」

「どら焼きですかそれともプリンですか」

「失礼ね!いちご大福よ!」

失礼ね、の意味はよく分からないものの、烏丸は知らない、の意をこめて首を振った。おそらく陽太郎の仕業だと推測するが冤罪の可能性もあるのであえて何も言わないことにする。もう、と地団駄を踏んで憤る小南の真っ直ぐに伸ばされた艶のある髪を見るともなく見ながら烏丸はふと木崎の言葉を思い出す。

性欲と独占欲。

自分の知る小南は押しが強いくせに押されると弱い。自信家なのに隙だらけ。他人の懐に遠慮なく滑り込み場の雰囲気をさらっていく。彼女の周りはいつも賑やかで些細なことにもなぜか全力。木崎説をたとえば当てはめてみても、独占欲つまり自分だけのものにしたい、という感覚とはどこかがズレていた。小南は誰のものでもない。

「なんか、違うな」

「ん?なによ?」

独り言をつぶやく烏丸を不審そうな目で見る小南。このボーダー屈指の実力者のガードがふと緩む瞬間が烏丸にはなぜか手に取るように分かる。そして隙を見つけたが最後、どうしてもそこを突きたくなってしまう謎の衝動。

「いえなんでも。ところで先輩、最近かわいいですね」

「・・・え?はっ!?」

烏丸のカンは当たり、予期せぬセリフに不意を突かれてたじろぐ小南の頬がみるみる紅潮するのを眺めながらさらりと続ける。

「すみませんウソです」

「さっ・・・」

最低ばか最低とりまる最低。叫びながら思い切り振り上げられた小南の平手を身軽にかわして、烏丸は珍しく小さく声を上げて笑った。

THE END
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『きみにいえるただひとつの。』 (修&遊真小説)





手探りで電気のスイッチを押すと部屋の照明がついた。食事やミーティングに使われているらしい玉狛支部のリビング的存在のこの部屋の名前を修は知らなかったが、今のところそれで困ったことはまだない。部屋の中央に進み出て冷えたソファに腰掛け、体を背もたれに沈ませて目を閉じる。知らずため息が出た。

ここ数日の出来事が、走馬灯のように、というと少し違う気がするが、脳裏を駆け巡る。空閑遊真と名乗る少年が転校してきて、学校がトリオン兵に襲われて、嵐山隊と知り合って、街が爆撃されて、本部で昔の恩人と再会して、B級に昇格して・・・そして今日、日付が変わっているので正確には昨日、いくつかのアクシデント的な事件を経て修は玉狛支部に転属した。つい一ヶ月も前には想像もできなかった世界が自分の前にどんどん開けていくようで、性格上、大慌てしたり取り乱したりすることが少ない修にとってさえ、めまぐるしい、という表現がふさわしい日々。そしてこれからはチームの二人と共に訓練に励む毎日が待っている。厳しいトレーニングになるだろう。長かった一日が終わり今後に備えて十分に休養をとるべきだと頭では分かっているものの、昼間からの興奮が残っているのか目が冴えてしまって客用個室のベッドに横になってもまったく眠れなかった。

ならばいっそ、と起きてきたはいいが行くあてもなく、とりあえずあまりうろうろするのも怪しいのでこの共用スペースらしき部屋にたどり着いた、というのがことの経緯である。いまだ襲ってきてくれない眠気を誘うように眼鏡の下の目をこすって天井を見上げてぼんやりしていると、不意に背後のドアが開く音がした。

驚いて振り向くと、立っていたのは大きめのシャツとジャージのズボンに身を包み白い髪を悪戯にハネさせた姿。

「なんだ、オサムか」

電気がついてるのが見えたからな、などと独り言のように言いながら小柄な級友は飄々とした足取りで当たり前のように修のそばに寄って来ると、よっこいしょ、などと爺くさい掛け声を発しながら向かいのソファに腰掛けた。暖房が切れた部屋で寒そうに身体を丸めて両手をこすりあわせ、そのくせ床に届かない足は素足のままで、こんな夜半でも部屋を出るときにはきちんと靴下とスリッパを履いてきてしまう修とはその足元だけを見ても対照的だった。

「空閑・・・どうしたんだ?」

壁にかかる時計を確認すれば、針は二時四十五分を差している。真夜中といって差し支えのない時間に同じ部屋に二人が揃う不思議。

「やっぱり大きいなーこれ。ちびすけやしおりちゃんのよりはって思って迅さんの借りたけど」

修の質問には答えず、遊真は口をとがらせながら不服そうに服のすそを引っ張っている。いくら小柄とはいえ陽太郎のパジャマではさすがに無理だし女性である宇佐美のパジャマを借りるのには抵抗があったのだろう、しぶしぶ迅に借りたパジャマ代わりになりそうなシャツはいまだ十一歳のままの体型の遊真にとってはだいぶ布があまる結果になっていた。

「・・・空閑」

「ん?」

名前を呼ばれた遊真は、口をとがらせた表情のまま顔を上げる。同じ年齢にも関わらず幼さの残る顔立ちは、それでも目だけは鋭い、と修はいつも思う。

「ありがとうな」

「へ?」

なにをまた改まって、と言いたそうな顔で大きな目を瞬かせる遊真に、修は少し照れながらも言葉をつむぐ。

「僕と千佳とチームを組んでくれたことだ。このさき何度も言うのもしつこいから今のうちに言っておく。ありがとう、空閑」

夜中に書くメールは恥ずかしい、などという言葉を聞いたことがあるが、確かに昼間には言いづらいことも夜なら言えることが時々ある。言ってしまってからまた少し恥ずかしくなったが、出してしまった言葉は取り消せないし、何より本心には違いなかったので修は眼鏡を押さえながら遊真の顔を伺った。当の遊真は、しばらくきょとんとしたあと、ニヤリ、という表現が似合いそうな笑みを浮かべる。

「風呂のあと、廊下でチカと会ったんだけど」

「は?」

首をかしげる修に、遊真は言う。

「同じこと言われたぞ。しつこいかもしれないけど本当にありがとう、だってさ」

「・・・僕も言われた。さっき、寝る前に」

「そっか」

ニッと笑って、遊真は床に着かずにぶらぶらさせていた足をソファの上に引き上げた。体育座りのように両手で抱えこんだ膝の上にあごを乗せて口元を緩ませている。

「そんで?オサムはなんて答えたの?」

野暮なら聞きませんけど、などとからかうような口調で言いながら体を前後に揺らす遊真に、うるさいそんなんじゃない、と返しながらも修は自分の頬が熱くなるのを感じた。ごまかすようにまた眼鏡を直す。

「僕にしたら、千佳にも『ありがとう』なんだって言ったよ」

「ほう?」

「僕がボーダーに入ったきっかけは千佳だし、だから今おまえともこうしていられる。大変なこともあるけど、自分の人生がなんとなく張り合いのある賑やかなものになっていってる気がするんだ」

だから、千佳にもありがとうって言ったんだ。顔を紅潮させながらも言い切る修を見て、遊真は楽しそうに唇を曲げる。

「やっぱりオサムは変わってるな。おれたちの年で、自分の人生が~なんて言わないぞふつう」

「なっ・・・うるさい!僕はおまえが聞いたから答えただけで」

「はいはい」

「・・・っ!もう寝る!おまえも早く寝ろ!」

ニヤニヤと笑われて、修は照れくささのあまりソファを蹴るようにして立ち上がった。そのままきびすを返したとき、背中に投げられる遊真の少しだけ高い声。

「あのな、オサム」

さっきまでの茶化すような言い方はなりを潜めた真面目な声音に、ドアノブに手を掛けていた修は足を止める。

「なら、おれからも二人に『ありがとう』だ」

「・・・空閑?」

思わず振り向いた修の視界に映るのは、広いソファの上で小さな膝を抱えてこちらを見据えてくる紅い一対の瞳。

「近界民のおれを受け入れて、引き止めて、チームに誘ってくれて」

言いながら遊真は目を細めて笑う。

「このさき何度も言うのもしつこいから今のうちに言っておく。ありがとう、オサム」

射抜くような瞳。迷いも嘘も恐れもそこにはなくて、レプリカに聞かされた彼の凄惨な過去を思えば、彼がいまだ正気を保ち自分に対してそんなセリフを投げかけてくれることはまるで『奇跡』。そんな非日常的な言葉が修の頭をよぎった。

「・・・ああ」

おまえのすべてを信じる、なんて簡単に言えることじゃないからまだ言わないけれど。
出会ってから今までこの目で見てきたことなら、信じられるから。

僕はおまえを信じる。おまえが僕を信じてくれたように。

胸中にうずまく思いを肯定の言葉に乗せて、修は口元に笑みを浮かべて頷いた。

THE END
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